短編3作
入場後すぐ目に入る舞台と客席。今回も双方向から観れるようにしているのだとわかり期待したが、作品中は目新しい効果は見えなかった。現代口語も2作・3作はいいとして、1本目はチト違和感。上演の意図は有るとは思うが、個人的には1本目を深くして観せてもらいたく思った。
満足度★
演劇やってるんだよね?
板の上に立って、覚えた台詞を喋るだけなら誰にでもできる。
そこにいるのが「俳優」であり、物語を演劇とする「演出」が存在するのであれば、そこにはその劇団にしか表現できない「個性」(=生まれながらのものではなくて、新しく生み出されるオリジナルとしての創作)が発生するはずだ。しかしそれがない。
近松門左衛門と岸田國士と岩井秀人という組み合わせは面白いと思った。だからこそ観に来た。それが結果は単に芝居を三本並べただけの演出不在。いったいこの三本に、劇団は何を見出し、何を描きたいと考えたのだろうか?
近松を現代語(口語演劇にもなっていない)で演じていることにも意味がないし、岸田は「対話劇」になり損ねている。岩井に至っては、戯曲自体が使い古された妄想話で、岩井作品の中でも質が低い。それをだらだらと演じているだけだ。それでも適当に差し挟まれる「くすぐり」で観客は笑っているが、そういう表面的な笑いに囚われている観客は、テーマが語られる部分では鼾をかいている。
ある程度の演劇経験はある劇団だから、各自それなりに勉強もしてきたのだろうとは思う。しかしただ芝居を観て、それで感銘を受けただけでは自ら「演劇」を作り出すことはできない。劣化コピーを拡大再生産させるだけだ。「また一つ化けたなあ」なんて阿呆な批評を真に受けていたら、今後もくだらない芝居を垂れ流すだけになるだろう。
満足度★
なぜ短編3本としたのかわからない
3つの作品をやることで、それぞれに相関性が生まれるわけでもなく、むしろ一つ一つに時間をかけることが出来なかったためか、作品の面白さも消えている。
「報われない思い」を描くというなら、近松作品は酷い改悪でどこにそんなものがあったのかわからないし、岸田作品も本来あったものが消えている。岩井作品は見たまま「報われない思い」だが、表面的。
やっつけ仕事ではなく、きちんと作品と向き合って作ってほしい。
作品の読み込みもせず、表面だけでやられたのでは、その作家の評価を落とすことにすらなりかねないと思うのだが。
個人的意見ではあるが、近松・岸田・岩井と並べたのでは、岩井作品だけ作品のレベルが格段に落ちてバランスが悪いと思うのだが。
現代の作家から同じテーマで、ということで探すなら、他にも候補作はあるように思う。
満足度★
演出、ちゃんと勉強しろよ
思いつきを並べてふざけているといった趣で、上演戯曲のよさを全く引き出せていないで、殺してしまっている公演だった。
演出は、勉強が足りない。もっとキチンと戯曲に向かい合うべきだ。
少し詳しい感想は、次に。
http://f-e-now.ciao.jp/20110501.html