満足度★★★
「過剰」ではなかったなあ。
暴力を振るったり、食べ物を撒き散らすといった扱いが難しいイメージを、芸術作品としてきちんと成立させる演出の手腕は高いと思いました。一方、これらのイメージそのものは決して「過剰」と言えないのが、現代の日本。「資本主義病」が世界で最も進行している国に、わたしたちは住んでいるのかもしれないですね・・・。
満足度★★★
舞台に挑発され続けたようだが
そうとは感じなかった。
生理的にキツい舞台ではないかと思っていのだが、そうでもなかった。
それは、こちらが、今の暴力的な状況に慣れて、感覚が麻痺していたのか、あるいは、演出がそこまで達していなかったのか、またはそもそも暴力を演出しているように見せかけて、それを感じさせないような演出だったのかはわからない。
しかし、どのシークエンス、エピソードも一皮剥くと、ざらざらしたような手触りや牙があったような印象がある。
そして、それらはきちんと計算され、エンターテイメント的に仕上がっていたと言ってもいいだろう。
まあ、誰のためのエンターテイメントなのかはわからないが(笑)。
満足度★★★
Versusの意味
Versus(前置詞)
1. (訴訟・競技等で)…対、…に対して
2. …に対して、比較して
観終わった後、この作品はもしかしたら作者ロドリゴ・ガルシア自身の
総決算的な意味あいを持つものなのではないか、とふと思いました。
事前情報で考えていたよりずっと詩的、かつ私的で、その背後に
彼、ロドリゴ・ガルシアという人間の一端が見え隠れするような気がした。
満足度★★
意外にシリアス
挑発的な宣伝文句からどれだけぶっ飛んだ作品なのかと期待していたのですが、想像していたよりもまとまりのある作品でした。テキストの比重が高く(しかもモノローグや字幕ばかり)、翻訳を通じてしかそのテキストに触れられないのがもどかしく感じました。
冒頭は世界各国でピザを食べる子供を見たという他愛のないとぼけた話(グローバリゼーションや浪費社会の皮肉だったのでしょうが、話しっぷりにユーモアがありました)から始まるのですが、孤独や愛を音楽や映像を伴って暴力的に描き、痛々しいシーンが多かったです。体を拘束したり、無理矢理水を飲ませたり、全裸になったりと体を張った演技が壮絶でした。
本や水、牛乳、パスタの散乱する光景は舞台空間が広すぎたのか、あまりインパクトを感じませんでした。役者は出番でないときはステージ両袖に待機していて、タバコを吸ったりしていて、役を演じているのではなく役者本人として存在していることを感じさせる演出になっていて、いっそう痛々しさが引き立っていました。
今回の作品は残念ながら心を動かされるところがあまりありませんでしたが、当日パンフに書いてあった、『自分の墓穴を掘るための鋤をイケアで買ったよ』や『ユーロディズニーで私の遺灰を散骨する』等の過去の作品タイトルが興味深く、旧作もぜひ日本でも上演して欲しく思いました。