神様はいない(公演終了・ありがとうございました・御感想お待ちしています) 公演情報 神様はいない(公演終了・ありがとうございました・御感想お待ちしています)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
1-16件 / 16件中
  • 満足度★★★★

    雨の新宿西口
    最後やっと物語が動き出した(違う、やっと止まったのかも)ところで暗転になったから一瞬頭が真っ白になった。
    外に出たらちょうど雨が降っていて、おかげで胸がもやもやしたまま新宿の街を歩くはめになりました。
    あの終わり方はたまんないです。

  • 満足度★★★

    背筋がゾクゾクっと~
    ザワつく感じで観ていました。ホラーじゃないんだけど登場人物の心の奥底に潜む神様(あるいは悪魔)に突き動かされる心情に恐怖を感じる。
    でも、そう感じながらも楽しく観劇できました。

  • 満足度★★★★

    神様はいない。
     神様はいない。なぜなら神様はいるから。

    ネタバレBOX

     神様はいない。なぜなら神様はいるからだ。

     この話はもちろん神様を否定している話ではない。

     神様はいる、だからこそいない。その一見すると矛盾している言葉が、そのままこの舞台なんじゃないかな、と思う。
     聖戦のつもりの銃の撃ち合いで、引き金を引く一瞬に神様はいないだろうし、同じようにアミンが二人を攻撃し、刺したとき、そこに神様はいなかった。だからこそ彼は「あの小説には意味があったのに!」と激昂する。
    キリコの小説には『何か』があった。そこには『意味』があった。それは一種の神様だ。その感想、感情こそが『神様』だ。例えば本を読んだり、舞台を観たり、景色を眺めたり、街を歩いている一瞬で、ふと澄み切った感情が自分を襲うことがある。その純粋で言葉にできない気持ちが『神様』に一番近いものなんじゃないかと思う。
     彼はそこに無意識ながら確かに神様を感じたのに、彼がその神様のために二人に攻撃の引き金を引いた瞬間、何もなくなっている。それは神様のためでなく、ましてやキリコのためでもなく、感情の爆発でしかない。

     アミンは話の中で感情によるテロと信仰によるテロを明確に区別している。
     「これはただの復讐です。アルカイダのやつらとは違う。」
     彼にとってそこには明確な差がある。キリコにはなんとなくそれが納得できない。彼女はその欺瞞に気がついているからだ。復讐と宗教テロを区別するアミンの嘘に気がついているのだ。
     彼女もまた、脚の障害を卑下することなく生き、トラウマを見せないことで、自分に嘘をついている。
     そして最後の最後、彼女はその嘘に自覚的になり、雨がつくる密室の中、神託のようにそれを言い放つ。
    「雨は雨、血は血だよ。それ以外の意味なんてない。」
     それはアミンに対してのものでもあるし、信一と信二に対してのものでもあるし、そして自分に対してのものでもある。
    「破壊は破壊、殺人は殺人だよ、それ以外の意味なんてない。」
     ラストシーンは僕にはそうきこえた。
     それは聞こえのいいヒューマニズムによるものや反戦の意思から来る言葉では決して無い。もっとえげつなく、もっと深く人間の欺瞞をえぐるための言葉だ。
     いくら理由をこじつけようと、そんなもの意味がない。愛や権利や正しさや利益や道徳で理由をつけてみても、何の意味もない。雨は雨だし、血は血なのだ。アミンがキリコのために人を傷つけても、それはただの感情の爆発だ。信一がいくら自由の会に心酔しても、自由の会はカルトでしかない。
     そしてキリコがいくら逃れようとしても、傷は傷でしかない。
     「母親に刺された傷を聖痕だとでも思っているんですか?」
     日下部の言葉にキリコは何も言えない。
     傷は傷だという事実から目を背けていた自分。
     母がつけた傷とその障害から何かを感じ取ろうとしていた自分。
     それらを眼前に突きつけられ、彼女は否定できない。
     彼女が後生大事に抱えていたお守り、彼女が神格化していた作家(そして宗教家)、それらに寄る辺を求めることで、意味を求めることで、彼女は自身の傷に自覚的になることを避けていたということに気がつくのだ。
     そしてその欺瞞を剥がされたとき、自分に残るのは、宗教狂いの実の母親に傷つけられたというあまりにも救いの無い事実だけなのだ。
     
     あまりにも救いが無い。だからこそ人は救いを求めるのだろう。
     そこに救済してくれる大きなものがあるのだから、そこへと向かう。僕は宗教に詳しくないので浅薄な考えでしかないが、それこそが宗教なのではないか。
     しかしそれは逃避でしかない。逃避は逃避でしかない。雨が雨でしかないように。
     それは信仰ではなく。そこに神様はいない。
     観客は、あまりにも生々しく認めたくないことを、まざまざと見せ付けられる。
     神様はいない。
     神様はいる。どこかに確かにいる。だからこそ、ここにはいないのだと言うことが出来る。
     お前らの信じてるようなもんは神様じゃねえよ、といって戦争を始めるのではなく、お前らの戦争に神様なんかいねえよ、と言い放つ。
     MUは神様を否定したかったのではない。神様を信じる人間を否定したかったのかもしれない。

     ここまで尖った、ドライにも感じられる作品でありながら、この舞台にはどこか温かさを感じてしまった。
     それは観客にとっての救いなのかもしれない。
     キリコは柔らかく美しく、それでいて激しく怒りをぶつけ、君津はコミカルに、そしてひ弱にキリコを愛する。アミンはたどたどしくも真摯に生きようとしていて、信二はただ純粋に家族を想っている。
     舞台の上で進められていく話は明らかに救いが無く、暗部へ暗部へと転がっていく。しかしそうなればなるほど、登場人物たちの性格や仕草が愛おしくなっていくのもまた確かなのだ。
     彼らが闇へと転がっていく怖さ、悲しさ。
     しかしどこか一枚、暖かい毛布がかけられているかの様に、変な安心感が舞台上には流れている。
     それは下町の蕎麦屋という設定のせいでもあるし、家族とそれを取り巻く人々のキャラクターのおかげでもある。
     おそらくこの話を別の出演者でやってしまっていたら、もっと救いの無い、暗い気持ちになる舞台が出来上がったと思う。
     しかし最後のシーンですら、そこは雨に包まれ、周囲から守られた聖域のようであり、キリコの言葉は雲の隙間から光が指すような、厳かなものに感じられてしまった。
     もしかしたら、そういう意味では、その出演者と話の組み合わせの妙に、神様はいたのかもしれない。

     80分という短さのせいで、登場人物たちに感情移入できないというのは確かにあると思う。けれどこれを長くやるなら全く違う話になっているだろうし、このオチにもならないと思う。一歩間違えれば重いだけの駄作にもなると思うし。
     あくまで今回この長さで、この流れで、この出演者で、というのが大きい、言ってしまえば偶然出来上がったような舞台なのかもしれない。
     発表する時期にしても、他の情報に邪魔をされない、いい時期の話なのではないのかな、と思った。個人的にこれはある事件の絡んで、というよりもっと普遍的なことを描いている気がするからだ。
  • 神っぽいものの恐ろしさ
    舞台にのせられたのは
    文学と神。

    不気味さの丁寧な表現から、しっかりと人の脆さや内心の闇を俯瞰させる、秀作でありました。

    ネタバレBOX

    流行らないお蕎麦屋さんの兄弟が
    現世利益の宗教にはまっていく姿と、
    神を内心に宿らせた妹との
    似て非なる心の移ろいを
    ハセガワアユムは丁寧に描いていきます。

    兄弟が宗教に取り込まれていく姿に
    粟立つような不気味さがあって・・・。
    自由を標榜し、蜜の味でたらしこんで
    蟻地獄に惹きこんでいく
    宗教の振りかざす正義に底知れぬ恐ろしさを感じて。

    その一方で、
    神を抱いた妹の内心に潜む
    神への恭順とそれゆえの破壊への衝動も
    浮き彫りにされていく。

    小説を描く者の
    内心と受け入れられる表現との折り合いの部分も
    うまく取り入れられていて・・・。

    信仰の内側にある無と有のそれぞれに翻弄されていく
    人の姿に目を見開き
    その概念をしたたかに具現化する
    ハセガワアユムの手腕に息を呑んだことでした。



  • 満足度★★

    素直に
    あっという間に時間が経ったのですが、良かったのか悪かったなのかが・・観る位置がわるかったのか・・・。よかったのかなと思います。
    すいませんこんなコメントで。

  • 満足度★★★★★

    絶望した。
    仏壇に手を合わせていても信仰心があるわけではなく、最後の神頼みをしてるくせに神の存在を信じているわけではない。クリスマスにケーキを食べて花祭りには甘酒を飲む、そんな標準的な日本人の感覚を持つ私だけど、「神を守ろうとして人を刺し返り血を浴び犯罪者になる」、そのラストに心の中で叫びました。「神様はいない!」。その時、神がいることを願っていた自分に気付き、カーテンコールの後に深い絶望感を覚えました。

    花束をバシバシ叩きつけたり、不自由な足を蹴飛ばしたり。「片想い」の方でもババァとかデブとか言いたい放題で、MUの見せる凶暴性には容赦がない。しかしそこに「人間のありのままの姿」を見出し、またそれを肯定する自分に気付き、小さな罪悪感と奇妙な快感に包まれる・・・だから私はMUの虜なのだと気付かされました。

    怖くて素敵なお芝居をありがとうございました。次回作も楽しみにしています!

    (追記)あまりの衝撃に、ラストの「雨は雨」の意味をその場では分からずにずっと考えてました。いまさらながら、他の方々の感想でいろいろ気付きを与えてもらってます。私にとってMUのお芝居は、怖いほどリアルな「己との対峙」です。このような演劇もあるのだと感動しきりです。

  • 満足度★★★★

    正攻法でしっかりと。
     宗教とテロを題材にして、「神様はいない」という挑戦的なタイトル。これだけでもとても挑戦的なので、どんなラジカルな芝居になるのかとはらはらとしていたが、あくまで正攻法で、宗教問題ではなくて作家のあり方に重点を置いて描きたかったんだということがわかった。

     重くなりそうな題材を、決して笑いに逃げることなく真面目に取り組んで、ストーリーと文体で80分、観客を引き込む。大したものだ。

  • 満足度★★★

    心してみるかんじ
    出だし二部屋のシーンのつながりがいまひとつな印象であったが、後半つながってきた。足利さんが少し雰囲気変わったかな。

  • 満足度★★★

    意外にアッサリ見れました。
    「己の神」が交錯した作品。(片思いは神の力のみ登場)
    こちらは印象深い人も・アンケートに書く印象深い言葉はなし!
    素材が戦争・宗教・平和なんですが、重い感じもなく
    80分スルリと見れてしまいました。
    スタンガンの時はまさかナイフ?と勘違いしたりしてビックリしたけど、
    楽しく拝見できました。人に勧めるのは好き嫌いが分かれそうですね。
    これ1本だけ見たらチョット勿体ない、片思いは単体でもOKですが
    こちらは単体より片思いも見てもらいたいと思います。
    でも、過剰な血は不要だったかな(後はTBへ)★は片思いより下で3

  • 満足度★★★★

    適度な濃密さ
    最近見た公演の中では、はっきりいって80分という上演時間は短いほうに入る。でも、その時間の中に適度な量のイベントが発生するお話が、結構テンポ良く進行していくので「物足りない」という印象は受けなかった。

    タイトルは「神様はいない」だが、本当にいるのかどうか私には芝居をみても結論は出なかった。神様という概念は存在することは間違いないのだが、絶対的事実として他人に主張できる人は現代の人間にはいるとは言えないだろう。でも、個人個人の心の中には神がいる人もいない人もいるのかもしれない。
    変なスイッチを押されたのか、内容が脱線してしまったので、この辺で止めておくが、非常に興味深いテーマを扱った作品だと思った。

  • 満足度★★★★

    80分がアッという間
    諸事情により特例的に繰り上げアップ…
     
    こちらはシリアスでもう一方の『片想い…』がコミカルと事前に耳にしており、しかもテーマが宗教とテロということで、若干肩に力が入り気味で観始めたら、序盤(に限らないか)に笑える部分があって肩がほぐれたばかりでなく、非常にわかりやすく、80分がアッという間。
    また、引き際が見事と言おうか潔いと言おうか、最高潮に達したところでスパッと幕切れになるのも心地好い。語りすぎず、不足もなく、余韻を残して切り上げて強い印象を残す、な感じ。

    あと、スタイリッシュな蕎麦屋(台詞に出てくる「リニューアル」によってああ改装されたんでしょうね)の1階店舗部分をメインに、2階にある長女の仕事場も上手に同居させた装置に劇団競泳水着のソレを連想。

    ネタバレBOX

    で、「神様は信じようが信じまいがかまわない、教団さえ信じていれば」という痛烈な皮肉にニヤリ。
    ハセガワ主宰は「特定の宗教をあげて敵に回したくないのでこういう設定にした」とおっしゃっていたけれど、逆にすべての宗教を敵にしたのでは?(笑)
  • 満足度★★★★

    たたみかけるスピード感
    飽きさせない。飽きさせるどころか、物語に引き込まれ、引き込まれているうちに終わっていく。演出の妙か。紅一点、足利さん好演。片想い撲滅倶楽部も楽しみになった。

  • 満足度★★★★

    舞台の空間、舞台と観客との間にある「虚無」
    前回の公演は、会場のサイズと1本の上演時間の短さで、凝縮され、こちら(観客)側と舞台との一体感を強く感じたのだが、今回はそうではなかった。

    クールなのだ。

    いい意味でスカスカ感、冷めた感が漂う。「虚無」とも言えるその感じ。それはまるでエーテルのように存在する。その感じは、演出によってコントロールされたものだと受け取った。

    80分なのに短編を観たような印象。

    演技がきれいに流れていかないところに、少し苛立ちを感じたが。

    ネタバレBOX

    作家である女性の熱が、兄弟や恋人、宗教関係の人たちのヒートアップに比べて、徐々に冷めていく。それはまるで諦め、というより諦観の域に達しそうである。

    新興宗教「自由の会」も、カジュアルという名目で、神すらいない。というより、持ち回りで神(の役?)になるという。
    宗教活動・勧誘に熱を帯びているし、入信する作家の兄たちも熱心なのだが、その本体・本質が、空しいのだ。

    書きたい小説を出版するために、マーケティング的に魂を売って、書きたくない小説を書く女性作家。しかし、その新しい小説は出版されそうにない。
    母の記憶と足の不自由さ。どちらも単に心のキズとは言い切れない、本人にもたぶんわからない深さがある。

    個人的な恨みを晴らすためにテロを考えている外国人留学生。しかし、それがどれぐらい本気なのかは計り知れない。彼は、女性作家が信じる「神」を守るために罪を犯してしまう。彼はイスラム教徒なのに。

    女性作家と付き合っているはずの出版社の男は、最近その作家が相手にしてくれないことを嘆く。
    女性作家を密かに思う大学生のバイトは、その作家には付き合っている男がいることを知っている。しかし、教団に潜入してまで、作家に尽くす。
    2人の男は「愛」という実感を求めているのだが、そこには「愛」という言葉さえまったく存在しない。
    女性作家は外国人留学生と関係を持つが、「愛」があるとは思えない。朝、同じ蒲団から起きて「すみません」と謝る留学生にもそれはない。

    兄が継いだソバ屋は商売がうまくいかない。下の兄は、外国をふらふらしていて、とりあえず帰って来て、ソバ屋を手伝っている形をとっている。そして、初版しか刷ることのない小説を書いている妹(女性作家)。

    閉塞感の漂う中に、空しく光るのは、新興宗教「自由の会」のみ。商店街や警察までに信者を確実に増やしている。

    空しい心を埋めるのは、「神」なのだろうか。「神」しかないのだろうか。
    作家の女性が信心しているのは、お守りの形をした「母の記憶」だったのだろうか。

    どこにも誰にもよりどころがなく、よりどころとしてすがりついたものの正体は、「空(くう)」だった。

    タイトルですでに答えが出ている舞台。観終わって、新宿の街に出ると薄ら寒い。それは、秋になったから、というだけではないのだろう。

    しかし、本作の説明にある「胸がざわざわするハートウォーミングストーリー」とは、一体どこで上演していたのだろうか?
  • 満足度★★★★★

    久々に見ていて退屈になるシーンがない芝居でした。

    こういうのが好き
    アユムさんが書く本、好きなんだなやっぱ。


    ネタバレBOX

    ゆらゆら帝国
    まりん

    だっだだだだだだだっ♪てのはニューオーダー??

    外人が花束をまき散らす所がすごいカッコいい。
  • 満足度★★★★

    ハードでした。
    かなり驚きの展開でした。

    好みはかなり別れそうだと感じましたが、私は好きです。


    役者さんたちの表現力はとても素敵でした。
    足利さんの演技に心惹かれました。

    もう一方の作品はポップで可愛いらしいので、そっちも楽しみです。

    ネタバレBOX

    どうなるんだろうと、風呂敷を広げるだけ広げての、ぶん投げっぱなし。

    今主流の、安易な「悪意」を描くことへのアンチテーゼなのでしょうか?

  • 満足度

    神様はいない

    思うことを台詞にのせればいいというものでもないと思った。
    劇団という形態で役者が下手ならあーあというしかないけれど、あちこちから呼んで大根揃いというのはどうなのだ。

    神様はいない。

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