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カテゴリ:ワークショップ告知 返信(121) 閲覧(7073) 2014/04/01 15:06
「三年後のイメージ」
芸名どうしようって相談受けたり、報告聞いたりすることがあります。
名前で運命が変わってたまるか!!って気持ちもどっかにありますが、
名前で運勢が変わることってあるのかもしれないと実感した経験があります。
そんな相談受けたとき話す僕自身のエピソードなのですがご参考になれば・・・
僕の本名は「佐藤裕一」で芸名は「佐藤祐一」。
本名の漢字のままずっとやっていましたが、違う場所で別々に出会ういろいろな方に
「裕の字を祐の字に変えた方が良いよ。」って
どっきりカメラ?なんでみんなおんなじこと言うの???ってくらい
それぞれ別々の時や場所で同じこと云われることが続いたので
それならと「ゆう」の字を変えてみました。
もともとなんとなく本名のまま活動を始めて、名前云々は気にしていなかったので。
漢字を変えるとき、今度はいろいろな方に
三年はかかるよ。改名の効果が出るのに三年はかかるからね。と
これまた何人もの方に別々に云われました。
で、実際改名して2年以上経った頃からオーディションの打率が上がり
仕事の量が増え、丁度3年から改名4年目に入る頃、目に見えて仕事が忙しくなり
演技で食べていけるようになりました。
いろいろな方に話しを聞くと、名前を変えたことを自分の潜在意識が
受け付けるのに時間がかかる。まして、周りの方々の潜在意識に
定着するのに時間がかかる。この人はこの名前になったんだ、って
自分自身すんなり名前を受け入れられ、周りからもそれが当然のことと認識されて
からでないと改名の効果は出ないと云われています。
同じように改名した方と話すと、やっぱり三年くらい経った頃から・・・という方が多いです。
自分の意志で変えた名前でも自身の潜在意識がそれを受け入れるのには
時間がかかるものなのかもしれませんね。
結果的に僕は漢字を変えて良かったと今では思っています。
名前を変えることで本当に運命が変わるものなのかどうか、
確固たる証拠を示すことはできないけれど、新しい名前を書き、読み、名前が自分自身に定着して
新しい名前の字の印象が自分に馴染んだと感じた頃から
仕事の質も量も変わってきたのは自分でも不思議な経験でした。
三年、っていうと長くてうんざりするかもしれないけれど、
今思うと、名前だけでなく、中身も新しい自分に生まれ変わろうとしたら
三年て僕にとっては振り返ると案外あっと言う間でした。
これから改名される方には、そんな、
自分の中からの変化を感じられる三年間を過ごしてほしいなと思っています。
僕は仕事柄毎週いろいろな方と出会います。
人間て面白いし愛しいと感じます。
素直にそう感じられるうちは、自分自身
「演技」を生業とする資格があるのかもしれないとも思います。
どんな心持ちで演じたら良いのか、
またレッスンしたら良いのか考える時、
思い出す言葉がいくつかあります。
30歳を過ぎて劇作家を志した秋元松代氏が
表現の創作に対して途方に暮れた時
三好十郎氏が伝えた言葉、これもよく思い出します。
「あなたが、これだけは ぜひともいいたい。
それをいわねば、あなたの精神の大切な部分が
錆びてしまうと思うことが 一つはあるでしょう。
それを分かりやすく 誰か一人の人に
話しかける気持ちで書けばいいのです。」
作家と演技者は表現方法が違うけれど
「伝えたい。分かってほしい」が原動力なのは一緒な気がします。
本を読むことと演技を観ることも鑑賞方法は違うけれど
「自分だけじゃないんだ」と感じたい気持ちが動機なのは一緒な気がします。
こんな心持ちでレッスンをしていきたいといつも思っています。
ヴォイス&アクターズ道場は専用稽古場の一角に音声ブースがあり、
レッスン生は希望すればいつでも
ヴォイスサンプルを作成したり、アニメやナレーションの
本番やオーディションの前の練習に使用もしています。
よくヴォイスサンプルどんな内容で作ったら良いか相談を受けます。
どんな内容が良いかはその方のキャラクターや
経験値を考慮しなければいけないので、一概にこう!と
大ざっぱなアドバイスは避け、具体的に希望を聞くようにしているのですが、
これはやるべきではない、という僕の考えは一致しています。
「盛らないこと」
ヴォイスサンプルの使用用途にもよるのですが、
声優やナレーターのオーディションの為のサンプルだったら
声のバックにずっと音楽を流してDJ風にしたり、
声にエコーをかけたりするのは逆効果です。
オーディションに提出する顔写真に例えると、
今はプリクラなどで、実物より目をずっと大きくしたり、
顔の輪郭そのものも修正・加工できてしまうけれど、
それをオーディション時、「これが私の素顔です!」と
スタッフに配ったら・・・・・笑われますよね?
修正や加工してるかしてないか・・・・・スタッフなら分かるし
人によってはオーディション舐めてんのか!って怒られると思います。
声のオーディションでもそれは同じ。
そりゃあバックに音楽流して演出して、声にエコーかけた方が
同じ人が同じ内容なら上手く聞こえやすいです。
でも内容や口跡の技術ではなく、そういう音演出的な盛り方は
作品の素材として、キャスティングの出会いを求めているスタッフからしたら
「下手なのを誤魔化したくて音楽流してエコーかけている。」と
否定的聞き方をされてしまうことが多いです。
「盛ってる」→「誤魔化してる」と思われることは避けるべきです。
完成品として、例えば自身のHPを訪れてくれた方に
自己演出の作品として聴かせる為のものなら、音楽やエコーも
好みで自由にするべきですが、素材として作品のパーツを
決める為のオーディションでは演出過剰は疎まれることが多いです。
先日、ある舞台を観に劇場に行った時のこと。
ある作家と女優の関係を赤裸々に描いた舞台で、
僕の数列斜め前に女優さんが座られました。
舞台の登場人物のモデルとなった方です。
あらすじを知っていたので、作家を挟んでの三角関係の確執を
激しく描く舞台で、明らかに自分のことだと分かる人物の描写を
客席から観る気持ちってどんななのだろう・・・
余計なお世話の心配をしましたが、
客席で旧知の観客にご挨拶される彼女の顔は晴れやかで、
突き抜けた表情に見えました。
開演した舞台では結婚という形は取らなくても
一人の人を一生かけて愛する迷いと幸福、
先に死なれた後悔が描かれ、
斜め後ろの席からも彼女が時折涙をぬぐうのが見て取れました。
終演後ご挨拶に行こうかと思っていましたが、観劇中のご様子と
開演前とは打って変わって閉幕後の客席で、サングラス、マスク、帽子等で
どなたか分からないようにされているのを見て遠慮しました。
ご主演の作品でご一緒させていただいたのはもう随分前になります。
亀山助清さんが主人公のお相手役で、収録で助清さんにも親切にしていただきました。
舞台上で描かれた人物たちは女優の彼女を遺して皆さんあちらの世界へもう旅立っていて、
助清さんも昨年旅立ってしまった。寂しい。
寂しいのだけれど遺された人間は生きていかなければいけないし、
せっかく生きているのだから去年よりは今年、先週よりは今週。
亡くなった方の分まで、と言うのは確認の声が聴けない以上
もしかしたら生きている人間の傲慢なのかもしれないけれど
そう思うことが今を生きる原動力になるのなら、亡くなった方も許してくれるのではないか・・・・・
何が伝えられるだろう、そもそも伝えるって何だろう・・・・・
いろいろなことを考えながらレッスンに向かう自分がいました。
昨日23(火・祝)、稽古場を会場にしてアトリエ公演を行いました。
前夜19時にプレビュー公演、祝日12時、16時二回公演でした。
本番全て、熱気と繊細さが同居した良い時間でした。
作品選び、制作、演出全てレッスン生たちの自主企画公演。
せっかく専用稽古場があるのだから、ぜひ活用してほしい。
外の劇場を借りると予算も膨れ上がって大変になる可能性が高くなるけれど、
アトリエ公演ならばプレッシャーも負担も極端に少ない環境で
やりたい表現に集中しやすいのが理由です。
同じだけやる気がある人ならば、自由に使える場があった方が
伸び伸びと何度も自分の表現の可能性を試しやすい。
期待に応えた熱演を魅せてくれて本当に良かった。
設備面では改善を加えていかなければならないですが、
これからも、稽古場のスペースと利用しやすさを活かして
レッスン生が創造面以外のプレッシャーが無く
演技創作に集中しやすい環境を作っていきたい、
やる気に応えていきたいと思いました。
ヴォイス&アクターズ道場では、現在演技レッスンをお探しの方を対象に、
通常のレッスンを丸々体験していただく無料体験レッスンを行っています。
通常のレッスンですのでどうしても見学中心になりますが、
ウォーミングアップ、発声練習の丸ごと体験はじめ、
台詞術、ナレーション術って具体的にはどういうものなのか、
必ずマンツーマンで伝えられる時間も設けるようにしています。
レッスン後、こちらも今後の改善の為にご感想をうかがいたいので、
ご感想を聞かせてくださいとメールでお願いしています。
先日いただいたメールに・・・
「無料体験なので短い時間覗くだけだと思っていたら
4時間以上ガッツリ体験できて驚きました。
肉体訓練、発声練習方法はじめ、台詞の覚え方、忘れ方の人による傾向の違い、
初見に強い弱いの差はどこからくるか、台詞に心が籠ったと多くの人が感じるポイント、
テクニック的なことだけでなくメンタル面についてまで
具体的に何を変えれば良いのか教えてもらい刺激になりました。」
とあって、読みながら大変嬉しかったのですが、この後が・・・
「無料でこんなに洗いざらい大事なことを教えてくれてありがとうございました。
演技の練習の仕方が全部分かったので、教えてもらった通りウチで練習すれば
どこに通わなくても自分ひとりで演技が上手くなれる自信が付きました。
佐藤さん、無料でこんなにいろいろ教えてくれると自分が損ですよ。
私は全部タダで教えてもらえたのでラッキーでした、ありがとうございました!」
↑ほぼ原文のまま(笑。原文はもっとくだけてますが)。
う~~~んそう来たかぁ・・・。
確かに訓練法からメンタル面での心構え、対処法、
演技テクニックと呼ばれるものが具体的にはどういうものなのか、
いくつも紹介したけれど、あれで全部じゃないんだけどなぁぁぁぁ
体験参加者のいるいないに関わらず、僕はレッスンで出し惜しみをするのは嫌なので
その場で必要と思ったことは何でも伝えるように心がけているのですが、
それが平気でできるのも、演技の泉というのは汲んでも汲んでも尽きることのない
深く果てしないものだからで、だからこそ自分の持っているテクニックや考え方を
惜しみなく与えても、僕自身が目減りしていない実感を持てています。
例えばバレエのレッスンを一度受講すれば、足一番というのがどんな形なのか、
ピルエットがどういうものでどんな風に練習するのかは知ることができるけれど、
情報を知ったこととそれが知識となりバレエが実際踊れるようになるのは別物。
見えることとそれが出来ることは全く違います。
・・・って返信しようかとも思ったのだけれど、やめました。
「お元気でがんばってください。」と返信。これでいいよねと自分を説得。
演技が魅力的になるのがそんなにたやすいことだと思われたのは複雑だけど
逆に言えば簡単に思えるくらい、レッスンのみんなが活き活き楽しく見えていたんじゃないか、
演技する喜びは伝わったんじゃないか。
例え無料体験レッスンであっても、僕は自分のレッスンに出た方に
参加して損した、出なきゃよかったと思われることは絶対に嫌な性分で、
少なくとも、そうは思われないだけ良かったです。
演技する、思いのまま演技するなんて今の自分とは遥か遠く離れた途方もないことだと
僕自身がかつて思っていたけれど、そうじゃない、誰でも気軽に始められて、
始めれば分かる、もう既に自分の中に眠っていた思いたち、
出し方を知らなかっただけの思いたちを解放してやれるんだと
そのきっかけにもしかしたらなれるかもしれない。
いろいろなことがあるけれど、無料体験レッスンを続けていきます。
レッスンは一期一会、真剣に演技してくれればくれるほど
二度とない瞬間ばかりに立ち会えて、稽古場にいる幸せを感じます。
レッスンの基本的なフォーマットはあるのですが、
メンバーのリクエストや状態に合わせて、伝える重点はドンドン変わっていきます。
同じメンバーに一度は詳しく説明、体感してもらった内容でも、
まだその方自身の実感にまでは昇華できていなくて、
もう理解したテクニックだよね?と振ったら、困った顔されてしまい反省しました。
伝えたいことがあんまりたくさんあり過ぎて、次から次へと紹介してしまう、
それも良いのでこれからも続けるけれど、一つのテクニックをアプローチを変えて
伝え直すのも大事だなと。今更ながら再確認。
この一週間で言えば(以下は勝手に付けたタイトルですが)
「利き目でリードした方が気持ちが反映されやすい」
「オーディション対策は原稿用紙より短冊で」
「起こしにいってはいけない、けど待ってるだけでも来ないもの」
「気持ちのスイッチの入れ方の種類、イントロの尺を把握しておく」
などが、かつて伝えたことで今週???な反応が返ってきたものたちでした(反省)。
レッスンは基本、シーンスタディ(場面演技)が中心で、
そこで生まれた疑問や課題を消化していく為、テキストから脱線して
即興・エチュードを取り入れたり、なぜこう動くとこういう印象に変わるのかを
理論的にレクチャーしたりしています。
どんなに論理が分かっていても実際の現場で実践できなければ意味がないので
あくまで実践主義。やってなんぼ、何度も何度もやって失敗してみて
改善点を考えてまたやってみて・・・がレッスンの基本的な流れです。
俳優術として取り入れられるよう
俳優のためのアレクサンダーテクニック、パントマイムなどのレッスンもしていますが、
実際の台本、実演中の役のブラッシュアップのため、先生方に指導をお願いすることもあります。
ちょうど今、土曜夜のレッスンでは井上ひさし作「組曲虐殺」のシーンスタディ中。
小林多喜二の受けた弾圧と暴力を描くテーマを舞台芸術に昇華させるために
作者はあえてスラップスティック的な動きや戯画化された表現を俳優に求めています。
思い溢れる台詞の応酬と併行してマイム的な表現や日常的なリアクションを大きく開いた形で
演技の流れの中に取り入れていく作業。メンバーそれぞれがゼロから、
まずイメージを持つ、それを具現化する、なんかおかしいなんか伝わらない、
その「なんか」を言葉にして問題を浮き彫りにする、演技の要素を変えてみる・・・
そうして立ち上がってきた場面は、最初の初見本読みの時と同じメンバーと思えないほど
戯画化された動きの中にも台詞のキャッチボールに真実味が生まれてきて素敵な時間でした。
でももっと良くなるはず、普段道場のカリキュラムで
俳優のためのパントマイムレッスンをお願いしている若林幸樹さんにブラッシュアップをお願いしました。
メンバー同士で練ってきた表現を、専門家の若林さんに見てもらい、
重心をここまでかけた方がコミカルな味わいにできる・・・
このリアクションの動きのここからここまではスローモーションにして笑いのタイミングを合わせやすくしよう・・・
など、メンバーが表現したいイメージの理想に近づけるよう手助けをしてもらいます。
いわゆる「振り付け」作業とは違い、メンバー各自が創造した動きを生かして伸ばすレッスンです。
若林さんも台本を元に振り付けは考えてくださるのですが、メンバー次第で全捨てOKで指導していただきます。
その柔軟な姿勢に感謝すると共に、最近ではバレエダンサーにもパントマイムを指導していらっしゃる
若林さんのレッスン、僕自身とても楽しみにしています。
ウォーミングアップや発声練習から始まる通常のレッスンの合間に、
ナレーション・台詞術の補講レッスンの時間も毎回取っています。
結果、レッスン日僕の実働時間は10時間半。
途中15分の昼食時間を取る以外はほぼずっとレッスンしています。
継続は何とやら。10時間半レッスン後帰宅すると、以前は放心したりしてましたが、
今ではレッスンメンバーから「今日は何時までしかいられません。」と
事前に云われた時間まで演技レッスンし続けてももっとやりたい!
余力が残ってもっともっとと感じています。
無料体験レッスンは、現在演技レッスンをお探しの方に
当養成所の通常レッスンに丸々参加していただき、
僕のレッスンの質と量が価値のあるものか直接判断していただきたく開催しています。
通常のレッスンそのままですので、シーンスタディの後半、あらかじめ覚えてきた台詞の応酬や
演技を練り上げる回などだと、どうしても体験参加者は見学中心になってしまいますが
(そんな回でもウォーミングアップや発声練習は丸々体験していただけます)、
ナレーション・台詞術レッスンでは必ず実際の演技参加してもらうようにしています。
台詞術、ナレーション術というのが具体的に何を指すのか分からない方でも
普段、芸能を見聞していて、なんか台詞に心が籠っているなぁ、
なんかナレーションが聴きやすいなぁと感じたことはあるはず。
その「なんか」の部分、ヒトが人の声を聞いて心が動く要素・ポイントを
僕はこう考えています、というのを具体的に説明するようにしています。
テキストはこちらで用意していますが、お好きなものを持ち込まれても構いません。
どんなテキストをその場で渡されても、僕が伝えたい
演技が人の心を動かす要素・ポイントは同じです。
僕のセンス、テクニックが必ずしも絶対だとは思わないけれど、
人間は比較の対象がないと、なかなか自分のセンスを言葉にしづらいものです。
僕の演技のセンス、テクニックを無料体験してもらうことで
ご自分がどんな演技を求めているのかを認識してもらいたいと思っています。
長くやり続けていると、いろいろ相談されることがあります。
「漫画家になりたいんですけど、道具はどこで買ったら良いんですか?」
という質問にはさすがに絶句しましたが(なぜ僕に訊く・爆)、
演技に関係する相談には極力真摯に聞き答えるようにしています。
僕自身、東京に出てくる前は、出てきた後もずっと、自分が演技修業を始めたくても
何をどうしたら良いのかまるで分からず、何一つアイディアも浮かばず不安で不安で
文字通り雲を掴む思いでした。あの頃の怯えて怖がってばかりの自分を忘れません。
僕の耳に入ってくるのは数か月に一度の頻度なのだけれど、実際世の中には
こういうケースがゴロゴロしているのかも・・・と思わされることがあります。
「ウチの所属タレントにしてあげるから幾らいくら払え。」と云われたんですけど・・・というハナシ。
僕が10代の頃から(もっと前からも)ありました・・・・・
僕は今所属しているプロダクションにも、他にマネージメントをしてもらった事務所にも
1円もこちらからはお金を支払ったことはありません。それが当然だと思っています。
誰かが僕の表現に対してギャラを支払ってくれる場合、それには消費税が付きます。
僕の話す姿を、僕の表現を「買ってもらった」んです。売り物なんです。
商品なのだから買われてなんぼ。もらってなんぼです。だからこそちゃんと仕事をします。
責任を持ちます。
演技に対する評価って、業界の中でもきちんと言葉にすることができなくて
漠然と誉める、というのがまかり通っているせいもあるのだろうけれど、
いいねいいねいいねと持ち上げて、ウチでぜひ貴方を売らせてほしいと云っておいて
「じゃあ何十万のお金を納めてください。」っていうの・・・・・ヘンだと思いませんか?
本当に貴方を売りたいのなら貴方自身からお金は取らないのがスジでしょう。
HPにプロフィールを掲載するのにもお金を取り、その事務所を辞めたいと言えば
またそれでお金を取り、HP上のプロフィール削除料と称してまたお金を取る・・・
HP上のプロフィールを一つ削除するのにどうして大金がかかるのか・・・
契約時何も聞かされていない支払が派生して派生して・・・
実際には何一つマネージメントしてもらえなかった。そんな話しを実によく聞きます。
どうしたら俳優・声優・タレントになれるのか・・・自分の夢への対処法が見当つかない人の
足元見て理不尽に金銭を要求された話しを聞くと、本当に腹が立ちます。
「ピーターブルックの世界一受けたいお稽古」を観ました。
演出家の演技レッスンを収録したドキュメンタリー。
東京での上映最終日の最終回、自分の本番が終わってダッシュ、
滑り込み間に合って嬉しかったです(その後予定変更して
ロングラン上映に切り替わったそうで、素晴らしい!)。
演技表現のための、という枠では収まりきらない、むしろ「生きていくための」
綺羅星のごとく問いかけられ語りかけられ続ける珠玉の言葉たちを
浴びるように聴き酔いしれました。
「マハーバーラタ」、「テンペスト」、「桜の園」などの来日公演を
観に行って受けた衝撃や感銘がありありと甦ってくる幸福な時間でした。
銀座セゾン劇場のジーンズシート・・・懐かしいなぁ。
パリに行った時、ピーターブルックの本拠地案内してもらって、
シーズンではなかったので作品の上演は観られなかったのだけれど
「その場にいる」だけでしばらく動けなくなるほど感激したことも思い出しつつ・・・
映画で特に印象的だったのは、日本の俳優ヨシ笈田さんの軽やかと重厚さ。
即興演技中、ブルックのダメ出しに演技を全捨てしてスタート地点に戻る
足取りに演出家への尊敬を一瞬で感じ、真摯なユーモアとでも呼びたくなる
稽古場での「居方」が素晴らしい。創造のためにそこにいる。
演技が始まれば重厚な存在感で、清水をもう一度濾過して鮮度を求めるような
余分なものを足さない、必要なもののため引き算していくような動きと
丹田から響くような声のリアリティ。演出家の発言を逃さず受け止めようとする
聴く姿勢の開かれたたたずまいの軽さと演技中の重厚さの対比が印象的でした。
緩急自在というか静動自在というか・・・「自在」という言葉がふさわしい。
素晴らしいです。著書「俳優漂流」の内容そのままに、
やるべきことのため、ただそこに自然に存在している。
眼福の時間。
たった今、ここで起きたことを、自分の心の中に何が起こったかを
言葉で説明することによって相手と共有する。
自分自身にも言葉にすることで再体感できるようインプットしてやる
大切さを目の当たりにしました。
イメージを具体化したいけれど出来ない。
と言うか、どうしたら良いか分からない。
演技が上手くいくいかないの前に、何をどうしたら
自分の「こうしたい」イメージに近づけるのか、
途方に暮れている方が多いのを感じます。
それは演技者だけでなく演出する側も同じで、
「なんか違うんだよなぁ」の何が違うのか具体的には
演出家から云ってもらえないことがほとんどです。
僕が今まで実際に現場で云われた演出の言葉に
「今より5%幸せそうにして」、「もっとガァーーーッって演技して」、
「今の台詞がピンク色だとしたら朱色の言い方に変えて」、
「この場面だけ原始人みたいにして」、などなどいろいろありました(遠い目)。
演技は気持ちでやることが大事。でも気持ちがどんなにあっても
「出し方」が分からないと伝わりづらいもの。
だからと言って技術ばかり目につく演技もイヤらしい。
心と技術両方のバランスが必要で、
どっちかだけの演技は淋しい印象を残したりします。
難しいですね。永遠の課題だけれど、演技の「技術」の中には
心をそこに持っていく、不確かな「感情」を使うことも技術の内だからこそ
演技表現に人は魅せられるのだと思います。
理論は必要で基礎知識ももちろん大事だけれど、
体感出来なければ絵に描いた餅になってしまう。
上記のようなダメ出しをされた時、僕の場合はどうしたか、
その方法が貴方には有効かどうか、分かるように再現するのも
レッスンの常になっています。
僕の伝えることを鵜呑みする必要はなく、共感出来るかどうか
比較対象を持つことで自分のセンスについて考え掘り下げて、
自分のイメージを具体化出来るようになってほしいからです。
16(日)は10時~19時のオープンクラスで倉持一裕氏による
「俳優のためのアレクサンダーテクニック」レッスンを開催しました。
基本、倉持氏のレッスンは、あらかじめ用意したカリキュラムに
参加者をはめ込むのではなく、参加者自身の望みを聞いて
じゃあ今すぐこれをやってみよう、という臨機応変柔軟なスタイル。
毎回好評なレッスンなので当たり前のようにやってもらっていますが、
誰にでもできるスタイルではないです!
アレクサンダーテクニックのレッスンが初めての方は、
自分が何を望んでいるのかそれ自体を言語化できない可能性があるので
僕も9時間のレッスンに参加。船頭多くしてはマイナスなので
いざという時のフォロー役のつもりで稽古場の後方にいました。
各人の身体のメンテナンスから今取り組んでいるシーンスタディの
演技中起こる「なんかしっくりいかない」を改善するレッスン。
深いのにシンプルで何より分かりやすい指導で
アレクサンダーテクニックが初めてのメンバーへの危惧は不要でした。
僕自身、演技講師としてどう振る舞うべきか個人レッスンを受けていて
聞いた発想や説明が、今回より分かりやすく自分に沁みました。
倉持講師の伝えたいことは揺るぎなく変わらなくても
伝え方に、より相手の理解度を確認しながら進行していく余裕が感じられ
その「ハンドルの遊び」がアレクサンダーテクニックの本質と重なり
レッスンの受けやすい空気感を作り出していました。
以前受けたレッスンよりも大きな船に乗っているような印象。
それと同時に、若干伝え方は違ってもほぼ同じことを聞いているのに
前の自分とは響き方が違うのを実感。
人は自分が準備出来た分だけ進めるものだと、昔云われた言葉を思い出しました。
9時間が短かったです。
僕が道場のレッスンをやり続けて良かったと思える大きな一つは
自分が辿ってきた道を振り返れて、後悔や反省にも意義を見出せることです。
自分で書くのも何だけど、赤っ恥いっぱい掻いてきたし、
不必要に傷付いたり凹んだり・・・やり直せるものなら、ばかりです。
俳優を志す人の辿る道、もちろん個々人ごとに違うし
全てのケースがレアケースではあるけれど、いろいろな方の
「今の悩み」を聞いていると、あぁ自分もそうだった、極似の体験をしたと
膝を打つことが実に多いです。てか、毎回膝打ちまくり!
でも悩みを打ち明けてくれるレッスンメンバーの言葉が
逐一自分の身に沁みて、自分が特に無理をしなくても
我が事のように真摯に聞いて何を今言えるだろうと考えられる、
その為にもしかしたら、今まで自分はたくさん失敗をしてきたのではないか、
反省や後悔も無駄ではなかったのではと思えるのが
僕自身にとってレッスンをしていて一番のフィードバックなのかもしれません。
他所でのレッスンや現場での演出家からのダメ出しの内容が
人格否定の類のもので、真面目な人ほどその言葉を正面で受け止め
言葉を自分の中で育ててしまい、自分は駄目な、価値のない人間なんだと
いつしか自己暗示に陥ってしまう相談も、実に頻繁に聞きます。
「実に頻繁に」という言葉をあえて使ったのは、
聞かされることにウンザリしているからではなく、
これを読んだ今悩んでいる誰かが「私だけじゃないんだ。」と
考えるきっかけになればと思うからです。
僕自身、人格否定的な言葉に稽古場や現場で傷付き、塞ぐ自分が余計に情けなくて
結果、演技がドンドン悪くなっていった思い出がそれこそ山のようにあります。
どこが良くないとその演出家が感じたのか、それを具体的に言葉にできず、
人間性がどう、人格がどうこうという話しに持っていってしまうのは
はっきり言ってその演出家サイドの力量不足です。
確かに演技というのは技術だけでない、「心」という自分自身でもどうしようもない
漠然としたものも使ってこそ成立する表現で、演技術・テクニックの中には
自分で自分の心をどこへ持っていくか、という技術も含まれていますが、
結局、演技者も演出家もお客様に観て聴いてもらえるのは結果だけ。
ひどい本番を披露した後、「いやでも私たち人間性は良いんですよ。」と言い訳したところで
誰も何も喜ばないのが現実なのなら、レッスン、稽古の段階でも演出家は結果重視、
結果の具体性をどうこう言うべきでしょう。
人格、人間性の話しになったら誰にも、その演技者はもちろん演出家にだって
人間性の何たるか本当のところは一生掴めない実体の無いものなのだから。
正解が一つでないことを追い求めるからこそ、演技の場では具体的な言葉が必須です。
どこにも出口の無い悩みの種を、ただ感情的に俳優に、それも若い俳優にぶつけるのは
能力ある演出家のやることではないと思います。
演出家のダメ出しの言葉を真摯に受け止め考える、それは美徳ですが、
演出家だってピンキリ。仮に素晴らしい演出家だって人間なのだから時に間違えることだってあるでしょう。
出口の無い命題を悩み続けて萎縮して、自分で自分を追い詰めないでほしい。
その日良い演技ができなかったのは、その日良い演技ができなかっただけのこと。
それ以上でもそれ以下のことでもありません。
「一生じゃ足りない」
本番の現場でも稽古場でも毎週たくさんの方に会うのが常ですが
この時期、体調を崩している方が特に多い気がします。
健康には留意したいですね。
立て続けになってしまいましたが今週、
僕はお世話になった方お二人のために喪服を着ます。
訃報に接するたび、目をかけてもらい大変お世話になったのに
どうしてお元気なうちにもっと会っておかなかったのだろうと
後悔ばかりです。
現在一日仕事が休みになる日が二週間に一日くらいの割合で、
その休日も結局は仕事しているカンジなので、
また会いたい話したいリストは溜まる一方。
こうして人生がドンドン過ぎていってしまうことに
手も足も出ない毎日なのですが。
仕事がとにかく遣り甲斐あり充実していることと
最後にその方に直接お会い出来た時の思い出に慰められています。
自分と向き合ってかけてくれた言葉が声と共に甦ります。
励ましてもらいました。お世話になりました。
表現の道に生きる先人たちの言葉、
若い時聞いた言葉が今、大きな実感を持って不意に胸に響くことが多いです。
葛飾北斎は百歳を超えた頃の日記に
「今、画の描き方を学んでいる。」と書いたそうですが、
実感であり事実でもあったのでしょう。
「八十歳を超えてやっと少し分かってきた。」
「一生じゃ足りない。せめて二生欲しい。」
心の飛躍に身体が追い付かない、
生きていたいイコール表現していたい、叫びのようなものを感じます。
「1レッスンのボリューム」
現在、ヴォイス&アクターズ道場では
木曜 9:00~13:30、13:45~14:45、15:00~19:30
土曜 11:00~15:30、15:45~16:45、17:00~21:30
日曜 9:00~13:30、13:45~14:45、15:00~19:30
の時間帯でレッスンを開催しています。
最初、例えば木曜なら前半のレッスンは9:30開始、後半のレッスンは19:00終わりと
していたのですが、参加メンバーが自主的に30分早くウォーミングアップを始めるのが通例になり、
後半はレッスンが乗ってきて「じゃ、最後にもう1回通して演じてみよう!」な展開が通例になり、
今では毎週、少なくとも一週間30時間はレッスンをしています。
どんな少人数、先日も風邪などで欠席が多く、なんと1対1での4時間半レッスンでしたが、
稽古場で試してほしいこと、こちらが伝えたいことはそれこそ山ほどあるので、
時間が余ることなどありませんでした。演技レッスンは心底楽しいです。
実質4時間半の1レッスンですが、例えば場面演技(シーンスタディ)では
全員がたっぷりの台詞量と様々な感情表現を求められる役であることを前提に
基本的に二組、多くても三組しか作らず、30分間前後の場面の演技をレッスンしています。
喜怒哀楽を出せない役はカウントしません。
毎レッスン喜怒哀楽の幅の大きさを体感してもらいます。
僕自身がこれまで様々な演技レッスンを受けてきて、演じる場面の短さや
役柄の演じ甲斐の不公平さが不満だった思い出が多く、あれこれ試して
今のこのスタイルを実行しています。
最初の30分は体操・発声練習などのウォーミングアップですが、その後の4時間、
演技をやっては見てまたやっては見てどうすれば良いか考えてまたやっては見て・・・
ひたすら演技し続け、考え続け試していきます。
レッスン案内のチラシには、「1レッスン中、一人あたり最低90分は演技し続けられる」と
控え目に書きましたが、実際にはそれ以上です。
同じだけやる気のある人なら、何度も自分の表現を試せる場に身を置いた方が成長が早い。
その実感から、これからもこのレッスンのボリュームは守っていこうと思っています。
http://yuichisato.com/
「シーンスタディ仕上げの前夜に」
シーンスタディ(場面演技)のレッスンで使うテキスト選びには
いつもたっぷりと時間をかけます。不公平感が無く、
どの役も感情の起伏を幅広く求められ、たっぷりの台詞と格闘できる役。
たいてい約30分間のシーンを繰り返し繰り返し演じますが、
その為の台本を選びながら自分一人で音読。全員の台詞の数と量も数えます。
「自分だけ演り甲斐の無い役を振られた。」
そう思われるのは絶対に避けたいからです。
木曜午前のクラスのシーンスタディは現在、井上ひさし作「太鼓たたいて笛ふいて」をやっています。
今年初めて台詞を覚えるという行為に挑戦し始めたばかりのメンバーもいるクラスで
ハードルの高さを懸念しましたが、そんな心配は無用でした。
初見でいきなり立ち稽古を始めた時は、各々が文字面を追うだけで手いっぱいでしたが
翌週からの立ち稽古では早くも言い回しに思いを籠める実験がそこかしこに見られ、
台詞に意識が向くとアイコンタクトが疎かになりがち、相手役との交流に身を任せると
台詞のタイミングがずれていく・・・こうしたいというイメージに自分の表現が追い付かないジレンマに
彼ら自身が苛立って、凹んで、そこからもう一回、もう一回と演技を何度も試みる様子は
見ていて清々しかったです。
長台詞との格闘も、ざっくり概念を掴む段階から今は一字一句、作家の要求通り
句読点で気持ちを変化させることにもこだわり、言葉言葉言葉に取り組んでいます。
改めて井上氏の紡いだ言葉の美しいチカラと共に、レッスンをやる楽しさを感じています。
そんな今回のこのテキストのシーンスタディ・レッスンも明日で多分終わり
(多分と書いたのは、演技の出来次第だから。必要あればもっと掘り下げます)。
初めの頃と明らかに変わった彼らそれぞれの役の姿が見られなくなる寂しさを感じています。
明日は朝9時から19:30まで、ウォーミングアップからシーンスタディ、ラジオドラマ収録、
台詞・ナレーション術、殺陣、時代劇の初立ち稽古と続き、
その全部に新潟から参加、10時間半レッスンした後22時まで自主練するメンバーもいます。
自分を変えたい向上させようとする思いを、モノの例えではなく本当に「熱」として稽古場で感じます。
その思いに応えたいし、また彼らが望むスキルを自分が持っていることを嬉しく思います。
明日はどんなレッスンになるだろう、こうしようああしようと考えるこんな時間が楽しく、
いつも通り明朝も稽古場に行きたくてウズウズしながら目が覚めそうです。
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「やる気の計り方」
僕は今は自分自身がレッスンを受講する側と、自分がレッスンする側と
両方を進行していますが、かつてレッスンを受講する側のみだった頃、
受けるレッスンのフォーマットに対して
「どうして一人あたりの演技時間がこんなに短いのだろう?」
というのが最大の疑問であり不満でした(イヤな生徒ですね・苦笑)。
自分がレッスンを開催する側にもなり、経済性の優先や
一人ずつ個別に具体性のある実のあるアドバイスが出来ない講師側のスキルの都合など、
1レッスン120分!と謳っていても実際には10分しかやらせてもらえないレッスンが
なぜ世の中の演技レッスンの大半を占めているのかを理解するようになりました。
早い話し、儲けたければ少人数制長時間レッスンは開催出来ないし、
一人ひとりにそれぞれの演技の感想やアドバイスを具体的に言うことは
レッスン講師の底の浅さがバレやすいです。
緊張している受講者に1回か2回、たまに珍しく3回、ほんの短い台詞を言わせて
「なんか違うなぁ、フィーリングが違うんだよねぇ、はい次の人」、
「滑舌悪いね、練習しといて、はい次の人」、
漠然としたことしか言わないレッスンのなんと多いことよ
緊張していれば上手く演技出来ないのはプロも同じです。
もちろん緊張との闘いは結局は自分自身で何とかするしかないものだし、
個人レッスンでなくグループレッスンだから限界があると云うのなら
せめて、緊張についての参考になるレクチャーをしたり、
ここにこう緊張が表れていたから演技がこうなってしまったのでは?と
具体的指摘から一緒に解決を考えていきたい。
講師自身はそういう時、こういう対処法を取っている。など
正解が一つでないことだからこそ、講師が具体例を出して、
自分の失敗の恥もさらけ出す必要があると感じます。
稽古場は恥をかいたり失敗をするところ。
それが求められるのが受講者だけなのはおかしい。
・・・・・前置きが長くなってしまった(汗)。今日書きたかったのはここから先です。
少人数で、しかも一人あたりの1レッスンの演技時間最低90分というレッスン展開していると、
遣り甲斐は大きいですが、困るのは欠席者が出ることです。
今月は年末なのと天候等によるアクシデント、また体調不良者も多く当日連絡の欠席者が多かったです。
当日開始時間間近の連絡になったのは、ギリギリまでレッスン出席したくて調整していたのだなと友好的解釈で受け止めつつ、
レッスンのシーンスタディで代役を立てるのは嫌いな僕としては「さぁ困った!」な場面が多かったです。
やっつけレッスンなんてしたくない。欠席者が多いレッスンだからこそ、
出た人に「得した!!」と思ってもらわなければ気が済まない性分なんです。
そういう意味でレッスン講師として、鍛えられることが多いのも少人数制長時間レッスンの良さ。
当日連絡で結果、マンツーマンで4時間レッスンの日もありましたが、いつも通り休憩取るのも忘れて
お互いノリに乗って4時間30分一気にレッスン。僕一人楽しかったのかと一抹の不安はありましたが、
こんなに面白い日になるとは思わなかったと云ってもらえたのが嬉しかったです。
自分の講師スキルが試されているのだと思うとファイトも湧きます(笑)。
それがどんなレッスンだったのか、書こうと思ったけれど、長くなったので別の機会に(爆)。
一般的な考え方では、出席率の悪さでその人の「やる気」は計られてしまうものだけれど、
仕事の都合、家庭の事情、いろいろあるでしょう。だからそこだけで計りたくない。
僕自身、バイトとレッスンの両立で悩んでいた時、ある人物から
「貧乏人は俳優を目指すな。」と云われ憤慨したことがあり、
演技だけに集中したくても出来ないジレンマは自分なりに痛い程理解出来ます。
だからそこだけで計りたくないし、実際、違うと思う。
じゃあ何でその人の「やる気」が計れるのか、それこそ全てのケースがレアケースだけれど
それを見極められる努力を持続するのもレッスン講師の力量の大きな一つなことは確かで
自分のスキルとモチベーションについて考え直す年末になっています。
毎週、実にいろいろなことがあるけれど、困ること自体が楽しい。
自分が変われるかもしれないチャンスに感じます。全てに感謝したい。
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「大掃除を終えて」
専用稽古場の大掃除を終えました。
この一年のレッスンを振り返って、稽古場で起こった素敵な時間を思い出していました。
演じる自身にとってもどこまでが役でどこからが自分の素なのか分からなくなる瞬間、
2人の演者の間の空気が色を変え動いたかに見えた瞬間、
4人の演者の台詞が対立を深め、台本通り罵り合いながら、
俳優どうしは相手役もよく見える位置関係をさりげなく探しながら相手を立てあっていた瞬間、
6人の演技のアンサンブルが、字面だけでは分からない場面の空気を醸し出した瞬間・・・・・
こちらの予想を超える嬉しい時間を今年もたくさん体験出来ました。
僕のレッスンは、初心者の方にもボリュームある役、台本に挑戦してもらいます。
時間もたっぷり、何度も何度も演じてもらいます。
「今、こことここでもブレスを取ってしまったから、まくしたてるはずの台詞のリズムが崩れて
感情も途中で収まってしまったのでは?もう1回」、
「〇〇のものをあなたから、の台詞、母音を抜き出すと『〇〇おおおおあああああ』と
お×4プラスあ×5で、油断すると母音がくっつきやすい。今のテイクだと、ものをの『を』の音が潰れてたので
そこを意識してもう1回」・・・・・
もちろん様子を見ながら。出来ない無理をさせてやる気潰しはしないけれど、
出来そうだったらもう少し、もう少し、と次々要求を上げていきます。
ここは稽古場、出来なくても恥じることはありません。レッスンは試す時間、稽古場は失敗する場。
当然出来ることやそこそこ出来ることをちょっとだけやらせるより、その方が良いと思っています。
つい熱が入ってしまい、「これ、この年齢の時の自分だったら出来てたかな?」と顧みて
冷や汗かくこともあるのですが、そんな上げ過ぎた感のあるハードルも見事飛び越えてくれたり、
きちんと自分の言葉で自分の演技と向き合って、
「今の自分のここがこうなれば、この役が出来るようになると思う。」と告げてくれると
稽古場でレッスンをしている喜びを強烈に感じます。
レッスンに向けてどれだけウチで自分と戦ってきたか、実演を見ると分かります。
長時間集中し続けることを要求する僕のレッスンに、こちらの予想を上回る手応えを
感じさせてくれた方一人ひとりの生んだ「素敵な時間」が今年もたくさんたくさんありました。
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「無料体験レッスンの内容1」
謹賀新年
年末に、レッスンメンバー三名がそれぞれ別に、出演の話しが決まり喜びました。
新年、僕は3日から仕事。月曜は帰宅が23:30で翌朝4:40起きで所沢のロケ現場に出発。
それぞれ違う作品の違う現場。一期一会でどれもしっかり仕事していこうと改めて思っています。
それはレッスンも同じ。道場では今、新潟や静岡から夜行バスや新幹線で通っているメンバーもいます。
他にもみんなそれぞれ自分の夢と現実の生活とに何とか折り合いをつけてレッスン時間の都合をつけている。
僕のレッスンは少人数制ですが、それでも1レッスンで数名を相手にします。
1日に4時間半のレッスンを2コマ、希望があれば補講もプラスします。
1レッスンで複数名見るから、今日2コマ目のレッスンだから・・・手を抜くようなレッスンはしたくないし、してはいけない。
毎週続くレッスンだって1回1回が一期一会。振り返って恥ずかしいレッスンは無いようにしなければ。
無料体験レッスンは、現在演技レッスンを真面目にお探しの方に
当養成所の通常のレッスンを、レッスン生に交ざり見学、部分的に演技参加していただくものです。
1回の体験レッスンで伝えられることは極僅かではありますが、この1回限りの出会いだとしても
何かしら、その方の今後の表現活動の指針になるような「言葉のお土産」を持ち帰ってほしいと思っています。
例えば日曜の無料体験レッスンでしたら、現在、13:45~19:30の実施になります。
長時間の無料体験になりますが、通常のレッスンをありのまま見ていただき、一部演技していただくことで
その方が求めていらっしゃるレッスンかどうか、体感していただきます。
13:45~14:45で台詞・ナレーション術のレッスンをします。
プロの俳優が台詞を感情豊かにお客様に届けようとするとき、どんなポイントを意識して話しているかを実際に参加の方にも演技していただいて、その場で解説・アドバイスさせていただきます。
演技レッスンは具体的な指導をしないとなかなか上達しないものです。僕のアドバイスがお聞きになって価値のあるものかどうか、こちらの講師力を判断してほしいです。
テキストはこちらで用意しますが、おやりになりたいものがあればぜひご持参ください。
どんな題材を持ち込まれても、それを通して僕がお伝えしたい演技のコツ、表現のポイントはブレません。
持ち込みも大歓迎です(次回へ続きます)。
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