最新の観てきた!クチコミ一覧

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こどもの一生

こどもの一生

あるいはエナメルの目をもつ乙女

王子小劇場(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

激強役者8人のパワー!ラストをさらっとすることで後味をよくする演出もgood
この公演を観た人が今後「こどもの一生」を上演するときは「エナメル」版を乗り越えないといけない。

逆VUCAより愛をこめて

逆VUCAより愛をこめて

劇団スポーツ

駅前劇場(東京都)

2025/01/31 (金) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ループもの。「SFコメディ」としては総合点は高い。百瀬葉さんの器用さに驚き。

ネタバレBOX

「VUCA時代において『普通の人生』に軌道修正は可能なのか?」という最初の着眼点は面白いが、結局よくあるループものにたどり着いた。
ループものによくある説明セリフを完全に取っ払うことで、かえって取っつき辛かったが、演出の勢いでカバー。
「好きなように生きていいんだよ」
ナイトーシンジュク・トラップホール

ナイトーシンジュク・トラップホール

ムシラセ

新宿シアタートップス(東京都)

2024/07/16 (火) ~ 2024/07/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

渡口和志、高野渚、大野瑞生ら吉本興業俳優班所属の3人をフィーチャーしたプロダクション。高野渚を活かす演出の腕が光る。もちろんいつものムシラセファミリーも総出演で華やか。

不正に集めたベルマークで

不正に集めたベルマークで

ドアとドアノブとドアノブカヴァー

OFF OFFシアター(東京都)

2025/01/31 (金) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/02/01 (土) 14:00

劇団名から察せる通りの「バカバカしい」作風のコメディ。全身の力を抜いて演劇を観たいときにおすすめかも。

Under the North Stream

Under the North Stream

ターリーズ

OFF OFFシアター(東京都)

2025/01/24 (金) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/01/25 (土) 12:00

ベストパフォーマンスとは言えなかったが、役者の熱さは健在。ストーリー展開にムラがあったと思う。
新投入の斎藤大學は説得力強い。昨年9月に続き起用の林里咲はすでにターリーズファミリーに馴染む。活動休止直前の堀井夢香をよく目に焼き付ける。沼きなこのコメディウーマンぶりに脱帽。エンクラ新一期生の山本柊平はキーパーソンを務め今後も注目。

ごはんが炊けるまで(仮)

ごはんが炊けるまで(仮)

演劇企画アクタージュ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/30 (木) ~ 2025/02/03 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/02/03 (月) 16:00

 結婚をうっすら考えはじめたカップル、直人と結。
ある日結にせがまれ、家族を紹介することになった直人。
実家に招き家族だと紹介するが、その家族には何か違和感が、実家の家族とは真っ赤な嘘で、家族に対していろんな想いや問題を抱えている人達が集まり、年齢もバラバラな人達で構成される和式の家をシェアするシェアハウスではなく、各々が家族の役割分担を持つゆるい擬似家族だということが結にバレるまでのその場しのぎで何とか無理にでも結を騙しきろうと四苦八苦する直人たちのズレた会話が、劇前半から中盤にかけての、ハラハラドキドキ感満載のシチュエーションコメディで大いに笑えた。

 劇中盤から後半にかけては、擬似家族において長男を演じる智陽が実は離婚してたのは真っ赤な嘘で、本当はまだ奥さんがいた上、擬似家族で我儘でぶりっ子な典型的な、いや寧ろそんなに若くも見えないのに痛い末っ子役を演じる杏と2人で肩くんで楽しそうにベタベタと歩いているのを智陽の奥さんに見つかり誤解され、擬似家族がシェアする和式の家の中に居座られたり、それまで優しく可愛らしかった直人の彼女の結が、直人が自分を今まで擬似家族を実の家族と騙していたことが分かり、劇終盤において、それまで我慢に我慢を重ねていたが、ついにブチ切れ、擬似家族を構成している人達を徹底的に糾弾し、直人も追い詰めるという豹変ぶりで、今までとは打って変わって、激的な場面が幾度となく展開し、スピード感があって眼が離せなくて、擬似家族の人達のそれぞれの主張も飛び交い、なかなかの観もので迫力があり、思わず自分が劇中にいるかと錯覚させられるほど、作品世界に引のめり込んだ。
 あと、お隣さんの詩織がふてぶてしく、図々しく擬似家族の和式の家に居座って、長椅子に座ったり、漫画読んだりと他人の家なのに自由過ぎるのだが、何処か憎めない雰囲気で、観ているとついつい気になり、なかなか面白くて、原田桃さんが演じていたが、印象に残った。

実は、結の両親は○○で、だからそれが悩みでなど、それぞれの余り他人に言えない秘密や問題を抱えていて、擬似家族という在り方を通して、擬似家族が使う家を通して、世の中で言う『普通』とは何かに鋭く切り込みつつ、大いに笑えるコメディとして楽しみ、多様な「家族」の在り方について考え、一般的なイメージや世間が押し付ける「家族」概念に疑問を持つことの大事さ、少数派の意見を排除しない共生社会について、この疑似家族と直人、結を通して、もっと私達の身近に起こりうること、或いは起こっていることとして考えさせられる物語だった。

おばぁとラッパのサンマ裁判

おばぁとラッパのサンマ裁判

トム・プロジェクト

紀伊國屋ホール(東京都)

2025/02/03 (月) ~ 2025/02/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
沖縄が、まだアメリカから返還される前の 1960年代が舞台。物語は、サンマに関税が課され価格が高騰することに反対した大衆運動。時代背景の妙、そして現代でも地続きの課題・問題として関心を惹く。日本にとって、沖縄の返還は重要な出来事だが、未だに沖縄におけるアメリカ軍基地問題は解決していない。基地の負担や環境問題、そして一番重要だと思われるのは、沖縄住民の声が反映されていないこと ではないか。

公演は 分かり易い内容で、それをテンポよく展開していく。何より役者陣の演技(台詞回し)が小気味よい。庶民が口にする食材 サンマ、その身近さが現代の物価高騰をも連想し切実になる。その戦う相手がアメリカ、しかも相手が定めたルール(法)に則って争う。それ(困難)をいかに論破するのか。大衆運動を扇動するような熱い演技、その漲る力強さ 高揚感溢れるシーンが なぜか清々しい。

脚本 古川健 氏と演出 日澤雄介 氏、この劇団チョコレートケーキ コンビの公演は面白い。アメリカは姿を現さないが、その見えない影の存在として米軍機の飛行音を轟かす。少しネタバレするが、物語は 大衆魚サンマへの不当な関税撤廃から 未来を守る戦いへ…ここに公演の真のテーマ<民主主義の希求>が浮かび上がる。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、上手に平板の壁、その前にウシおばぁの家。下手も同じような平板の壁だが、その前は弁護士事務所で机、ソファとテーブル。中央は金網で上部は鉄線のようなもの。その前は階段状になっており奥へ抜ける。

1960年代、まだ沖縄が返還される前の話。アメリカが、サンマに関税を課すという暴挙、それに憤ったおばぁが敢然と立ち向かうが…。文字も読めないおばぁの無茶な奮闘記だが、それには知恵者や仲間が必要。その知恵者=弁護士が法に基づいて裁判所に提訴する。その法そのものがアメリカが定めたもの。関税する品目の定め(法)は、限定列挙で「サンマ」は記載されていなかった。それでも関税するとは如何なものか。そして裁判権そのものが日本に無いという問題。当時の不平等はもちろん不平不満を点描することで、問題の広がりや根深さを浮き彫りにする。

裁判結果(判決)は、勝利し過去の課税分も返還された。しかし、それはウシおばぁ家に限ったことで、今後は課税品目にサンマを加えるという暴挙。あばぁにとって「商売」「お金」は大切だが、それ以上でも以下でもない。しかし、目先の現実主事から「未来を守る」という思いへ変化していく。それは姪に子供が生まれ、その子が安心/安全な暮らしが出来るようにとの思いを巡らせたから。物語は、裁判の成り行きを おばぁ(柴田理恵サン)が語りとして説明するから分かり易い。

アメリカ相手に抗議行動、それが大衆運動としてプラカードやシュプレヒコールといった演出で盛り上げる。その高揚感溢れる思いが、清々しくそして痛快に感じられる。勿論、米軍機であろう轟音が響き、威嚇するような怖さもあるが、それを乗り越えなければ 沖縄の未来はないと。その誇りとしての沖縄民謡が米軍機音を凌駕するように流れた ように思えた。
次回公演も楽しみにしております。
ディファイルド

ディファイルド

T-PROJECT

「劇」小劇場(東京都)

2025/02/01 (土) ~ 2025/02/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

2020年にはコロナ禍のもとCATの制作で、10数組のリーディングの組合わせで上演された二人芝居である。2001年にはアメリカで9・11の時、便利優先で進むグローバリズムへの警鐘として初演された。原作はあまり知られていない米作家でテレビがメインのようだ。今までにで、見た作品では23年にハリウッドを舞台のバックステージ話を加藤健一事務所が公演している。ハリウッドライターはホントに鍛えられるらしくとにかく繋ぎ、つないで2時間二人だけで面白く持っていく腕はすごい、と言うしかないが、中身が深いかというと、やはり、よくできたエンタテイメントだなぁ、と言う印象だ。
現代社会が便利になって失ってしまったものは・・となれば、テーマもスジの終わりも見えているので後は本の技術を楽しむ、あるいは役者がどこまで出来るか、見るしかない。
主宰・演出・出演の田中正彦(刑事役)は今は声優としてベテラン、で相手役の佐々木望共に(書庫の移動を命じられて爆薬と共に図書館に籠城する司書)と殆ど2時間しゃべりっぱなし、籠城ものだから緊張が続くので役者も大変だ。こ三演目で7年ぶりというから、やっている方は一種の麻薬に溺れているのかも知れない。話はよく組まれているが、後半はこの話どう納めるか、と言うのが関心の軸になってしまう。そこも後で考えればそれしかないというあたりに持っていく。そういう万端出来ていて、俳優もガンバテイルのはご苦労様としか言いようがないところがアメリカの普通によく出来たのエンタティメントらしい、とはいえ、このクラスの本がゴロゴロ転がっているらしいのはスゴいことだ。いわずもながの注文で言えば、こういうシチュエーションの演技としては二人とも、声優だから仕方がないが、役を客観的に見ているところは見えすぎる。
作品のタイトルと、副題が飼い犬なのは解るがそれ以上にどういう意味を持たせたかったのかよくわからなかった。


藤戸

藤戸

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2025/02/01 (土) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

いつもながらとても素晴らしかったです。生演奏とお芝居見どころたくさんでした。内容も人の内面をとてもよく表現されていて、見ていてこちらも心が苦しくなるような真に迫ったお芝居だったと思います。演出もオープニングから良かったです。次回も楽しみにしています。

ごはんが炊けるまで(仮)

ごはんが炊けるまで(仮)

演劇企画アクタージュ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/30 (木) ~ 2025/02/03 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

感想遅くなりました。湯呑みチーム拝見しました。とても面白かったです。ここ最近の作品は続けて拝見させていただいてますが、どれも笑いあり涙あり心が暖かくなるものばかりです。本作も、少し変わった家族のでも、心かよう家族のいいお話でした。お父さんがこの家族になった理由が知りたくなりましたね。優しい時間ありがとうございました。次回作品も楽しみにしています。

おばぁとラッパのサンマ裁判

おばぁとラッパのサンマ裁判

トム・プロジェクト

紀伊國屋ホール(東京都)

2025/02/03 (月) ~ 2025/02/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

2月4日鑑賞。沖縄にこんな闘いがあったなんて、改めて沖縄のいたたまれない過去と、その中でも逞しく明るい沖縄の人達の姿に勇気づけられた感じがしました。この度、鶴屋南北戯曲賞を受賞した古川健氏と劇団チョコレートケーキの演出家日澤雄介氏の最強コンビで、個性あふれる俳優陣が活き活きと舞台を創り上げていました。柴田さん、太川さん、大和田さん、あまり舞台人としてはなじみがなかった人たちが自然体で演じているのが印象的でした。それに唐組に居た鳥山さん、若手の森川さんも上手くマッチして好感度を持てるキャスティングだったと思います。


寂しさにまつわる宴会

寂しさにまつわる宴会

上田久美子

蒲田温泉 2階 宴会場(東京都)

2025/01/24 (金) ~ 2025/02/03 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

寂しいからなのかな、とふと思う。私がなんでも多めにしてしまうのは、寂しいからなのかなと思う。
買わなくていい量の日用品を買う時。
作らなくていい量の料理をつくる時。
どんな文章もつい長くなってしまう時。
演劇を観るのも、映画を観るのも、本を読むのも、音楽を聴くのも、お酒を飲むのも、銭湯に行くのも、セックスをするのも、結婚や妊娠や出産ですら、そして文章を書くのだって、私が好んでやっていることは全部全部、本当は寂しいからなんじゃないかな、と思うことが結構、というか、いつもあって。だけど、その生活や仕事や芸術や性交のどれをしたって結局全く寂しくない気持ちにはならなくて。
そのとき、私にとって「寂しさ」という穴は終わりのある窪みではなく、どこか果てしない場所に繋がっている四次元ポケットみたいなもののように思うのだけれど、この演劇によって一瞬そんな宇宙のような場所で何かに繋がった気がした。

projectumï『寂しさにまつわる宴会』
私はこれをわりと覚悟して、そして必ずという強い気持ちで観にいった。

この演劇を観ている間もやっぱり私は寂しかったのだけれど、少しだけ、わずか一瞬だったけど全く寂しくない瞬間があって、そのときに、そのときにこそ私の身体は涙を流した。それは果てしのない場所から届くサインみたいだった。お人形遊びをしている子どもとお人形のように、私という人間を上から見て、操っている何かがいて、その何かと目が合ったような、あるいはその何かと決別するみたいな。たとえるならそんな感覚で。

それは、理屈じゃどうこう説明できないもので、でもたまに日常生活でもある。
その人にしか言えない言葉を伝えたり、伝えられたとき。
その人にしか見せられない姿になったり、なられたりするとき。
そして、その人としか見られない景色を二人だけで見たような気がするとき。
それは手紙のような文章を書いているときや、自らの意思で熱望したセックスをしているとき、真夜中の散歩で朝や昼とは全く違う顔をした駅や店や公園に辿り着くときとも言えるのかもしれないけれど、解像度を上げるとそうじゃなくて「触れられたところのない場所に触れ、触れられる」ということなんだとなんとなく思う。

これまで宝塚という大きな舞台を手がける中で、いわゆる「推し活」についても、もっと言うならばこの国の産業としてのスターシステム、資本主義としての芸術、そしてそこに生じる諸問題を間近で見てきた上田久美子さんがその側面(それもどちらかというとネガティブな)を描く、という点において様々な感想が寄せられていることもなんとなく知っていたし、ストーリーにおいてなされるあらゆる視点からの議論についても理解はできた。
でも、正直なところ、私にとっては、そういったストーリーやその設えよりも、この演劇のそこかしこに隙間なく配合される「寂しさ」が胸に迫った。
(続きはネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

『寂しさにまつわる宴会』は、大衆演劇を舞台に、その俳優とその俳優の推し活をする観客の、言葉を選ばずにいうならば、売れない俳優とそのヤバいファンを巡る物語だった。
工場勤務から帰宅しては夜毎ゲームの課金によってお金と時間を溶かしていたある一人の人間が、ひょんなことから大衆演劇の劇場に辿り着き、数回目の観劇で自身の存在に気づき声をかけてくれた俳優、ほとんどセリフの持たないその俳優に熱をあげていく、という話だった。そして、その熱の出力は日に日に暴走し、周囲のファンや劇団にとっては迷惑客として出禁となり、それによって俳優もまた劇団を追われることになる、という話だった。

劇団を出禁になったファンと劇団を追放された俳優。一見決して交わらなさそうな二人の人間が、歪んだ執着と無気力によって奇妙な共存関係を築き、その行き場のなさからやはり奇妙な同居生活を始め、やがて家をも無くし、路上生活者となる。そうして、灼熱の太陽の下で互いを刺し合い、文字通り体ごとアスファルトに溶けるように一つになる、姿や形、内臓すらもどちらがどちらなのか分からなくなるように一体化していく、といったラストは圧巻だった。
何が圧巻って、やっぱり俳優が体現する、いや再現する「寂しさ」が圧巻だった。
一人で生まれて、一人で死んでいくしかない人間の孤独、その穴は結局埋めようのないものなのだという真理と、しかし一瞬でも他者と一体になれたと思うこと、それを希求してしまうことによって、やはり一瞬、その穴は果てしのない場所に繋がる。たとえ思い上がりでも、傲慢でも繋がったような気がする、してしまうという体感。それが殺人(やあるいはそのような行為)であることはもちろん倫理的に良いわけが断じてないのだけど、そういった狂気のような寂しさを抱えている人間の姿に私は恐ろしくもたしかに共感をしてしまったのだと思う。
もう少し踏み込んで言うと、それが私の場合は、(この物語における)推し活や殺人(やあるいはそのような行為)でないだけなのではないかと思った。
買わなくていい量の日用品を買う時、
作らなくていい量の料理をつくる時、
どんな文章もつい長くなってしまう時、
人と一緒に大きなお風呂に入る時、異常な頻度で芸術を見たり、お酒を飲んだり、セックスをしたり、結婚や妊娠や出産ですら、そして文章を書くのだって、私が好んでやっていることの全部と根本的には変わらないのではないかと思った。

ちなみに、この「宴会」は「余興」と定義されていて、「物語をぶっ通しで上演する」という形をとっておらず、合間に上田さんによる語りや、観客参加型のアンケートなどがとられる形式になっていた。
その中で、「会場の寂しさ指数を測定する」という試みがあった。それは、観客がどのくらい「寂しさ」を感じているのかを音で測る、というもので、寂しさを感じない、時々感じる、いつも感じる、無回答の4つから自身の自認に合うものの時にひとつ手を叩く、というものだった。
プライバシー保護の観点から観客は目を閉じてそれを行うのだけど、私の観劇した回で私が感じる限り「寂しさをいつも感じる」という項目で手を叩いた人間は一人だった。一人分の音だった。
重なる音を感知しなかったのが私の勘違いでなければ、それは私一人だった。
宴会場にパチン、と響いたその音を私は他のどれよりも大きな音に感じて、とても寂しかった。
そして、自分の中にある「寂しさ」がはじめて具現化された瞬間であるようにも感じた。
目的に沿って綺麗に整えられた劇場ではなく、生活とあまりに密接な銭湯、その宴会場という雑多な場所であるからこそその体感は余計に生々しいものに思えた。

私にはこの作品を良いとか悪いとか、よくできているとかそうじゃないとか、そういうことでは語れない。だけど、こういう言い方がふさわしいかは分からないけど、芥川賞の候補作や受賞作のような純文学を読み終えたような感触がいつまでも残った。(念のためですが、芥川賞という「権威」に準えたくてそう例えたのではなく、私は毎年その候補作を全て読むという楽しみを恒例としており、あくまで芸術における「好み」という点で私の中で同じ引き出しに入った、という意味です)

私にとって、この作品は見たことのない演劇であると同時に、文学でもあった。
演劇においては、舞台上で見たその風景を記憶をたぐり寄せ反芻することができるけれど、文学においてはそれを自分の想像で補ったり、彩っていく。そのことによって、特定の風景だけではない、いくつも風景が身体の中で発生し、熱さられ、やがて揮発し、私の身体を循環する空気になる。そういう感触があった。だから、到底忘れられるはずがないというか、取り込んでしまったという感覚が最も近かった。
そして、大きなショックとともにそのことを喜ぶ心身があった。
それはまるで、灼熱の太陽の下で、誰かと一つになれたように。

私が涙したのは、三河家諒さんが『愛燦燦』を、「人は哀しい、哀しいものですね」と歌ったとき。竹中香子さんが「怒り」に変換された底知れぬ「寂しさ」を全身にまとって、そこに立っていたとき。そして、上田久美子さんが自身の言葉と語りで「寂しさ」を開示された(ように感じた)ときだった。
そのとき少しだけ私の中を循環する計り知れない「寂しさ」が救われた気がした。
宇宙のような果てしのない場所で一瞬何かに繋がった気がした。
触れられたところのない場所に触れ、触れられた気がした。
そして、その後もやっぱり私は猛烈に寂しかった。温泉とお酒と焼きそばの、自分の好きな匂いが混ざり合う宴会場で、愛する演劇を観て、とても寂しかった。
人は哀しいもので、かよわいもので、かわいいもので、人生は不思議なもので、嬉しいもので、私はやっぱり独りなのだなと、そう思った。
今日も今日とてまた文章は長くなった。
私は今も寂しいのだと、心からそう思う。
Under the North Stream

Under the North Stream

ターリーズ

OFF OFFシアター(東京都)

2025/01/24 (金) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

10歳娘と観劇。
世田谷区北沢が下北沢と上北沢に分裂したのち、上北沢が"神北沢"に改称し東京全体を支配する...というめちゃくちゃくだらない物語(最高ですよね)なのですが、"シモキタ"という文化の喪失と戦う若者たちを等身大で力演する俳優陣の姿に思わずグッときてしまう。それはやはり≒演劇であるし、また、花まる、北とぴあ、そして重要な場面で叫ばれる「インディペンデントシアター!(※from大阪)」と多出するワードに通底する王子への愛着も演劇を愛する者には殊更グッと響く。

演劇やライブなどのパフォーマンス活動がエネルギーの無駄遣いとして規制され、破った者には厳罰が下る、という設定も一見破茶滅茶なコメディ展開に見えるけど、震災時などには実際に挙がった声でもあるので、その実切実なテーマであったりもする。
表現や創作などの文化活動が国や世界、そして人々やその暮らしにとってどういうものであるのかというクエスチョンは普遍的かつ表現を生業にする以上必要不可欠な問いかけであるし、それが若手カンパニーによってめいいっぱいくだらなくパッケージされた喜劇世界の中で叫ばれる、というのはやはり胸を打つものがありました。
そして、観終わって初めて気づいたのだけど、タイトルもUnder=下 North=北!!!

(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

ピンチ時に少し遅れてしかし必ず現れる生き残りのパフォーマーがfrom高円寺というのも高円寺ラバーとしてはニクい展開。下北も王子も高円寺もどれもが等しく重要な文化の発生源であり居場所であること。そういう土地に向けて綴ったラブレターの様な95分でした。自ら観に行きたいと申し出た娘もナイス!
トップ・ガールズ

トップ・ガールズ

犬猫会

SOOO dramatic!(東京都)

2025/01/23 (木) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

キャリル・チャーチル代表作を新訳(常田景子)にて上演。
一人のキャリアウーマン・マーリーンの役員昇進を祝うべく集ったのは家族でも友人でも同僚でもなく、歴史や芸術の中に姿や名を残した女性たち。時空を越えた女たちが語る「わたしたちはどう生きたかトーク」はまさに弾丸の如し。誰もが誰の話も聞いておらず、「あるある」と思わず笑ってしまうのだけど、その混沌が生き方の異なる姉妹の物語に接続し、二人を隔てる「分かり合えなさ」に着地した時、本作の鋭利な核心をぐさりと突きつけられた。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

早くに妊娠したものの子を姉に託して都市でキャリアを築く妹とその娘と老いた母のケアを田舎で夫に裏切られながら一人背負うことになった姉。そのやりとりにはシスターフッドとは程遠い、女性と女性の間にもたしかにある対立や分断を感じざるをえない。
社会で活躍する女性と家を守ることに徹した女性を巡る軋轢は朝ドラ『虎に翼』でも描かれていたけれど、本作では家事や育児のみではなく、ケアラーである姉の苦悩が色濃く描かれており、その中心にケアをされる立場である発達障害を抱える娘の存在がある。家の外(=社会)からは見えづらい、しかし喫緊の諸問題が家の中に積み上がっていること、「トップ」に立つ者の背後に隠されている者の姿にはやはり現代の様相が、2025年の日本でも解決しきれぬ問題が映写されている様にも思う。

隣人を掻き消すほど声の大きな女たちの弾丸トークではじまったこの作品が、声をあげる力すら奪われた女性たちの声ならぬ声をひろいあげる作品であったこと。そう感じられる上演であったことが大きな意味を持っているのではなかろうか。戯曲の中で手をとりあえなかった女性たちの物語を、今後私たちの生きる世界でどう編み直し、再生していけるだろうか。そういうことを問われているような気もした。
女性の生きづらさやその怒りを描くときに、二項対立として家父長制や有害な男らしさが配置された結果、物語のクライマックスやカタルシスとして女性と女性が安易に手を繋がされることも多いけれど、決してそうでないところ/そうはいかないところに真実が宿っている様に感じた。同時に、インナー姿で登場した俳優が舞台上で衣裳をまとう冒頭には社会で生きるために女性が装わざるをえない様々も忍ばされていたように思う。

もはや「実録・時空横断弾丸トークバラエティ!」と銘打って深夜番組化してほしい位に面白かった怒涛のしゃべくりはじめ、俳優一人ひとりの迫力と説得力は圧巻。
ラストの石村みかさんと名越志保さんの両者譲らぬバトルでは思わず前のめりに。見逃さずにすんでよかったです。
解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話

解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話

1999会

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2025/01/23 (木) ~ 2025/01/25 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

近く解体されることが決まっている建築物で行われる150年展のチケットを不手際でロスしてたことに気づいた翌日、奇しくも私はこの演劇に出会いました。
1999会『『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』。

私もかつて女子大に通う大学生だった。あの頃の私にも見せたかった。とってもとっても丁寧に直向きに物語に、演劇に、そして「今この作品を自分たちが上演すること」に全員が自身の生きた時間や生きる時代を以て応答するような上演。同じ年に生まれた縁で繋がれた1999会というカンパニーだからこそ成し遂げられる公演だったと感じ、見届けられて本当によかったです。

「形あるものの喪失」に思いを馳せるとき、人はそこに息づいた「形なきものの喪失」に恐れを抱く。
だけど、その場に生まれる人と人との出会いや営みを''息吹"と呼ぶならば、それは一度吹き込まれたなら失われることはい"永遠"と言ってよいのかもしれなくて、いくつもの運動ののち訪れる"平穏"が、それらをずっと見つめているのだと思う。それが再び揺らいでしまうことを心配しながら、子守歌などを歌って辛抱強く見つめているのだと思う。

"敬虔"であることに潜む孤独、不自由の裏返しである"奔放"、"哲学"に辿り着くまでの葛藤、寂しさの境地である"癇癪"、"沈黙"する時ほど騒がしい心、そして"飴玉"の様な日々が溶けるまでの時間。
いのちの息吹と同時に「名付けられる」という宿命を背負った複雑で素直なわたしやあなたの成長をこの場は全部覚えているだろう。たしかにみえた旧体育館を前にそんなことを思った。
俳優はもちろんその心身にぴたりと添った衣裳や音や光にも時が滲んでいた。

カンテン「The Foundations」Final.

カンテン「The Foundations」Final.

カンテン事務局(Antikame?)

座・高円寺1(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

カンテン The Foundatinos 【select B】を観劇。
(※催し内の全ての作品を観劇しているわけでないため、満足度については空きとさせていただきます)

劇団だるめしあん
『バイトの面接に遅刻しそうだったが、どうやら遅刻していたのは世界の方だったらしい』

女性がSEXを語ると、ましてや「セックスしたい」だなんて言うと、男性がそう言う何倍もの特異な意味付けをされ、あろうことか"肉食系"なんて言われる事。あるいはそれ全部がタブーかのように透明化される事。に私はずっと抗いたいと思っていて。だからこの演劇に出会えて本当に嬉しかった。
タイトル通り「世界の遅れ」を複数の異世界を貫きながら描くSF社会(喜)劇。ポップに、えっちに、そして、世界が反転しても対等に扱われるトピックの数々に現代とその課題を見た。
だって好きな人とセックスしたいだなんてことお日様が登って沈むくらいとても自然なことじゃないか。だけど、そういう女性はホモソーシャルの中で「エロい女」「ヤレる女」と蔑称で矮小化される。それとは逆に、いや同じ問題として、エロな話題にのれない男性にもまた”草食系”などとコミュニティ内で嘲笑の対象になったりする。
もうそんなのはどっちもやめませんか!全部やめませんか!新しい世界をやりませんか!
そういうことをポップに、しかし切実に伝える作品でした。

坂本さんの前作『ラブイデオロギーは突然に』はケータイ小説に生きるヒロインと現代を生きる女性の時空を越えたシスターフッドの物語で"女性とはそういうもの"と思わされてきた数々を編み直す様に呪いとの対峙と決別を描いていた。あの頃の自分に言ってあげたいこと、今の自分が言われたいことがギュッと詰まっていたけれど、今回はその言葉がもつ射程がもっと広がっていたように思う。
「人間が社会で傷つき立ち向かう様を、明るく、えっちに、ポップに描く」
まさにそんなだるめしあんの信条を示すような作品でした。俳優の心的負荷を考えての、それでいてカンパニーらしさをも追求した性描写の工夫も素晴らしかったです。
セックスにおける疑いと喜びがともに表現されているところも好きでした。

架空畳
『Φ(ファイ)をこころに、一、二と数えよ』

数学の世界では空集合(=要素を一切もたない集合)を意味するらしいΦ。
この世界で起きていることそのもののようだけれど、まさに人が集合することによって発生する同化と異化が忍ばされていたように思う。時空を越えたパラレルワールドに誘われる感覚はしっかりあるのだけど、デパ地下や娘のお部屋など手触りある風景が浮かび上がってくる不思議。
Φが鍵穴を意味するのだとしたら、全てがどこかに、世界の何かへと影響し、繋がっているのかもしれない。
直近の小野寺さんによる高木珠里さんのひとり芝居『伝説の女』が好きだったけど、それも始まりは居酒屋のトイレだった。多数が出入りし集まる場所。何てことない場所から物語がうねりを見せていく様が、何もない空間から演劇が生まれていく様と手をつなぐ時、私はどこでもない場所に行ける気がする。
そして多分そこにもΦが、鍵穴がきっとある気がする。独特の世界に誘う導入も効いていました。

カンテン「The Foundations」Final.

カンテン「The Foundations」Final.

カンテン事務局(Antikame?)

座・高円寺1(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/01/23 (木) 14:00

【<Select C:閉>いたる】
Select A がファンタジー、Select B が SF系だったのに対してこちらは「人生を描いた」二編?

singing dog「9人の佐藤」、冒頭、生まれた年を言いながら大きさの異なるボールを手にして次々に登場した「佐藤さん」が語る来し方……という抽象的な作品。今までに観た singing dog 作品は具象的な装置で演じられる実録系のものだったのでそれらとは真逆と言える作風にビックリ。

Sky Theater PROJECT「名前のない空」、主人公が30年の時を隔てて20分間だけ過去と現在の「中身」だけ入れ替わるという良い意味での「スケールの小さい時間ものSF」で、こういうの大好き。
そして、まず現在を見せてそこで消息不明となっているかつての友人と過去で「再会」し……という展開が巧いんだなぁ。また、現在と過去の演者がまさに30年の時を経た同一人物に見えるのも作品にリアリティと言うか説得力と言うかを与えていて見事。いやぁ、面白かった♪
なお、ラストシーンに既視感的なものを抱いていたが10日ほど経ってようやく気付いた。惑星ピスタチオ「破壊ランナー(最終版?)」(1999年)の「ボーナストラックだ。「あの人の消息は……?」と案ずる観客を安堵させて終わるのがまたイイ。

ごはんが炊けるまで(仮)

ごはんが炊けるまで(仮)

演劇企画アクタージュ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/30 (木) ~ 2025/02/03 (月)公演終了

実演鑑賞

面白かったあ。
これまで見たアクタージュのなかで一番!

昔のホームドラマのようなテイスト。

ネタバレBOX

宮部みゆきの「R.P.G.」を連想させるような疑似家族の物語。

それにしても「普通」って何でしょうね。
ごはんが炊けるまで(仮)

ごはんが炊けるまで(仮)

演劇企画アクタージュ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/30 (木) ~ 2025/02/03 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

すばらしかったです。『万引き家族』や『そして父になる』と本作の『ご飯が炊けるまで(仮)』で家族作品3部作ですね^^ 途中からかなり引き込まれました。あと、アフタートークがすごくよかったです。「ああ、そうやってキャスティングするんだ…」と思いました。それとオーディションのやり方も知れてすごく勉強になりました。

「No Woman, No Cry」

「No Woman, No Cry」

ROCKSTAR有限会社

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2025/01/31 (金) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前回公演で好評だった「DJスタイル」を取り入れたコンドルズの新作公演。会場も同じスペース・ゼロで、空間の作り方もほぼ同じ。勝手な想像ですが、カンパニー自体がこのフォーマットに手応えを感じており、その土台作りや発展型を意図しているような気がします。ラジオDJとして実績もあり、しかも声質もとても良い(←これは個人の感想ですが)勝山さんがDJ役を担い、ダンス、パフォーマンス、映像などの合間にDJとして進行したり喋ったりするスタイル。

ネタバレBOX

個人的にこのスタイルはカンパニーと相性バッチリだと感じていて、複数の多様なパフォーマンスを組み合わせる構成の中に「トーク・進行」というポジションが加わることで、ライブ体験としてより自然で親しみやすくなっています。会場で募集した川柳を発表するコーナーはラジオの公開収録のような一体感がありました。ダンス公演としてのキレ・見せ所を近藤さんが要所要所でしっかり締め、全体のバランスも良いように感じます。コンドルズが長年活動してきた実績や経験値がしっかりフィードバックされ、更に尚新たな発見を模索し続ける様子は、さすがコンドルズ、という印象です。

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