S高原から
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/22 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
アゴラ劇場での最後の青年団公演である。満席の入場待ちの人々が階下のロビーに張り出された劇場のセット図面や台本などをスマホで撮影しているいかにも送別公演らしい賑やかさである。といっても観客数は百名足らずだから十分もあれば始末できる。そこが、良くも悪くも、平田オリザという劇作家の存在理由であった。
サヨナラ公演四公演から「S高原から」を見た。見ている内に過去に見ていたことを思いだした。初演が91年暮れ。せいぜい三十年余前だが、部分は思い出すが人物のキャラやプロットはほとんど忘れている。今回の再演はほとんど手を入れていない(例えば、台詞に頻出する「風立ちぬ」の解釈論は,その後のジブリ映画のタイトルに使われて人口に膾炙したが、初演通り、それがなかった時代で上演している)。新しい現在のキャストもかつての公演をなぞっている感じがする。サヨナラ公演だからそれもアリだろう。それで解ることもある。
平田オリザは,80年代までに演劇界を席巻したエネルギッシュに新しい世界を作る新しい演劇に対抗して出てきた。当時、唐、つか、鈴木忠志、太田省吾らの先行世代,蜷川、佐藤信、野田秀樹らの続く世代、一見おとなしく見える井上ひさしや串田和美ですら、今思えば十分に破壊力があリ戦闘的だった。その疾風怒濤の中から平田オリザはこの小さな駒場の小劇場を足場に出てきた。平田オリザは当時,日常生活の台詞、演技の上にドラマを見る「静かな演劇」として、ジャーナリスチックにもてはやされる時期もあったが、致命傷は大きな観客を集められる作品に向かうことがなかったことである。青年団はこの小さなアゴラから数多くの後継劇団を生み出したが、身近な日常の生活を基板として、それに甘えて仲間褒めで満足している劇団群で、既製劇団に対抗できる力がなかった。アゴラの閉館は静かな演劇衰退による閉館ではないと明らかになっているが、時代の流れは変わっている。現在は、最近見た舞台では,た組の加藤拓也やエポックマンの小沢道成などには、平田オリザの日常の上にドラマを構築する現代劇を受け継いでいることがうかがえる。
今「S高原から」を見ると、昔の流行り物を見る哀感も感じるが、演劇はこのようにして時代を超えていくものでもある。
デカローグ1~4
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
前回の「デカローグA」の公演では、全体の企画への疑問を感じたが、それは、この「デカローグB]を見ても変わらない。しかし、今回の舞台の印象は大きく変わった。それはあとにして。
前回に続く全体に関する問題では,エピソードを1と3,2と4,という組合わせで上演している。公演Bを見て、このシリーズはやはり、企画者が組んだような,どこから見ても良い、という並びの内容でもではないと言うことが解った。少なくとも、4までは、順に見るようにエピソードが並んでいる。単純なことでは主人公の年齢が成長していくように並べられている。それを無視して、演出者のくくりの都合で観客は見なければならない。確かに、演出者は資質が違うから順にすれば、お互いが損をすると言うことは解る。ならば、このような上演があることを企画の段階で解るなら、常識的には「順に見る」「演出者を二人たてるなら、までまぜこぜにして混乱するようなことはしない」というのは、制作者が、作品に対しても、観客に対しても行うべき最低の主催者の務めだと思う。
で。舞台の方に移るが、前回、舞台が風俗的で必要な本質に迫っていないと書いたが、2、4をみると,同じアパートが舞台でそこに住む住人の日常的な物語りながら、Bの舞台は人間や時代の本質に迫ろうとしていることが解る。
例えば、前回の1のエピソードは,冬、パソコンの計算が得意な子供が大丈夫だと計算した池の氷の上で遊んで溺死する少年と家族の物語だが、舞台は単なる北国の不運に出会った家族のホームドラマの域を出ていなかった。今回の4のエピソードは父子家庭(父と娘)に残された封印されたままだった母の遺書の開封をめぐる父と娘の物語だが、その小さな一の封筒の上に、社会に巣立つ娘の不安と、父母への心情、さらに娘の男性への思い、自分が生涯の仕事にするかも知れない演劇への距離感、など微妙なところまで演じられている。Aではムード音楽かと言うような音楽(国広和樹)も、Aでもそれなりに上手いのだが,今回は弦楽器も加えて深く決まっていく。さらに分量は少ないが最近のプロジェクションマッピングを使って舞台の世界を広大な大自然の営みのなかに連れて行くあたり、観客をしびれさせる技法もあって,Aとは同じシーズとは思えない出来である。このあと、5.6は同じ上村聡史の演出だから楽しみでもある。
夢の泪
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/04/06 (土) ~ 2024/04/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観た時間が楽しかった(過去形)に止まらない今もひた寄せる感覚を伝えようとなると「おおおお」とか「ぐうぅ」「んなっ!」と咆哮にしかならないのを、無理やり言語化して結局「良かった!」「楽しかった」「泣いた」等の語彙を引っ張り出すしかなく。
「感動」という心のありようを表現する事は難しいので、やはりその周辺をぶつくさ書きながら「籠める」以外ないようである。
な事はともかく。開幕後まず目が探すのは、他でもない我らが桟敷童子の板垣桃子。。だがこれが中々見つからない。サザンの後部席とは言え、舞台上の雰囲気や声で分かりそうなものが、暫く目が泳ぎ、不穏な想像までした(降板...)。オープニングの歌を皆が賑やかしく歌ってるのにそこに居ない(後から登場組)とは考えにくいので、女優3名を消去法で潰すと一人残るのだが、声質も体の動かし方も当てはまらない。あの桟敷童子での立ち姿、風情から想像できない・・。言いたいのは、演技者としての幅が予想外であった事だ。声は高らかで明るく、体もしなやかで華やかな動き。それにまず驚いた。
一幕は寝落ちしそうな瞬間が何度か訪れた。(周囲にも相当数いたので私の「体調」だけが原因ではなさそうだ。)説明台詞が特に前半に仕込まれるのは博覧強記が戯曲にも滲む井上作品の「通常」で、休憩時間に回復した頭は「この仕込みが後半生きるのが井上戯曲だったな」と気持ちを改め、二幕物の華麗な「逆転」の例を思い出し、休憩後は前傾で舞台を凝視し始めた。読み通りであった。
弁護士夫婦の自宅兼事務所のある建物の「事務所」スペースが一、二幕とも変わらぬ舞台。ここで最初に「争い事」を持ち込んだ二人の歌い手の「同じ歌」の取り合い問題が、後半思わぬ形で決着を見る。そして改めて歌われ、最後には合唱となるその歌が、最初に耳にしたのとは見事に違って聞こえる鮮やかで静かなクライマックスは、忘れられないシーンとなった。既にメロディーも忘れ(譜割りの難しい歌だったが)前後関係も怪しいが、場面を反芻したくなる。
弁護士夫婦の夫(ラサール石井)は、東京裁判で松岡洋右元外相弁護団の補佐を引き受ける事となった妻(秋山)を支え、弁護人を有給で雇うよう当局へ掛け合う等「商才」?を発揮する。妻を公務に取られた弁護士事務所には、妻の父の知人という老齢の弁護士(久保酎吉)が応援に来ており、物の見方や法律上・人生上の助言もする役どころ。夫婦の間の一人娘は一本筋が通り、事務所の手伝いをしながら法律家を目指す。復員した正は抜け殻のようになった自分の中身を埋めるかのように勤勉に事務所の仕事に勤しむ。発語はいつも大声で「であります」口調。その感情を排除したような声が「言葉」として事実を淡々と伝える時、言葉の意味だけが情感を伝えてくる瞬間がある。ギャップ萌えと言えようか。
本論である東京裁判について、正面から言及されるのも二幕に入ってからの事。
妻はこの裁判はきっと「なぜこうなったのか」事実から振り返る機会、きっと良い影響をもたらそうだろうと熱っぽく語る。「歌」問題の調査(それぞれが歌を教わったというそれぞれの夫への聞き取りなど)を任された正が折々に報告する。この二つが主な案件として並行して進むが、これ以外に、弁護士事務所が受けた相談が紹介されるのは一件。
こんな相談だった、と報告する形で語られるのは、闇米の運搬を引き受け報酬を稼いでいたある女性が、上野で一斉摘発に遭った際、リュックサックに刃物を突き刺して穴を開けて中身を確認して回る警官の手にかかった。実はリュックには赤子を入れ、米は脇に抱えていた。赤子はその後死んでしまい、女が抗議しに行った所、文句があるならリュックに米を入れているヤツらに言え、と取り合われない。
この警官らの「返し」が井上の文才を思わせるが、占領下の日本でこれを告発するのは難しいとやむなく帰す。
この話と同様に「断念」を勧められるのが、弁護士夫婦の娘の幼なじみの青年。彼は父が朝鮮人で、地元の暴力グループに家を襲われた。警察はそっちの味方だから当てにできない、耐え忍ぶしかない、と周りはやむなく説得する。
朝鮮出身者は戦前「日本人」とされていたが、終戦で一旦処遇を保留されていた所、改めて「日本人」とされた。この事の意味についても作者は人物に語らせている。実は戦前は「日本人」と言いながら実際には区別していた。だが、今度は真正の「日本人」と規定した、それは「外国人」なら配慮が必要だが日本人なら放っておけば良い、という理屈なのだと。ここで歌われる歌は、日本人も朝鮮人も誰も彼も、「捨てられただけ」という歌詞。「ただ捨てられたのだ」が、日本人が到達すべき一つの認識(達観・諦観?)として作者が立てた(捻り出した)言葉だ。
負けた事を認められない人間が国家に寄り添い、政権に寄り添う。私らは政治によって良いように扱われ、軽んじられ、今も損をさせられ奪われている、つまり「負けている」のだが、これを認めたら権力と対峙する立ち位置に立たねばならなくなる。だから「奪われてなどいない」「政権は自分の味方だし」「反対を言ってるやつはパヨク」とこうなる。長期政権を「過ち=負けを認めない」リーダーが統べていた事も、影響しているだろう。
不敗神話=無謬性の原則に似て、先人の為したこと敷いたレールを、否定すべきでない、戦争でおかした過ちも「ない」として、改善と進歩の契機を一切認めない態度に通じる。20年前と言えば、歴史修正主義が勢いづいた時期だが、井上ひさしはこの時点でナショナリズムと「負けを認めない」態度との通底を見ていたのだな。
この捻り出した言葉に、井上氏の精魂が生々しく乗っている感覚を覚える。この作品も遅筆で苦しんだとの話。苦労の跡をこれほど感じ、そしてその苦労を超えて到達した高みをこれほど感じる作品はなかった。
GOOD -善き人-
フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京
世田谷パブリックシアター(東京都)
2024/04/06 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
今ひとつ面白くなかった。台本がそんなに悪いとは思えないし、では演出か?バンドの使い方など興味深いのだが、とにかくあんまり伝わってこなかった。佐藤氏萩原氏の演技が無駄になっている印象。
S高原から
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/22 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
奇妙な病が発生している日本。一見、病状はないのだが、それが発症すると徐々に弱って死んでいく。深い眠りに落ちるように。かつての結核患者みたいに高原にある高級なサナトリウムで療養生活を送る人々。(何故彼等にこんな経済的余裕があるのかは話の都合だろう)。人から人に感染することはなく、見舞客が気軽に頻繁に訪れる。コーヒー(刺激物)を摂ったりテニス(激しい運動)をしたりは、人によっては禁じられている。
常人よりも死をリアルに密接に感じる毎日。「メメント・モリ、カルぺ・ディエム」(死を見据え、今日の花を摘め)。堀辰雄の『風立ちぬ』の有名な台詞、「風立ちぬ、いざ生きめやも」(風が起きた、さあ生きようか···、いや生きられはしまい)。
徐々に“下”の世界とこのサナトリウムとが遠ざかっていく感覚。どうせすぐに消えて失くなってしまうのならば今更何をする必要があるのだろうか?ここは終末の楽園。辿り着いた終着駅。天井で反時計回りにぐるぐる回転を続けるシーリングファンがこの世界そのもののようだ。
宮藤官九郎っぽい、入院して半年の木村巴秋氏。
面会に来た彼女の瀬戸ゆりかさん。ある意味、前半の主人公。
その友人、田崎小春さん。やたら印象に残るリアクション。香坂みゆきっぽい。
そこそこ成功した画家だった吉田庸氏。作品全体を奏でるのは、彼の言いかけた台詞。
かつての婚約者でいいとこのお嬢様、村田牧子さんは美智子上皇后に似てる。
彼がここで絵のモデルになってもらっている南風盛(はえもり)もえさん。凄く何かがありそうな役だが何も見せない。
中藤奨(なかとうしょう)氏は女好きの遊び人。
狂気の兄妹、松井壮大(もりひろ)氏と山田遥野(はるの)さん。兄のサイコパス度合いは飯伏幸太を彷彿とさせる。怪獣スリッパ。
ワイルド番地
ホチキス
あうるすぽっと(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
実演鑑賞
前回の観劇は割と最近ではあったが、二年位?、、と見るとまだ一年前の事。自分(と劇団との距離感)にしてはインターバル短めであったがタイトルに惹かれ観劇。テーマ性、リアリティ、暗喩(皮肉?)そして最近は俳優(の蠱惑的演技)を重視する自分には異世界のホチキスの「見方」が、幾分判った気がした。
近未来(又はあり得ない現代)の設定でのっけからリアルを飛び越えた漫画的キャラ演技で成行きを正当化、ストーリー展開させるが、僅かな隙にリアルを忍ばせる。そこが終極「感動」に繋がるので(無論感動アピールは抑制的だが・・小玉女史の演技がこれを象徴)、やはりリアルは演劇の要であるのには相違ない。
「決闘」する本人のような出立ちの小玉氏は市役所決闘課二課の課長で、「決闘の要望を実現させる」ために奔走する課の課員は生き生きと躍動的。一方の一課は「決闘をさせない=和解に持ち込む」役割を任じており、倦んだ勤務環境をデフォルメしたかのようだが老獪な課長は課長なりのスピリッツがある事が観客の前に表面化し、両課の二項対立は二課の新人社員の「恋」も絡んで物語的に激化し漫画的展開とナンセンスすれすれなゲーム感覚が暴発して行く。
醒めた目では楽しめないリアル外しに思えるが、テーマ性はそこはかと漂ってる感があり、メロウを嫌った終劇で笑いを誘う。
今少し述べたいが後日追記。
ネムレナイト
大人の麦茶
ザ・スズナリ(東京都)
2024/04/10 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
始めて見る劇団だが、最終公演という。二十年あまり、スズナリで30回公演を打ってきたと言うが、そろそろ時分なので・・という見方によっては潔い引き方である。客席にも舞台にも悲壮感もないコメディ調のお別れ幽霊譚である。批評はやめておくが、小劇場の世界もこれからは今までのような安直な友達座組では成立しないのだろうと思う。稼ぎのために2.5まがいの営業をしなければならないとすれば、下北沢の空気も変わっていくことだろう。
La Mère 母
東京芸術劇場
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
久しぶりに二日続けての演劇鑑賞。それも格調高そうな交互上演の2作品なので期待大だった。しかし昨日の息子の方はまあ普通だが今日の母にはガッカリ。演出の都合上内容が薄いのは仕方がないがそれにしてもこちらの想像を一歩も出ないストーリーには呆れてしまった。
まあこんなストーリーで商売が成り立つのはフランスの事情なのだろう。チェーホフの描く没落貴族の贅沢な悩みと同じだ。木戸銭を払うことのできる階層相手に商売をしているわけだ。日本のお父さんは家庭内の居場所は早々に失い、定年で会社という居場所も失うという悲惨な状態なのだが、彼らは演劇なんか観ないので芝居になることはない。そしてこんな母よりもっとたくましい(=鈍感ともいう)。
若村麻由美さんの熱演がかろうじて芝居の形を作っていた。それでようやく☆3つ。
電撃メトロ
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/04/13 (土) 13:00
内戦勃発により国別に設置された地下鉄の駅内のシェルターに避難した日本人たちの物語。第一幕ではシェルターでの様子、第二幕では内戦終息後の各人物を描いているが、昨今の世界情勢から妙なリアリティを感じさせる。
そして終盤の「あの台詞」はずっとそうあって欲しいという堤さんの願い/祈りと受け取ったが、それが痛烈な皮肉に聞こえてしまう現状……。まさにイマの世界(特に日本の)情勢に警鐘を鳴らす意欲作と言えよう。
朗読劇「Aiと命」
WizArt
Art Live Space 「Special Colors」(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
電撃メトロ
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
SSチーム千秋楽観劇。
1幕はあまり乗れず。危機的状況の中で心理的軋轢の描写がもっと欲しかったなというのが正直なところ。
秩序を乱す存在と受け取ったテントの男、もっと暴れても、、、と思う。
ある意味、日本人的倫理観を象徴していたのかもしれないが。
一転、2幕は面白かった。
戦後の闇市の未来版とでもいうか、人々のエゴが見え隠れするストーリーに引き込まれた。
結局、だれも救われずに終わるかに見せかけて、最後の歌ですべてを持って行った感じ。胸熱くなった。
松子の存在がかなり異質というか空気読めない系の人物だったが、社会情勢に無関心、何事にも受け身な日本人の暗喩として物語全体のキーパーソンだったのでは?と思った。
外れているかもだが。
さよう、ならば、また、
時速246億
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初日さようチーム観劇。
青春ファンタジーで既視感あるも小劇場らしい展開でまずまず満足。世代間ギャップネタ、ベタだけど笑える。
ただ、ライトすぎるというか、テーマといえる「接続の物語」やプロローグとエピローグの繋がりが少し薄い感じが気になったかな。
アイドルは AT 車に限る
怪奇月蝕キヲテラエ
新宿眼科画廊(東京都)
2024/04/12 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
劇団名からは想像できないストレートな作品。
だが、理解はできるが共感できず。所詮アイドルは偶像に過ぎないという冷めた人間なので…怒られそう。
とは言え、藤真さん、平安さん、荒井さん見たくて行ったというこの自己矛盾。
那須塩原とか宇都宮とか、元県民なので何となく嬉し。
ひぐるま、ゆもとが中心なのは当然として、アイドルと一般人どちらの感覚も持ち合わせている感じの那須娘がいてこその話かな。
2人の演技、良かったなと。
マシュー・ボーンの「ロミオ+ジュリエット」
ホリプロ
東急シアターオーブ(東京都)
2024/04/10 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
新たなジャンルの舞台を拝見しました。
台詞は全くありませんから、あらすじ読んであとはステージを見るだけです。
こういうものはどれも好みだと思いますが
個人的にはかなり高得点のステージでした。
台詞がたくさんなのも大変かもしれませんが
全く台詞がなく全て身体表現っていうのも物凄い大変でしょうね。。。
1つ間違えたら大ケガをする事になってしましますから
外人好きという方では無いと思いましたが
隙のない構成、ダンススキル、人形の様に美しいキャストと満足感は高いと思います。
台詞好きには勿論勧めませんw
悪童日記【4月15日夜~4月16日公演中止】
サファリ・P
THEATRE E9 KYOTO(京都府)
2024/04/12 (金) ~ 2024/04/16 (火)公演終了
ネムレナイト
大人の麦茶
ザ・スズナリ(東京都)
2024/04/10 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ふんわりと始まったのに、知らないうちに複線回収だぁ、と気付いて、あ、あれがあーなってと思っているうちに
互いに思い合っている気持ちがわかり合えない、伝わらない、叫びに涙した。
思い合う気持ちって、素直に伝えられない、伝わらない。
これは神様、仏様のいたずらか?
さよう、ならば、また、
時速246億
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/04/13 (土) 18:00
座席1階A列10番
価格8,800円
2チームあるうちのさらばチームの初日を観劇。
地縛霊11人と生きながら彼らたちと交流を結ぶJKのお話。
様々な理由で死に至り、高校の屋上を住みかとする地縛霊たちは、やがて来る廃校の日と取り壊しでよりどころを失うことに。
ヒロインでJK役の道本成美さんとその友人で行きながら霊たちと交流するJK役の横室彩紀さんが特によかった。
デカローグ1~4
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
またも新国立劇場の意図不明の上演である。しかも超大作。見終わるには三日、観客は劇場に通わなければならない。「エンジェルス・イン・アメリカ」や「グリークス」に習ったのだろうが、このAを見ただけで、この連作ものを上演する意味が疑わしくなる。
まず、これはポーランドの庶民劇である。先の「エンジェルス・・」も庶民劇で、時代の象徴性があるではないかと言うだろうが、それは牽強付会である。このポーランドの市民集合住宅にも時代の風俗はあるが、時代のテーマがない。それを無理矢理超大作にして遠く離れた極東の国立劇場が翻案する意味がわからない。ならば、三十年前のポーランドの世界に、現代の日本を考えさせるようなドラマがあるか。
二つ、原作は映画である。監督作品と言っているからシナリオと言うより、映画であろう。あまり話題にならなかった映画だが、それなら映画を見れば十分である。映画は映像のリアリティで、内容を保証している。舞台にはそれを超えるリアリティを持たなければ態々、極東の國で翻案戯曲化する意味がない。そのための工夫が全くと言ってよいほどない。前世紀に非常に複雑な歴史体験をしたポーランドの市民劇を、多分、物珍しいだけで「エンジェルス・・」に形だけで匹敵できると考えている安直さが見えてしまう。せめて既にポーランドで戯曲化されている作品の翻訳ならまだ解るが、國を渡る難しい翻案を、まだ経験も少ない若い台本作者に課すのは酷ではないか。責められないが、翻案の意図が読めない脚本である。三つ、二人の演出者の交互演出というのも解らない。十分に冒険的な企画であるが、それなら、一人の演出者が通すべきで、歌舞伎のお披露目ではあるまいし、任期がきて変わる新旧芸術監督が連続演出するというのは、観客を愚弄しているとしか思えない。観客の方は、もう、新旧両演出家の資質がまるで違うことをよく知っているからである。
最初の二つのエピソードの公演には以上の危惧がそのまま出ている。
まだ開いて三日ほどだから、いつものように半分も入っていないという事態ではないが、こういう超大作をやる劇場の熱気がまるでない。次期芸術監督には、まずは貸し館しか客の入らない劇場に演劇の熱気を取り戻して欲しいと期待する。。
デカローグ1~4
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/04/14 (日) 17:30
A(1,3)を観た。淡々と人生を描く作品。どんな意味があるかを考える。50分(20分休み)47分。
ポーランドの映画をベースに舞台化。1980年代の後半、ワルシャワのアパートに住む10の家族の物語を、10本の作品で淡々と描いたらしい。
1「ある運命に関する物語」は言語学教授の父と、12歳の息子、そして叔母の物語。ある意味で日常を描くが、とある事件で…、の展開。
3「あるクリスマス・イブに関する物語」は、タクシー運転手の男がイブに家に帰ると、元の恋人が来て…、の物語。どちらも、ちょっとした事件は起こるが、どこでも起こりうるかも知れない物語。
これを映画で観るのと、舞台で観るのとでは、印象が違うと思うが、舞台化した意義は、とか考えてしまった。演劇的なクオリティは極めて高い。
ワイルド番地
ホチキス
あうるすぽっと(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ぶっとんだ設定でパキパキと話が進み、あっと言う間に終わってしまった。
信念のぶつかり合いが熱く、役者さんたちの全力がひしひしと伝わってきました。
あ~満足満足。