時計じかけのオレンジ 公演情報 ホリプロ「時計じかけのオレンジ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    デボーチカとマルチックのガリバーに、トルチョク喰らわせてハラショーな感じに仕上がるのかと思っていたが
    意外にすっきり見やすい。暴力的ではない暴力。
    映像の派手さもカッコいいし、何より生演奏がハラショーなのだ。

    ネタバレBOX

    「観たい」で、「終演後の気持ちをどこに着地させてくれるかに期待」と書いたのだが、それは、例えばラストが、原作どおりだったにしても、あるいは映画のようだったにしても、それに意味をどう持たせるのか、がとても気になっていたのだ。
    暴力がテーマで描かれている作品なので、今、この世界で、それがどう提供されるのか、に興味があったのだ。

    タイトルに書いたように、ロシア語などがチャンポンの彼らのスラングで溢れている原作は、スピード感があるものの、読みにくい多くのスラングとの塩梅が物語を形作っていた。
    今回の舞台は、原作のほうに寄りながらも、ビジュアルは明らかに映画のほうを選択している。さらに各エピソードは軽めに仕立ててある。つまり、喉ごしがいいというか。暴力が描き切れていない気がするのだ。何も残酷にしろ、血を飛び散らせろ、というのではなく、暴力とはどういうものであるのか、をしっかりと見せることが必要ではなかったか、ということなのである。
    そして、それをどう伝えたいのか、である。

    それに関して、さらに気になるのは、「観たい」に書いた「終演後の気持ちをどこに着地させてくれるか」にかかわることだ。
    結果、原作(小説)のラストを選択したのだけど、それがどうこうと言うより、それへの態度が気に入らない。つまり、冒頭から「原作はこうしなかった」「映画ではこうだった」などと言う台詞が入るのだ。ラストに至っても「原作どおりに終えた」とわざわざ言わせている。

    確かに、ラストでは「それ(原作どおりにしたこと)は大人になったということだ」として、物語とうまく関連づけているように見せているのだが、納得のいくラストに仕上げられなかった演出家の言い訳にしか聞こえないのだ。つまり、そうした「原作では云々」という台詞がいちいち「言い訳」にしか聞こえないということなのだ。
    なんでそんなことをわざわざ冒頭とラストに入れたのか? と思ってしまう。どうもそこに潔さのようなものが感じられない。「自分たち」はこの舞台を通じて「何を伝えたい」のかということが、疎かにされてしまった印象なのだ。
    用意された原作を、そのとおりに作りました。それは「大人ですから」という感じ。

    また、どうも、役者のナマな迫力や存在感に魅力をあまり感じなかったのも事実だ。いろんなものに振り回されている感じがしてしまった。

    とは言え、映像やそれとの絡み方のセンスには、素晴らしいものがあった。そして、生演奏もよかった(音は悪すぎだが・バンドの位置の問題か?)。

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    2011/01/31 05:14

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