ZOMBIE(ゾンビ) 公演情報 INUTOKUSHI「ZOMBIE(ゾンビ) 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    みんなゾンビになりたがる
    観客を楽しませようという意気込みや勢いを感じた。
    笑いも弾けていたし。

    ネタバレBOX

    4面客席という配置なのだが、とてもうまい使い方で、死角ゼロだったと言っていいだろう。
    テンポが良く、スポーツを観戦しているような感覚で気持ちいい。
    みんなうまいなあ。

    キャラを設定しないと、人とのコミュニケーションがとれない若者(人々)が、そのキャラを取り払われてしまうと、ゾンビになってしまう。

    被っている仮面を脱ぐことでゾンビになるのだが、劇中では、ゾンビは仮面を被って演技しているという、皮肉な設定が面白い。
    そう、つまり、「キャラの仮面を脱ぐ」ことで、自由にしゃべれるようになるのだが、それは、実は「ゾンビ」という「新たな仮面を被る」こにほかならず、結局、新しいキャラ、すなわちゾンビ・キャラを手に入れたことで、「何でも好きなだけ話していい」というルールに則り、堂々と自分を語り出すということなのだ。

    だから、他人がゾンビになって、勝手に、かつ自由に自分を語り出すという姿を見て、誰もが、本当はゾンビになりたがっていたのではないのだろうか、ということだ。

    それを本当は誰しもが望んでいることだからだ。
    ゾンビから逃げるという「フリ」をして、噛まれちゃったから、「しかたなく」ゾンビになった、とい体(てい)で、「だってゾンビになっちゃったんだもの」と喜々として自分を語り出す。

    ゾンビになって自由を手にしたのかもしれない。
    しかし、それもキャラなので、いつかは破綻がくるのかもしれない。

    で、話は少々ずれるが、観ながら思い浮かべていたのは、『ひかりごけ』(武田泰淳)だった。
    『ひかりごけ』は戦中・戦後を舞台とした物語であり、人が生きて行くには誰もが無垢ではいられないというストーリーであった。それと同様に、『ZOMBIE』では、現代では、誰もが本心・本音に蓋をしないと生きていけない。つまり、両者に人が生きていくための性(さが)のようなものの共通点を感じたのだ。前者では、その証の光りの輪がすべての人の頭に輝き、後者では、すべての人がゾンビになってしまう。

    まあ、そんなことどうでもいいですね。

    にしても、ゾンビとOBのダジャレは少々きつい(笑)。

    なんだかよくわからないけど、ゾンビな気持ちを短冊に書くと入り口に掲示してくれるらしい。七夕とゾンビは関係ないし、そもそも12月だし。とりあえず、何か書いて渡しておいたけど。

    ちなみに、私の観た回のアフタートークは、ひょっとこ乱舞の広田さんだったが、面白い。話し好きなんだろうな。ひょっとこのあの精緻さとはまた違った饒舌さとサービス精神に溢れている。
    劇中では、ひょっとこを乱舞させるという大サービスまであったのだ。

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    2010/12/09 06:23

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