夏砂に描いた 公演情報 miwa produce。「夏砂に描いた」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     えのもと ぐりむさんの脚本。極めて詩的な朗読劇である。オープニングで生ギターの演奏と歌唱。その後ギターは効果を担う。上演形態は朗読劇だが間の取り方や表情、声音等の変化で登場人物の心理をも細かに表現し脚本に描かれた内実を上手く舞台化している役者陣の演技、演出の良さが、この上演空間に辿り着く迄の都会の暗がりの持つ何とも言えない雰囲気とも呼応してグー。お勧めである。華4つ☆

    ネタバレBOX

     観たいではPaul EluardのL'Amourに絡めたコメントを書いたので観劇後は同じフランスの詩人、Paul VALÉRYの"Charmes"所収の有名な詩Le Cimetière marinから今作終章に呼応する1行を抜き出し書き添えておく。
    La mer, la mer, toujours recommencée
     VALÉRYの用いる単語は極めて簡易である。それは彼が20世紀最高の知性と称されたことにも関係するように、言語が真に厳密な表現機構を為す為にはその単語1つ1つが数学的に相互規定し合ってその内実を厳密に規定し合い意味する内容を正確に相互規定し合うことによって表現される内実に異同が起こらないことを目指したからである。従って読者に要求されることは上記のコンセプトを目指しつつ己の思惟によって為される厳密な解釈である。自分も仏語を習い始めて半年ほどでVALÉRYの原書にあたった。辞書と首っ引きであったが単語は容易で解釈に苦労した。その後、その詩行の美しさに撃たれるようになったのは矢張りBaudelaireの"Les Fleurs du mal"を愉しむようになる頃迄待たねばならなかったが。無論VALÉRYの理想は実現しない。然しVALÉRYは哲学の盲点を曝け出したことが重要だ。哲学が言語を用いる限り厳密な意味でそれが普遍的であることなど在り得ない。哲学は、異論、無数の解釈の集大成に成らざるを得ないのだ。
    今作の序盤と終盤は極めてよく似た台詞でサンドイッチされているが、その内実は大きく異なる。このような差異こそ、言語の持つ曖昧さに起因しているように思われる。そのような曖昧を生きるヒトという生き物の生々流転、淀みに浮かぶ泡沫の如き存在の侘しさ、哀感、未練や何やらを下敷きにこれらを越えようとする靭さを載せてLe Cimetière marinのLa mer, la mer, toujours recommencéeと今作が響き合う。
     仏語辞書を引いて各自、仏文は自分で解釈したまえ

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    2025/03/29 16:03

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  • 皆さま
    ハンダラです、アップしました。ご笑覧下さい。

    2025/03/29 16:12

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