実演鑑賞
満足度★★★★
そう言えば感想がまだだった。
本公演、桟敷童子の二名には絶大な信頼を寄せているが、横内氏の知らない演目そして今回は(作ではなく)演出に起用された深井氏と、未知の領域である。が、結果は、良い出し物だった。
この女の「正体」については最後まで(表向き素性が明かされた事になっているが)杳としている。二つの「解」があって良し、異端者差別への暗喩としても芝居は成立していた。鶴の恩返しに似た展開が、異国人の設定でなされるが、芝居の引力は「でも実は・・?」という謎めきである。その意味で掟に縛られた村の母息子、また長者の使いとの因習臭いやり取り、古めいた衣裳、装置が効果的。「実は」、がありそうなのである。ただその暗示がドラマの中で生きるには、異端を排斥した「捕り物」が終わったラスト、その後の顛末は一切語らせず、鶴の姿に戻り飛び去ったのでなくてはならなかったのでは・・と思う。従って、女が脱ぎ捨てた白い布に付いた血の色よりも、飛び去った事を暗示する真白が正解ではなかったか。血の汚しだけは最後気になった所であった。
山道に倒れていた女を連れ帰り、人助けをした時点では無自覚であった息子の本音が、母の拒絶により形になる「おら女房が欲しいだ」の台詞に対し、「よそ者を入れてはならぬ」と追い出すよう言い含める母も、その理由が建前であり息子を奪われたくないのが本音とも見え、それ故か、息子の不納得を招く。あるいは然程に魔力を発する女が村での平穏な生活を脅かす事をガチに恐れたのか。。いずれとも取れるのだが、母が殺されるべくして殺された(事故であれ)事実として納得してしまう所がある。
妖しの棲みそうな世界観が上手く表現され、好みであった。
最後の最後に長者の使いに語らせる村の「真実」は、世に語られる「本当」「正直」の危うさを露呈させており実に巧い。実はこの真実が、正当とは言い難い身分差の絶対化によって生み出されている事には、たとえその解消が困難な今であっても、自覚的でありたいとは思う。悲劇はそこから生まれたのであるから。