実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/03/09 (日) 12:00
刑務所内が舞台となる劇や映画、ドラマはよくあるが、大抵は囚人たちそれぞれの個性を描きながら、仲間を集めてチームを組んで、時にぶつかり、時に支えあいながら刑務所からの脱獄をするドタドタコメディ、シリアスな頭脳戦を駆使した脱獄劇こういったエンタメさくひんが一般的には多い。(男女どちらの刑務所を舞台としても同じく)
若しくは、冤罪や日本の死刑制度の在り方における人権侵害の問題に真摯に取り組んだ映画におけるミニシアター系やTVでいうと独立系のTV局、小劇場演劇などで行われる社会派作品といった形で囚人たちが、または囚人が描かれることは多い。
今回の劇では、、途中女囚たちと刑務官たち、刑務所長とのドタドタコメディや芸人の姉妹や女囚同士の笑い、ユニークで絶妙にズレているシスターやとある女囚と刑務官がレズの関係にあり、人前で公然とキスしようとする大胆な展開なども見られた。
しかし、意外と今まで描かれていそうで、特に演劇ではあんまり描かれてこなかった殺人事件で殺された被害者の生き残った母娘の側から、囚人や死刑囚がどういったふうに見られているか、最初娘は特に死刑囚に対して憎しみ、殺意さえあったが、その感情を乗り越えて、成長していく様が描かれていてなかなか新鮮だった。
そして、劇中に一線を越える、超えないといったこと、犯罪を犯す側と犯さない側の違い、犯罪を犯した場合、法のもとで裁かれるが、犯した人は社会に復帰するためには、再犯しないためにはどう自分を見つめ直し、反省し、2度と同じ過ちをしないように気を付ければ良いのかといったことを深く考えさせられながらも、笑えて歌って踊るエンタメ作品という要素、いくつかの要素をバランスを考えながら劇に昇華していて面白かった。
但し、個人的には、死刑囚だからといって、仮にその死刑囚が連続殺人犯だとしても(まぁ、被害者家族からしたら、自分の手で殺してしまいたいぐらいだが、それでは法に触れるので、法の名のもとにでも、犯人を裁いて極刑である死刑にしたい気持ちも判らないでもない)、日本の現状制度としてある死刑が、法の名のもとに行われるのはおかしいと感じる。
先進国では死刑が撤廃されている国も多いし、されていない国でも事実上の廃止になっている国も少なくない。
そういったことを考えた上で、死刑制度とは国の法の名のもとに平気で公然と人が人を殺せるシステムだと考える。
それにまた、日本で絞首刑を行う際、ボタン一つ押すだけで済ませられるということを考えても非人道性は否めない。
また、死刑囚になる程の罪を犯した人間が死刑になることで、死を持って償うというのもどうかと思う。
凶悪犯にだって、大抵の場合家族や親族がいる。奥さんや夫、小さい子どもがいる場合もある。法に則っていたとしても、囚人が死刑にされた場合、日本は軽犯罪でさえ、1度犯すと、就職や恋愛、結婚もままならず、軽犯罪者に家族や親族、子どもなどがいる場合、学校や職場に居づらくなり、自殺にまで追い込まれる人もいるのだから、これが死刑囚の家族や親族、子どもの場合、自殺どころか、一家心中、無理心中に発展するリスクも高くなるし、職場のパワハラ、同僚による陰口、学校での壮絶な虐めなどによって引き籠もりになるリスクも高まるだろう。子どもに八つ当たりして、虐待が頻発とかも十分考えられる。
勿論、上記のことは、犯罪被害者家族やその子どもにも言えることだが。
いずれにしろ、家族や親族、子どもたちの将来も壊すことになる。懲罰感情を近代的な法制化とが複雑に絡み合った死刑制度が、日本の死刑制度だと感じる。
以上のことから、私は死刑制度には反対だ。その死刑制度があることで、凶悪犯罪が増えていないといった確証もない。むしろ、地方都市や田舎で起きる凶悪犯罪は跡を立たない。
死刑制度の代わりに、凶悪犯には、終身刑にして、相当頑丈に出来ていて、脱獄不可能で、ほとんど光も入ってこない厳重警備な独房にいれて、本と写真、スクラップブックを持ち込むのだけはOKにして、勉強がしたいと言えば、他の囚人たちと交流させながら、刑務官がさり気なく見張って勉強をさせ、時々凶悪犯の場合は、被害者家族とも合わせつつ、長い時間をかけて自分の犯した罪に対して、徐々に反省させていく仕組みのほうが、今の死刑制度よりか、よほど健全で、人道的だと考える。
人はすぐには反省しないかもしれないが、たとえ凶悪犯であっても、時間をかけて、カウンセリングや他の囚人たちとの運動なども含め、長い時間と人との交流をして、本を読み、しっかりと勉強すれば少しずつ罪の意識を持つようになるかもしれない。そのチャンスさえ簡単に奪ってしまうのが、死刑制度だと強く感じた。