ノートルダム・ド・パリ ストレートプレイ 公演情報 GROUP THEATRE「ノートルダム・ド・パリ ストレートプレイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     物語の中核を担う役者陣の演技力が高く、生演奏のギターが素晴らしい。華4つ☆

    ネタバレBOX

     敢えてStraight Playと銘打っての公演である。それだけにロマ(日本ではジプシーと呼ばれることが多い)の踊り手・エスメラルダの踊りの伴奏や随所に入る生ギター奏者の腕は大したものである。而もエスメラルダ役の女優の踊りも本物のジプシーの叩きつけるような激しさこそないものの可成り野性味のあるダンスで高く評価できる。若い役者陣は未だ板上に立つことと現実生活の間(あわい)を体得できていないことが明らかであるが、これは演技の極致であるからこれ以降益々の精進を望む。
     作品は実際にHugoの作品を翻訳でも良いから読んで頂くとして、矢張りHugoの作品らしい作品ということができよう。因みにHugo存命時、彼の新作が出るとなると新作を出す出版社の入っているビルの周りには初版本を待ち兼ねたファンがビルを幾重にも取り巻いて買い求めその行列は件のビルばかりではなく街路に延々と伸びて買い求めたという資料が残っているから如何に人気のある作家だったかは想像して頂けよう。作家としても詩人としても大成功を収めたHugoではあったが、彼の人生は一方で非常に辛いものでもあった。息子や愛娘が相次いで亡くなった経験を持つ父でもあったし、数々の浮名を流したこともあったのだ。而も兄の1人は彼の妻を恋する余り発狂してしまった。フロローの抱える様々な社会的・人間的側面はHugo自身が持ち抱えていた多様な側面を反映しているように思う。同時に今作の主人公であるカジモドにせよ、踊り子のエスメラルダにせよ、その魂は実に純粋で汚れが無いが、彼らのキャラクターも矢張りHugoの魂や心に在ったもう一方の極であろう。然しエスメラルダを誘惑するフェビュスにせよNotre-Dame福司教であるフロローにせよ、その実弟・ジャンにせよエスメラルダの可愛がる山羊・ジャリと「言葉」を交わすことはできない。ジャリが交感できるのはカジモド、エスメラルダ、戯曲家のピエールのみである。動物は不思議な存在だ。相手が人間であっても邪気の無い人間を恐れることは無い。無防備で甘えてくる。真の人間性は、このように動物たちにすり寄られる者達のみが持つ魂の宝である。Hugoの登場人物は「Les Misérables」のJean ValjeanにしてもCosetteしても最も純良な魂が世間の理不尽やヒエラルキーに翻弄され続ける。今作も然り。而もエスメラルダは光を失い、遂には絞首されてしまう。この光を失う場面は、ソフォクレスの「オイディプス王」を始めATG映画で松本俊夫が監督した「薔薇の葬列」でも描かれるシーンだが、このことの意味する処だけでも突き詰めて考究すれば1冊の本をものすることが出来るほど深い。観客がショックを起こす可能性を考慮してエスメラルダが目を刳り貫かれるシーンは割愛しクロパンに台詞で表現させるに留めたのであろうが、今その必要があろうか? パレスチナ人の女性・子供たちに対してイスラエル軍や入植者が行っている残虐極まる虐殺や暴力、嫌がらせ、差別、占領等が散々報じられている中で、G7をはじめとする所謂先進国がイスラエルによるフェイク及びマスゴミの垂れ流す意図的隠蔽を支持し、其処に住む人々がまたそれらを図式的に処理して済まして自ら想像力を動員できない頭脳にしていることが今着々と第三次世界大戦への道を踏み固めているのだという極めて重大な局面を見過ごすことにもなりかねない。そう危惧している。

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    2025/03/06 14:27

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