実演鑑賞
新国立劇場の研修生の卒業公演という、いわばプロのための練習の打ち上げ上演だが、ガラガラで5割にも満たない関係者らしい観客も多い公演だった。しかし、一方ではちゃんと通常の料金を取っての公演である。
この劇場の研修公演では昨年だったか、ダンスに戯曲をかみ合わせて、終始全員で踊り続ける「ロメオとジュリエット」(演出・岡本健一)があった。こちらは新しさと面白さの意図が伝わった。研修生でなくプロだけでやったらもっと面白かったのにと思った。
なんかやってることがチグハグなのはいつもの新国立らしいが、芸術監督も替わることだし、是非、改めて欲しいことだ。かつては演目の選び方も演出者の起用も意外に冒険もあって、研修生もオオッツというのがいた。現に研修生の歩留まりは良い。
今回のチグハグについての疑問。
まず、この本をどういう意図で選んだのか解らない。調べてみたら97年の作品。時代色が濃い中途半端に古い作品をテキストとして選んだ意味がわからない。松田正隆には研修生が宮田慶子演出で確実に勉強になる「夏の砂の上」とか、「海と日傘」とか「坂の上の家」とか、研修生の年代(青春後期)にとって挑戦しがいのある奥の深い作品がある。しかしこの97年の「美しい日々」は、バブルが終わった時期を背景に、作者も作風の転換期で、作品の揺れが大きい。その時代を背景にして、都市と地方の成年期を描くと言うが、腰が定まっていない。今のこういうテーマなら昨年の加藤拓の「ドードーが落下する」がある。近過去の色合いが強く、研修生に難しい作品を選んだ理由がわからない。
若者の世相風俗や性の現実を松田作品は鮮明に取り込んでいるが、丁度世紀が変わり不景気の時代に替わる頃そこが大きく変わった。今このテキストで若者を描くと古くなってみえる。ドラマを、時代劇でやるか、現代劇でやるか、決めかねている。そのあやふやさは劇中、具体的に出てくる借金の額の50万円の意味の切実さが伝わらない。30年の年月は手強い。30年前は。中央線沿線の二階建て民間アパートが消え始めた時期である。
若い男女の性関係から結婚という社会性が切り離され始めた時期である。「神田川」が完全に懐メロになった時期と言おうか、そこに筋を通すには旧作では難しい。
風俗劇を研修生のテキストにするのもどうかと思うが、この辺にチグハグさの原点があると思う。
。