実演鑑賞
満足度★★★★
見応えあり。
新国立の研修所公演は結構観ており意外に(?)当たり率が高いのだが、本作も「観に来て良かった」と初台を後にした。今期研修生の発表は二度観られた。先日の岡本健一演出「ロミジュリ」は有名戯曲の料理法=演出が攻めており、俳優らは古典世界を生きるよりは現代性を体現する素材として懸命に立っていた印象だった。「争い」の本質にこそ瞠目すべき、との明快な演出だった。
これとは打って変わって今作では、人物の存在を観察・凝視される現代口語演劇の登場人物として舞台に立ち、別の難課題にしっかり組み合っていた印象。松田正隆の初期戯曲?(ちゃんと調べてないが)と言われると分かるのは、他の代表作たちが徹頭徹尾リアルな現代口語演劇であるのに対し、象徴的・脳内風景とも見える場面が劇進行に介在している。そして十分魅力的な戯曲である。(演出は研修所で三度も取り上げたという気持ちは分かる。)
二部構成。前半は都会の一隅、木造アパート(台所は共同)につましく住まう互いに知らぬ間柄の二組の人間模様で、第二部へと向かう第一部のラストは貧しい兄妹が住む部屋での殺人事件(そうであったとは二部ではっきり分かるが)。一方の独身男が住む部屋では別種の破綻がじっとり進む。戯曲か演技の的確さか、新居の話さえしている婚約者との決定的破綻の原因が、後に能天気な元生徒(昨年まで教師だった男を慕う)がわざわざやってきて読み上げる「観察記録」によって「性生活」にあったことが暴露されるのだが、その前段で既に「それ以外にないよな」と観客は確信している。仄めかしとそれへの言及。男の「不全」又は「それの物足りなさ」がアイテムとなる物語はどの時代にも在るが、この時代におけるそれは救いの無さの象徴として十二分に機能する。
そして男が友人に弟の実家に身を寄せると言った九州の田舎の広い家の居間が、第二部の舞台。田舎が持つ開放性(自然に開かれている)と、この家の特徴だろう「人間の良さ」が、都会の毒を舐めた人間の躓き、傷を逆に浮き上がらせるが、悲観に飲まれそうな主人公たちが、どこか清々しさを湛えている。その微かな希望のようなものに胸がざわつく。
実演鑑賞
満足度★★★
松田正隆戯曲の謎。
多分、『月の岬』しか観ていない自分にとっては謎でしかない世界。『月の岬』は訳が分からないが気になって仕方がなかった。思わせ振りな作劇、暗に考察を要求している。答えのない謎掛け(マクガフィン)狙いの作風なのか?それとも答は厳然として在るのか?
1997年の戯曲なのだがそれにしても随分古い設定。当時観たとしても70年代のドラマ風、山田太一や「神田川」の世界。ある種のパロディーとして観てしまう。(元々は高校教師の設定だったが今回は変えているのか?会話の内容から大学院に在籍しながら予備校講師をしているのかと思った)。
第一幕の舞台は古い共同アパート。風呂は勿論なく、トイレも流しも共用。隣室の男が置き忘れた果物ナイフをこれ幸いと使ってしまうような。
主演の風邪をこじらせている先生、横田昂己(こうき)氏は中迫剛っぽい。結婚を前にして悩み苦しむ。
ストーカーのように付きまとう教え子、萬家(よろずや)江美さんは平成バンギャファッション、何故かガンズTシャツ。
結婚を目前とした婚約者、高岡志帆さん。
親友でもある同僚、篁(たかむら)勇哉氏の買ってきた林檎。
もう一人の同僚の中村音心(そうる)氏。大野智っぽい。
その隣の部屋では働かない兄が妹に金をねだっている。
石井瞭一氏は若き伊藤克信風の世間に敗残した弱者。
その妹、水商売の飯田梨夏子さんは色っぽくて気になる。
浮世離れした恋人、齋藤大雅氏には何故か見覚えがあった。
ボロアパートの二階、二つの部屋で起きる諍い。どうしたらいいか自分では本当に分からなくなって、人を殺めてしまう。答が暴力にしか見出だせなかった。
自分的には篁勇哉氏と飯田梨夏子さんがMVP。
篁勇哉氏は名助演。昔の友人に似ていて好感。お人好しの優しい奴。いろんな役が出来そうなので使い勝手が良く引く手あまたになりそう。
驚くべきは第二幕。一体、これは何の話なのか?
是非観に行って頂きたい。
実演鑑賞
新国立劇場の研修生の卒業公演という、いわばプロのための練習の打ち上げ上演だが、ガラガラで5割にも満たない関係者らしい観客も多い公演だった。しかし、一方ではちゃんと通常の料金を取っての公演である。
この劇場の研修公演では昨年だったか、ダンスに戯曲をかみ合わせて、終始全員で踊り続ける「ロメオとジュリエット」(演出・岡本健一)があった。こちらは新しさと面白さの意図が伝わった。研修生でなくプロだけでやったらもっと面白かったのにと思った。
なんかやってることがチグハグなのはいつもの新国立らしいが、芸術監督も替わることだし、是非、改めて欲しいことだ。かつては演目の選び方も演出者の起用も意外に冒険もあって、研修生もオオッツというのがいた。現に研修生の歩留まりは良い。
今回のチグハグについての疑問。
まず、この本をどういう意図で選んだのか解らない。調べてみたら97年の作品。時代色が濃い中途半端に古い作品をテキストとして選んだ意味がわからない。松田正隆には研修生が宮田慶子演出で確実に勉強になる「夏の砂の上」とか、「海と日傘」とか「坂の上の家」とか、研修生の年代(青春後期)にとって挑戦しがいのある奥の深い作品がある。しかしこの97年の「美しい日々」は、バブルが終わった時期を背景に、作者も作風の転換期で、作品の揺れが大きい。その時代を背景にして、都市と地方の成年期を描くと言うが、腰が定まっていない。今のこういうテーマなら昨年の加藤拓の「ドードーが落下する」がある。近過去の色合いが強く、研修生に難しい作品を選んだ理由がわからない。
若者の世相風俗や性の現実を松田作品は鮮明に取り込んでいるが、丁度世紀が変わり不景気の時代に替わる頃そこが大きく変わった。今このテキストで若者を描くと古くなってみえる。ドラマを、時代劇でやるか、現代劇でやるか、決めかねている。そのあやふやさは劇中、具体的に出てくる借金の額の50万円の意味の切実さが伝わらない。30年の年月は手強い。30年前は。中央線沿線の二階建て民間アパートが消え始めた時期である。
若い男女の性関係から結婚という社会性が切り離され始めた時期である。「神田川」が完全に懐メロになった時期と言おうか、そこに筋を通すには旧作では難しい。
風俗劇を研修生のテキストにするのもどうかと思うが、この辺にチグハグさの原点があると思う。
。