ごはんが炊けるまで(仮) 公演情報 演劇企画アクタージュ「ごはんが炊けるまで(仮)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    「家族とは」という普遍的だが 当たり前すぎるテーマ、そこに「何か違和感」という興味を惹かせる。もっともこの違和感は、例えば 宮部みゆきの小説「理由」の設定でも用いられており、(ミステリー)小説ほどの牽引力はない。ただ 家族の強い結び付き といった先入観から一歩引いて俯瞰することで見え、考えさせるところが上手い。

    家族の物語は、その家族の数だけ物語があると言える。公演は、その一形態を描いており、むしろ優しく心温まる、そして居心地の良い場所なのかも知れない。古くて新しい家族をテーマにした公演、何となく小津安二郎の古き良き時代の映画を彷彿とさせる。その小津映画は映画館で再上映しており、時代が変わっても色褪せることなく楽しませている。本公演も同じような味わいが続くかもしれない。

    舞台美術は劇団員が作ったらしいが、神は細部に宿る というが本当に住めそうな造作。そこで巻き起こる騒動、典型的なスラップスティック・コメディとして描いており、分かり易く楽しめる。前半の小笑い・大笑い・失笑など笑劇といった観せ方から、中盤以降は この家族一人ひとりの事情や問題を点描していく。この家族に凝縮した諸課題は、多くの問題提起をしているよう。緩い雰囲気の中で強かな物語を構築している。そして説明にある、何故 結が直人の家族に会いたいといったのか、その理由と激白によって物語が引き締まる。「笑劇」から刺激ならぬ「刺劇」になっていく変化、その印象付けが巧い。
    (上演時間1時間35分 休憩なし)【湯のみチーム】

    ネタバレBOX

    結婚を考え始めたカップルの直人と結。結婚すれば、その家族との付き合いも生じる。そこで 結は直人に家族を会わせてほしいと頼む。しぶしぶ 直人が紹介した家族は、役割分担を持った疑似家族である。もともとは民宿で居ついた人々が家族になり、自分にとって居心地が良い場所にしている。結は違和感を持ち、そして直人は何とか誤魔化しながら といったちぐはぐな対応を面白可笑しく描く。

    物語は、この家族以外の人間が加わることで動き出す。第一に、長男役の妻 佳澄が、長男役と末っ子役とが仲良く歩いているのを見かけ、浮気を疑いこの家に乗り込んでくる。誤解を解くまでの真の夫婦間の会話が、この疑似家族を成している意味を代弁しているよう。疑似家族の言葉では言い表せないコト、その雰囲気を味わうために夕食を共にすることに。第二に、疑似家族の家で暇つぶしのように漫画を読んでいる隣家の詩織の存在。実は父親が事故で要介助状態になり、母親だけでは心配で 何か事が起きたら直ぐ行けるように待機している。この外部の人たちの思いが疑似家族という存在を擁護しだす。

    一方、結の両親は生まれつきの障碍者であり、その環境下が当たり前だと思って生きてきた。ところが学生時代に友達から何気なく「結の家族は普通ではない」と言われ傷つく。どのような障碍かは明らかにしていないが、結という<通訳>を通じて<普通>に暮らしている。家族の在り方、多様性が浮き彫りになる。

    それぞれの役割と性格をしっかり立ち上げ、疑似家族を構成している。勿論、実家族と言われれば信じてしまうようなリアリティがある。疑似家族ゆえ、両親の強い口調も少なく、兄弟姉妹の真に迫った諍いもない。その居心地の良さが伝わるような雰囲気を演じている。両親役の飄々とした口調と振る舞い、似ても似つかない兄弟姉妹のすれ違いの会話、そして浮気を疑った妻の激高。結の心情を吐露するような激白が迫真の演技だった。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2025/02/04 00:08

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