実演鑑賞
満足度★★★★★
「リタの教育」も観劇。今回の企画の主眼だが「オレアナ」と同キャストによる二人芝居、男性教授とその研究室を訪ねて来る女学生、という設定も同じだ。
設定は同じだが、当然ながら話も役柄も違う。「オレアナ」はある決意を秘めた学生との緊迫の一夜と最後に後日談がある一気呵成の芝居だが、本作は若い既婚女性が「一般人枠」に応募し教授との対話の中で「知る」喜びを獲得して行く数年にわたる経過を描いた休憩有り2時間超えの芝居。女性は夫との生活の中で素朴に感じた疑問、「このままでは先に進めない」という予感が「学び」に向かわせた模様なのだが、文学系の教授に彼女は畏怖する事がなく「あんた」と呼び、彼女なりの言葉で物事に迫って行く。その理解のプロセスが独特で教授は彼女の吸収力や学ぶモチベーションを発見する。「教える」喜びを思い出したかのようである。
「オレアナ」はハラスメントという剣呑なテーマを扱ったが、後者は「教える・学ぶ」関係の根本を抉る辛辣な喜劇、と言える。だが彼女が学生らとの交流を話し、海外旅行の話をすると微妙な感情がもたげるのが分かる。物事の理解が増した彼女は学生らとも積極的に付き合い、特に親しい一人の女子学生の意見をまじえて話すようになる。彼女が訪ねて来て間もない頃、こんなやり取りがある。彼女が書いた(ある文学作品を読んでの)セオリーを無視したレポートの中に魅力を見出したらしい教授がいる。彼女が言う、「テストに合格するために何が必要かを教えてほしい」。と、教授「その方法はあるし教える事もできる。だがそんな無味乾燥なつまらないもののために、君が持っているこれ(レポート用紙を示しながら)を捨てる事に何の価値がある」・・数年後、彼女の訪問が間遠になり、教授はどこか荒んでいる。彼女は相変わらずこの場所を自分の場所としていたいにも関わらず、教授は元々好きだった酒の毒がいよいよ回り、酩酊状態で教壇に立って放言をした事が問題となり処分を受ける事になる。懲戒は免れ、オーストラリアにある学術施設に2年間放逐される事となり、荷造りの日に彼女が研究室を訪ね(あるいは呼び出したかして)最後にシーンとなるが、ドラマの頂点はその少し前、教授にとっての危機が全開の時。反発のやり取りの中で女学生はついに「嫉妬」の言葉を出す。前は可愛い赤ん坊だったのに、今は自分で何でもできる。それを認めてほしい、私たちは対等だと。これに対しだったら出て行くがいい、と教授が言うのに対し彼女は「ここは残しておきたい」と訴える。自分にはここが必要であり、訊ねる事は少なくなっても自分にとっての場所なのだと。明確に親離れと子離れの話と相似なのだが、ボロボロに見える教授が彼女にある事を言う。それは彼なりの文学観・世界観の表明である。即ち彼女は学問というツールを用いて学生らと議論をし、アカデミックな仕事に勤しむ手腕を手にした、のであるが、それはたかだか大学(あるいは学問の世界)で暮らす事ができる方法であるに過ぎない。本当に学問的である事、真実を見るために切り開くべきフィールドを探し続ける態度こそ、価値あるものだ・・。この芝居で、リタが怯む一瞬が過ぎるのはここだけであるが(私がそう感じただけで殆どサブリミナルなサインであったが)、去り際の場面と合せて、彼が研究者としての体裁や人からの評価に飢えた薄っぺらな人物である事を免れている。ささやかに盛り込まれたテーマは演劇製作においても、政治においても、革新であろうとする事とは何か、について考えさせられる。
微妙なニュアンスの描出によって人間の関係の変化を抉り出し、厳しい現実の中に希望を見出させる二作であった。