パレードを待ちながら 公演情報 劇団未来「パレードを待ちながら」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    題名をしばしば目にする作品だけあって優れた戯曲だった。その作品性を十分に体現させた舞台だったとも言える。
    第二次大戦中のカナダが舞台の女性のみの芝居。男は出征しているか、語られるだけ(時にエアに向かって恨みをぶつける場面も)。
    五人の女性がどういうコミュニティなのかは不明だが、空襲時に備えた訓練をやっているので地縁による集団と思しい。
    劇団の成り立ちは60周年という歴史から推して「運動の時代」に澎湃と起こった地域劇団の一つと推察していたが、女優陣は最初一地域劇団な気配が過ぎったのも束の間、あれと言う間に飲み込まれた。
    再々演というだけあって演技の自立した女優たち。心情の流れが自然、ゆえに企まない緻密さが清新さの中に生まれている。
    舞台美術が優れている。象徴的、機能的で、(これが良き舞台にはあるものだが)目に美しい。作品の要諦を捉えた的確な演出が施されたものと思う。(戯曲に書かれていない工夫と思われる箇所は随所にあった。)
    カーテンコールでは一人ずつ発言し、程よくフレンドリーで蛇足にならず「50年振りの東京公演」への意気込みと歓びが素直に伝わって来て好感であった。

    ネタバレBOX

    戦争が人々の生活にもたらす軋轢は、国情の違いはあれど、日本におけるそれと変わりない。
    戯曲の秀逸な描写は、リーダー的存在の女性が「非常時である事」にむしろ終着している様子である。
    彼女の夫はラジオ局勤めで出征を免除されていて、その事を揶揄もされるが、都市部での空襲(カナダではなくロンドンの事を指しているのかも)の局面に至って「非常事態」と彼女は考え、自らの使命として(夫の兵役免除に後ろ指さされないため、とは後に彼女が浮気夫に訴えた証言)厳しく訓練を仕切るが、不得意な女性が失敗するたびにもう一度とやり直させる。付き合わされてうんざりした女性は、不得意な女性にでなく仕切るリーダーに「いい加減にしろ」「お前は悪魔の使いだ」と彼女を罵る。こんな田舎が空襲に見舞われる事などあるもんかと言う。(圧力の強い日本では、不満は「できない人間」に向かうだろう所が違って、面白い。)「悪魔の使い」とは芝居を観ながら聞くと実に穿った台詞で、殆ど起こりもしない「不幸」を現前させたいかのような彼女に対する、的確な罵り言葉だ。そして彼女はヨーロッパ戦線でドイツが降伏した戦勝の報に皆が感極まって喜ぶのに対して、リーダーの女性は「まだ日本との戦争は続いているのよ」と訴える。理屈としては彼女は正しいのだが、舞台上では喜ぶ人たちが極めて正常で、リーダーが病的に見える。その裏付けを探すなら・・彼女はドイツが白旗を挙げた事より、戦争という事態を望んでいた、という事である。(今の日本に置き換えれば、似たような心理はこの苦境の中で散見される。事実彼女は不幸であったから、戦時下という環境を愛したのだ。)
    全て紹介しないが、他の女性たちそれぞれの事情も描かれる。最後は一人が病死する。その墓参りの帰りに、登場人物の一人、ドイツ系のカナダ人女性とすれ違い、一人と抱擁を交わす。彼女はナチスとの関係を疑われた父の墓を訪れ、父は全く無実であったが抗弁の術なく力なく死んだ事実が語られる。
    一人の夫は出征し孤独に暮らす中で夫の顔が分からなくなる。一人の息子は世間知らずにも能天気に兵役を志願する。出征中の女性は職場で声を掛けられたジムという男性に惹かれるも、夫の噂を聞く事で夫への愛を思い出す。・・女性たち自身と女性によって語られる男たちによって当時のカナダ社会の輪郭がほの見える。被害と加害の熾烈だった日本や他の国に比べれば、強い反戦戯曲となっていないが、戦争の無い生活との地続きの「戦争」の日常を描く事で逆に戦争という「異物」が意識される戯曲である。

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    2024/05/05 13:05

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