パレードを待ちながら 公演情報 パレードを待ちながら」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    初見の戯曲、何かよく演ってるなと思う程、耳にする演目。舞台はカナダ西部の大都市カルガリー、アメリカ・モンタナ州の国境までは南に車で3時間。カナダは1939年にナチス・ドイツに宣戦布告。連合国に加わり、欧州戦線に参戦。ノルマンディー上陸作戦(連合軍勝利を決定付けたもの)はアメリカ、イギリス、カナダで行なっている。
    この物語は第二次世界大戦参戦の1939年から終戦の1945年までの銃後の女の物語。
    タイトルの意味は戦勝パレードで、戦地から帰国した家族達を迎える日のことだろう。

    この劇団、最大の強みがガチガチの関西弁。余りに捲し立てるので時代設定を日本の近未来に移したのか?と勘ぐる程。(実はそっちの方が観たかった)。痛快な関西弁の遣り取りが心地良い。この路線は正解だと思う。どんな高尚な戯曲でも関西弁化すると作家の意図しない新しい魅力が生まれる。

    池田佳菜子さんはやたら長身。ピアノが上手い。夫はラジオのニュース・キャスター。夫の兵役免除の負い目を払拭する為、カナダ版「国防婦人会」の班長として人一倍張り切る。少しヒール的立ち位置。
    肉戸恵美さんは高橋ひとみ顔。夫は志願兵として出征。社交的で付き合いが広い。色気ムンムン。
    三原和枝さんは早くに夫を失くし、長男が志願兵に。次男は共産党員で「戦争反対」を訴える。教会で神に祈り続ける毎日。
    前田都貴子さんは高校教師、年の離れた夫は軍国主義の愛国者で毎日喧嘩ばかり。生徒達が戦場に向かうことを怖れる。
    北条あすかさんはその態度のふてぶてしさとべしゃりの達者さが上沼恵美子の若い頃を思わせる。ドイツからの移民で、父親とテーラーを営む。スパイ容疑をかけられた父親は収容所へ。街中から敵視され、迫害を受けることに。

    皆、歌が上手い。歌のシーンになるとパッと盛り上がる。ある曲に聞き覚えがあり、考えていたら『夢の泪』の募金活動のシーンで歌っていた奴だった。
    ストッキングの模様を脚に眉墨で描いたり、その意図がよく判らないシーンもある。
    士気高揚の為の娯楽の提供、という日本では考えられない女性達の任務。ダンス・バーティーや歌の練習なんて。
    当時のカナダの流行曲を使い、時代の空気を体感させる。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    冒頭のシーンが非常に良かった。椅子に座った4人の女、池田佳菜子さんが一人ずつダンスに誘う。踊ったものの脚がもつれて転んだり、断ったり、そもそも誘わなかったり。この5人の関係性を視覚化したのだろう。ラストにこれがもう一度入るのがまた良い。実はこういうオリジナルの部分でもっと演った方が正解だったのでは?
    役者は最高だが、自分はこの戯曲が余り好きではないのだろう。

    結構居眠り客がいた。多分失敗したのが会場の温度設定。前説の時、寒いということで設定を上げてしまった。始まると熱気で室温が上がるもので、第一幕ではもわっとした空調。第二幕では下げたので快適。

    関西弁による異化効果の面白さ。筒井康隆に『火星のツァラトゥストラ』という名作がある。当時『ツァラトゥストラはかく語りき』の新訳版が出版、タイトルが『ツァラトゥストラはこう語った』だったことに受けた筒井康隆が徹底してツァラトゥストラをネタにしたもの。一躍時代のスターに躍り出たツァラトゥストラだったが、段々と人気に陰りが出て主演映画の質も下がっていく。『ツァラトゥストラだヨおっ母さん』『ツァラトゥストラはつらいよ』『ゴジラ・エビラ・ツァラトゥストラ 南海の大決闘』などなど。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    題名をしばしば目にする作品だけあって優れた戯曲だった。その作品性を十分に体現させた舞台だったとも言える。
    第二次大戦中のカナダが舞台の女性のみの芝居。男は出征しているか、語られるだけ(時にエアに向かって恨みをぶつける場面も)。
    五人の女性がどういうコミュニティなのかは不明だが、空襲時に備えた訓練をやっているので地縁による集団と思しい。
    劇団の成り立ちは60周年という歴史から推して「運動の時代」に澎湃と起こった地域劇団の一つと推察していたが、女優陣は最初一地域劇団な気配が過ぎったのも束の間、あれと言う間に飲み込まれた。
    再々演というだけあって演技の自立した女優たち。心情の流れが自然、ゆえに企まない緻密さが清新さの中に生まれている。
    舞台美術が優れている。象徴的、機能的で、(これが良き舞台にはあるものだが)目に美しい。作品の要諦を捉えた的確な演出が施されたものと思う。(戯曲に書かれていない工夫と思われる箇所は随所にあった。)
    カーテンコールでは一人ずつ発言し、程よくフレンドリーで蛇足にならず「50年振りの東京公演」への意気込みと歓びが素直に伝わって来て好感であった。

    ネタバレBOX

    戦争が人々の生活にもたらす軋轢は、国情の違いはあれど、日本におけるそれと変わりない。
    戯曲の秀逸な描写は、リーダー的存在の女性が「非常時である事」にむしろ終着している様子である。
    彼女の夫はラジオ局勤めで出征を免除されていて、その事を揶揄もされるが、都市部での空襲(カナダではなくロンドンの事を指しているのかも)の局面に至って「非常事態」と彼女は考え、自らの使命として(夫の兵役免除に後ろ指さされないため、とは後に彼女が浮気夫に訴えた証言)厳しく訓練を仕切るが、不得意な女性が失敗するたびにもう一度とやり直させる。付き合わされてうんざりした女性は、不得意な女性にでなく仕切るリーダーに「いい加減にしろ」「お前は悪魔の使いだ」と彼女を罵る。こんな田舎が空襲に見舞われる事などあるもんかと言う。(圧力の強い日本では、不満は「できない人間」に向かうだろう所が違って、面白い。)「悪魔の使い」とは芝居を観ながら聞くと実に穿った台詞で、殆ど起こりもしない「不幸」を現前させたいかのような彼女に対する、的確な罵り言葉だ。そして彼女はヨーロッパ戦線でドイツが降伏した戦勝の報に皆が感極まって喜ぶのに対して、リーダーの女性は「まだ日本との戦争は続いているのよ」と訴える。理屈としては彼女は正しいのだが、舞台上では喜ぶ人たちが極めて正常で、リーダーが病的に見える。その裏付けを探すなら・・彼女はドイツが白旗を挙げた事より、戦争という事態を望んでいた、という事である。(今の日本に置き換えれば、似たような心理はこの苦境の中で散見される。事実彼女は不幸であったから、戦時下という環境を愛したのだ。)
    全て紹介しないが、他の女性たちそれぞれの事情も描かれる。最後は一人が病死する。その墓参りの帰りに、登場人物の一人、ドイツ系のカナダ人女性とすれ違い、一人と抱擁を交わす。彼女はナチスとの関係を疑われた父の墓を訪れ、父は全く無実であったが抗弁の術なく力なく死んだ事実が語られる。
    一人の夫は出征し孤独に暮らす中で夫の顔が分からなくなる。一人の息子は世間知らずにも能天気に兵役を志願する。出征中の女性は職場で声を掛けられたジムという男性に惹かれるも、夫の噂を聞く事で夫への愛を思い出す。・・女性たち自身と女性によって語られる男たちによって当時のカナダ社会の輪郭がほの見える。被害と加害の熾烈だった日本や他の国に比べれば、強い反戦戯曲となっていないが、戦争の無い生活との地続きの「戦争」の日常を描く事で逆に戦争という「異物」が意識される戯曲である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2024/05/04 (土) 18:00

    関西の初見の劇団で、戯曲も有名だが観るのは初めて。73分(6分休み)54分。
     第2次大戦下のカナダを舞台に、いわゆる「銃後の妻」たち5人の物語。5人の個性も巧く描き分ける戯曲も見事だし、演じる女優陣も巧いが、ちょっと古い印象がある。1962年創設の関西の劇団が、60年ぶり2度目の東京公演と言うことだそうだが、ファンが多いらしくて、いつものアゴラとはちょっと違った雰囲気がある。

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