「キムンウタリOKINAWA1945」「OKINAWA1972」【4月6日(木)19時の回の公演中止】 公演情報 流山児★事務所「「キムンウタリOKINAWA1945」「OKINAWA1972」【4月6日(木)19時の回の公演中止】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    流山児×詩森ろば舞台は、第一弾「OKINAWA1972」、数年後の「コタン虐殺」を観た。今回はその続編的・総集編的公演のようで観たいが二つは厳しい。「OKINAWA1972」の方は概略分っており、アメリカ世(ゆ)から「本土返還」までを時代設定とし沖縄ヤクザという題材のユニークさ。「知らなかった」知識に触れた「面白さ」が評価の大半だったので(書き直したとは言え)骨格は変わらないと踏んで「キムンウタリ」に絞った。

    結論から言えば、やはり自分の肌に合わない作品を作る人だな、という感想。何がそう思わせるのか・・。宮台真司によれば「芸術は痛みを伴うもの」。演劇はどうか。現実に傷ついた人の心を慰撫する演劇も立派な芸術だが、本当に感動した舞台は現実の(真の)「痛み」に届いている。ただし宮台氏は「痛み」を「刺す」「不快」とも言い換えていて、フィットするのは「不快」である。快感という甘味にまぶして薬を飲む喩えで言えば、快感より不快が上回る。詩森ろば氏の舞台のこの「不快」から、私は色々と考察を余儀なくされても来た。今回も、不快の源を考える。

    詩森氏は劇作家である前に「演出家」と自認する、とは何度か(トーク等で)耳にしたが、この「演出」が肌に合わない、と感じる事が過去幾度か。感覚的なものだが、自分にとってのそれは例えば、客席に向かって俳優が喋る(ナレーション)台詞・演技が多い。そしてダイアローグでない台詞の時間を舞台上で「持たせる」ためにリズミカルに、時に歌に乗せて、何らかのアクションとセットで言わせる。「埋めてる」感が嫌である。それは自分が言葉を理解したいと考えるからか・・。演出意図は恐らく「説明言葉が理解できない」観客層に配慮しての事だろうと思うものの、ノリノリで言わなくとも、普通に説明すりゃいいじゃん、と思ってしまう。
    劇中人物としての発語に感情移入させないために持ち込む異化効果は例えばどんでん返しとして、またはディープな芝居の息抜きとして、現代演劇でも用いられる一般的な手法だが、これは、「芝居を観て解決しても(カタルシスを覚えても)現実の解決にはならない」という社会変革を志向したブレヒトの「思想」を超えて、汎用性を持ったという事。しかし詩森氏はこの「異化」の元来の趣旨を感覚的に導入しているのかも知れぬ。
    ・・仮説はともかく、今回「不快」であった理由は、その構造にある(いや構造そのものは優れているのだが)。

    ネタバレBOX

    オープニングは楽しい。まだ客電も点いた中で、平場でのやり取り(役者が互いを俳優名で呼び合える空間)。ここでまずこの芝居の複雑な構成を整理する。芝居(詩森が書いた)は、知念正真氏の戯曲「人類館」に「インスパイア」されて書かれたもの、と繰り返す。この繰り返し具合から、戯曲「人類館」にあやかった、または引用された箇所も多いのかな、と推察される(知ってる方はパクリと言う勿れ、また意に沿わなかったらそれは「人類館」が私に書かせたもの、という弁明で詩森氏の舌出し顔が浮かぶ)。そして戯曲「人類館」は1903年大阪博覧会でアイヌや植民地化した台湾高山族等を「展示」した人類館を題材にしたものである。これらを解説している(タキシード姿の)自分は「調教師」(山下直哉)だと言い、相方の黒服女性(伊藤弘子)は「女」、同じく黒の塩野谷正幸が「男」、彼らは「現在」に生きている。
    一方他の役者たち・・舞台奥、脇に足場が組まれ、中段にズラッと軍服やモンペ姿の男女が並ぶ。冒頭場面では中央の話し手と肩の力の抜けたやり取りをして小気味よい。そして彼らは1945年地上戦に突入した年の沖縄を舞台に、劇中劇を演じる役者たちだ。

    「構造」というのは、「本体」と言える劇中劇と、これを見世物として紹介し時に割って入るなど君臨する「調教師」という構図。劇の開始と終了を仕切りながら、劇の内容をせせら笑う。だが、終盤に至って彼は敗勢に回り、引きずり降ろされる(が、それで解決した訳ではない、という含みを残す)。
    戯曲「人類館」を見て(読んで)いないので何とも言えないが恐らくこの調教師の存在は採用したのではないか。何しろ皮肉が効いている。

    しかし(そろそろ批判に入る)・・まず当初はこの調教師が、皮肉な存在であるとは判らない。単なる進行役と見ていたら、最初「ご覧あれ」と劇中劇の開幕を宣した後、「この猿芝居を!」と言う。「え?今何つった?」と耳を疑うが、早口ながら「サルシバイ」としか語を形成しない音が残っている。始まった芝居が、なるほど気持ちの入らない「なんちゃって」芝居になっている(演じる役者はそうしなくたって良いだろうに、である)。この時点で「おちょくってんの?」となる。
    俳優自らがアイヌ、沖縄すなわちマイノリティを名乗る者でない場合、その存在を貶める行為を「演じる」事の慎重さを考えねばならない。これはマジョリティの弁えの大原則だと考えている。後々それら(侮蔑的な扱い)は、「調教師」がニヒリズムやウヨ言説を象徴する存在として見えて来る事で、初めて飲み込めて来るのだが、これはよくよく最初に明示しておかなければ、「手放しにマイノリティを揶揄する時間」を許した事になる。(調教師という存在がヒールである事を示しておかなければ・・という意味だ。)
    戦地を逃げ惑う沖縄人、ひめゆり隊、日本兵となったアイヌ人らの運命を描く各シーンは次第に本域になって行く(感情移入を誘う)が、これを茶化す調教師が終盤になって漸く敗勢になる。そしてウヨ言説の薄っぺらさ共々暴露され、「真っ当」な認識が勝利する事にはなる。逆転劇は見事である。
    だが、良きヤマトンチュを杉木に担わせ、美しく描く割に、現代のネトウヨ世論に通じる差別的言語をアイヌや沖縄人に浴びせる場面を、よく舞台上に再現できるな、というのが正直な感想だ(彼らに浴びせた同じ分の罵倒、侮蔑をヤマトンチュに対しても舞台上で同じ時間又は強さをもって浴びせるのでなければ、釣り合いがよろしくない)。作家自身が「差別する側である自分自身を偽らず・・」という事なのだろうか(まさか)。
    しかも・・ほぼ最後に近い台詞に、沖縄がアイヌと一緒に慰霊碑に祀られるのを好まない、と沖縄人が抗議した事を紹介し(これは史実だろう)、「虐げられた者の中にも存在する差別感情!」といった言葉で総括させるのである(一体何様だ)。

    「人類館」が書かれたのは沖縄人の目線から、つまり沖縄からの告発であり暴露の戯曲であったと想像される。被虐の立場から、身内の弱さを吐露することは許される。調教師は言わば沖縄自身であり、己の中にあるそれを自虐的に吐露し、戦争悲話や美談、心温まる物語が如何に都合よく「消費されてきたか」を皮肉り、最後に言わなくていいエピソードまで添えて、「身内」を告発しつつ、その先にある大きな存在を告発したのではないか。
    だが詩森氏のこの作品では、役者らのアイデンティティを沖縄・アイヌに設定しきれていない。そう名乗ることも相当な覚悟だが、そうした上でこれから私たちは演じるのだ、という宣言が足りず、なし崩しに「勝手に」沖縄やアイヌに成り代わっている。この不遜さが終幕の段階でも私の中で払拭できなかったわけである。
    作品はある種の「挑戦」なのかも知れないが、どことなく「自分に甘い」感じを受ける。せめてパンフにその事のフォローに十分な文字を割く位の配慮をもって、それはやるべき事である。それが私の判定だ。

    (比較して恐縮だが、畑澤聖悟がコザ騒動を背景に沖縄を描いた自作「HANA」に寄せて、己が「沖縄」に犠牲を負わせ差別してきた側に属する事を忘れず、同時に、東北の縁辺で差別された歴史と先人の思いを受け継ぐ者として、かの地と関係を育んでいきたい、これからも仲良くして下さい、といった言葉を紡いでいた。詩森氏の中にどの程度「自分はどこに立つのか」の問いの突き詰めがあったのか判らないが、私にはそれが感じられなかった事が非常に残念であった。)

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    2023/04/30 08:59

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