15 Minutes Made in本多劇場 公演情報 Mrs.fictions「15 Minutes Made in本多劇場」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    参加団体の出来にも依存する本企画を折節に開催して16年、改めてMrs.fictionsというユニットの独特さを感ずる。ラストは必ず同ユニットの作品が締める。本多劇場での開催について「漸く・・進出」と前説今村氏が口にしたが、名のみならず実も、スペースに見合う堂々たるもので、久々に観客と同じ感覚を共感した気になれた「劇場」の時間であった。
    個人的にはオイスターズが一番の目当て。期待に違わずであった。

    ネタバレBOX

    舞台の背面に格子状の線が渡され(装置にグラフィックを重ねたような)、演目の間にそこがぼうっと光って(暗転明かり)、「これなんだろう」とぼんやり観劇中は眺めていたが、終演後劇場の階段を下りる時に「あ、本多劇場の玄関口のデザイン」と気づいた(遅い)。そう言えばチラシの写真もそれであった。

    さて観劇の方。必ず一度は襲われる睡魔は二作目が始まって程なくやってきた。しかも芝居といのが間断なく早口で台詞を連打し合い、音を意味に転換する速度が眠気で落ちている所へ、それより少し先を行くスピードで喋るので、意味を持たない「音」が脳内に積み上がり、終いに追いつかなくなり、ついに寝落ち。途切れなく続く「意味なし音」が、非常に心地よい眠りを確保する。そして芝居が終った静寂で目が醒める。完璧だ。おかげで他の演目を全て晴れ渡った頭で観ることができた。
    (割と最近あった例外は、鹿殺しの最新公演にて、体は休息を欲しているのに目を閉じさせない=それだけ観客を飽きさせない。それで段々と気分が悪くなり、青ざめてきた。やはり寝たい時に寝るのが健康のコツ、健康コツである。)

    オイスターズは大いにツボであったが、予期せず秀逸であったのはラストを飾ったMrs.fictionsの二人芝居。
    スター気取りの主演俳優の楽屋に入ってきた、田舎出の新人女優。稽古初日に遅れてきた上に女性楽屋は一杯なので、空いた席を貸して下さらない?・・・無遠慮というより鷹揚でしかしソツがなく相手との距離の取り方が絶妙。自頭の良さに男が次第に惹かれて行くような、そういう女性(というか男にとってのそういう存在)を形象し、男の方は相手に翻弄されているのか守ろうとしているのか、曰く言い難い関係性が続いて行く時間経過が描かれる。
    「気取り」、と書いたが、最初そう見えたのは二人の演技スタイル?というのが米産ドラマの吹替バージョン(昔友近となだぎ武がやってたコントのような。といってもこちらは茶化してはいない。時々笑いにはなる)。この喋りが合う芝居である。
    初日以来二人はずっと隣同士でメークをし、「結局ずっとこの楽屋に居ちゃったわね。迷惑じゃなかった?」。最初が良かったからゲンを担ぐっていうか・・。競争の激しい中で女はうまく生き残り、男とコンビで主演を張るようになる。数年が経ち、また時間が経つ。二人は一方を袖から舞台へ送り出し、また自分が去る。女が俯いている時、男は済まないと言いながら「出番だから」と出て行く。
    時間経過の目印はなく、台詞の様相の変化で大きな時間経過を伝える。本番に備える楽屋(舞台袖)を比喩的に用いた一組の夫婦の物語のようであり、また疑似夫婦のように長い付き合いとなった男女の俳優のようでもある。
    ある時、後輩が入ったと語る女優はナイーブになるどころか「可愛がり過ぎてしまいそう」と嬉々とはしゃぐ。観客の心も洗われるのであるが、程なく「彼女、いなくなった」と落胆する。後輩とは、二人の間の子供であった(あるいはそれほどの大事な存在を失った)と知れる。
    話す内容も風貌も、齢を重ね、老境に至って二人の間に信頼、安心がようやくのこと、芽生えている事が見える。袖へ向かう女優が「私、今日が最後だから」と言い、「あ、そうだった。」と男。何かを言わなければと探す男は、自分は相手が最も必要とする時にその事を与えてやれなかった、と長年積もった思いを吐き出す。その埋め合わせもしない内に去って行くのか、と泣きそうになる男に女は、「いつか来る日だから」と男を慰める。
    言葉の妙で、両義的な場面をその曖昧なままに心地よく見せる磨かれた舞台。

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    2023/02/25 09:00

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