翻訳劇か音楽劇か
井の頭公園で日蝕に合わせて芝居を打つなど、アングラを志向してきた若手が、ミュージカルに挑戦する。
そういえば、以前にも毛皮族やゴキブリコンビナートが「アングラ」を志向して「ミュージカル」を標榜していたような気がする。でも、よくよく考えてみれば自由劇場出身のアングラ演劇人(串田和美、佐藤信)らは翻訳劇(ストレートプレイ)に対して、ミュージカルをやっていたような。
そうやって考えれば、彼らが「ミュージカル」をやるというのは必然的に感じられた。
そう考えると、リアリスティックな表現と、象徴的な表現に分かれるのは、昔から続く表現上の対立なんだよなあ。