たゆたう、もえる 公演情報 マームとジプシー「たゆたう、もえる」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    現れてくるものと薄れていくもの
    断片的な記憶が重なっていくうちに
    次第にひとつの感覚に集約していく。

    その質感に強く浸潤されました。

    ネタバレBOX

    冒頭のトイレのエピソードに始まり
    いくつものエピソードが
    舞台上に表現されていきます。
    幼いころの記憶、学生のころの想いで。
    そして兄弟や親戚たちの今。

    人間関係が浮かんでくるまでは
    脈絡のうすいいくつものエピソードが
    浮かぶままに並べられている感じ。
    しかし、同じ場面が
    反芻のように角度や切り口を変えて
    くりかえされる中で、
    次第に個々のエピソードが溶け合って
    家族やその場所の香りと時系列が
    醸成されていくのです。

    ひとつずつのエピソードの色に
    高い解像度からやってくる細線の輝きがあって。
    それぞれの両親と子供、さらには孫のこと、
    姉弟や従姉妹との関係、
    近しい友人、クラスメイト。
    テレビで相撲を観にくる子のことにしても、
    川に棄てられる猫のことにしても、
    崩されていく家のことも、死のことも・・。
    記憶が繰り返し光の中に訪れることで
    愛情も憎悪も、裏も表も、楽しさも驚きも痛さも
    次第に時系列の中に溶け込んでいく。

    血の糸につながれたそれらが
    舞台奥の闇から舞台中央の光に現れ、
    再び舞台奥に戻っていくなかで、
    色は時と混濁し、
    揺らぎ、離れ、繋がりながら
    やがて、ナチュラルに拡散して
    観る側に共振する質感となって浸潤していくのです。

    舞台につるされた、赤い糸で作られた長い編物や、
    記憶の潜在と顕在を照らし出すような照明、
    闇から出でて闇に戻る登場人物たち。
    いずれもが実にしたたか。

    観終わって、人があゆむ時間の重さと軽さが同時に降りてきて、
    その表現のしなやかさに息を呑んだことでした。








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    2010/02/16 23:04

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