フォト・ロマンス(ラビア・ムルエ、リナ・サーネー) 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「フォト・ロマンス(ラビア・ムルエ、リナ・サーネー)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    「創作とは何か」と「レバノンの現状」を静かに語る
    レバノンの現状と、さらに創作に対するメッセージが込められていた。

    オリジナルの映画作品を下敷きにし、それを新たな作品に取り込みつつ、オリジナルにあった骨格をうまく利用するということで「創作」についての考察を、さらに再構築によって生まれつつある作品内容そのものには「レバノンの現状」を織り込んでいくという舞台だった。

    ネタバレBOX

    イタリア映画『特別な一日』の設定や台詞を使い、新たな作品を再構築する、という企画を、企画の段階でレバノンの検閲官にプレゼンテーションするという内容。

    しかも、それを制作するのは、今回の舞台を作り上げた3人という設定であり、リナ・サーネーとシャルベル・ハベールは、自分の役をそれぞれ自らが演じ、プレゼンの場所には来ていない設定のラビア・ムルエは、検閲官を演じるという複層的な構成になっている。
    プレゼンは、モニターに作品内容を示す写真を投影し、リナが脚本を読み上げ、作品の意図を説明し、シャルベルが生演奏で音楽を付けていく。
    検察官は問題になりそうな個所を指摘し、リナはそれ対してさらに意図と理由を説明する。
    検察官は、徐々に作品に取り込まれていき、プレゼンに協力する。最後は、自ら演奏に加わってしまうのだ。

    映像を見せ、それを言葉で説明するというものなので、演劇的な要素は低い。
    しかし、映像作品というわけではなく、それを説明して見せるのに、「検閲」という手法を使うところで、内容への指摘、その反証などが無理なく使われ、「創作」や「レバノンの現状」という2つのテーマが浮き彫りになっていく。

    舞台で演じられる、検閲官と制作者のやりとりが「演劇的」な部分なのだが、プレゼンされる作品の内容そのものも、とても重要である。

    プレゼンする新しい作品は、レバノンのベイルートが舞台となっている。もとになった映画ではローマが舞台で、ヒトラーのイタリア訪問パレードに町中の人々が参加するという設定であり、この舞台中の作品では、レバノンにある2つの政党のデモに町中の人が参加するという設定になっていた。

    パレードやデモの熱狂は遠くで行われており、誰もいなくなりひっそりとした街の中に残された女と男が出会うという「ロマンス」的な物語がその中心となる。

    映画のほうはイタリア映画らしいしっとりとした情感があるもので(あまりよく覚えていないが・笑)、舞台での作品は、そのロマンス部分(2人に何かが直接的に起きるような意味のロマンスではなく、出会いによって心が少し動くという意味のロマンスではないかと思うが)を少し残しつつも、レバノンの現状を静かに語る。

    検閲官に作品内容を説明しつつも、「作品を創作する」ということは、実は「かつてあった作品の再構築と引用にすぎない」というメッセージが繰り返し語られる。
    この舞台でプレゼンされる作品がまさにそれであり、あえてそうすることで新たな作品を生み出すことができるのかどうかということを、実際にわれわれ観客に提示しているのだ。

    それは作品を創る側としては、挑戦的なテーマであり、自らも血を流すことになるかもしれないという諸刃の刃ともなる。

    「創作とは何か」を自ら考えてみようとする作品なのだろう。
    そういう「作品を作り上げる」という行為、「創作」について述べているだけでなく、作品の内容で語られるものについても興味深いものがある。

    それは、例えば、現在のレバノンでの女性の立場やあり方、それは、戦時中のイタリアの女性のそれにダブってみえるし、ファシスト党が台頭していたイタリアと、この舞台の作者が語る、レバノンにあるファシスト的な要素もダブらせてある。
    ということは、自国の政治活動り一部をファシズムと重ね合わせていることであり、レバノンの情勢はよく知らないが、とても怖いことではないかとも思う。

    そういう重ね方が面白く、かつ刺激的でさえある。

    レバノンの現状は、とても複雑怪奇で、一言では言えないような状況のようだ。宗教や宗教の中でも派や政治的な信条、その他いろいろな要素で分断混乱しているように見え、語られる内容はとても重いものがある。
    デモを行う2つの大きな政党のことさえ、この作品を観るまでは知らなかったのだから。

    新たにつくられる作品そのものの内容についても、日常生活に疲弊した女が男と出会うことによって、何かが変わっていく、心の中にさざ波が立つということが、静かに示されるのだが、それはとてもドラマチックなことであった。

    実際にプレゼンされる作品は、観客のわれわれにも検閲官と同時にプレゼンされることになるのだが、男女の心の動きと、内容がはらむテーマの具象化(例えば、永遠に続くループだったり、家族の姿は一切見えないなど)がとても実験的で面白く、これが実際に映画になったとしたら、とても面白いものになるのだろうと予感させる。
    と言っても、シネコンでロードショーされるような作品ではなく、ユーロスペースとかシアターイメージフォーラム的な劇場で単館ロードショーされるように作品であろうが。

    イタリア映画『特別な一日』もまた観たくなった。

    ちなみに生演奏される音楽は、エレキギターが中心で、ループを使う感じがリシャール・ピナスあたりを彷彿とさせ、また、ノイズ的な使い方やピアノや鍵盤ハーモニカとの合奏も心地よく、とてもいい雰囲気を持っていた。

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    2009/11/29 03:29

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