かもめ 公演情報 ハツビロコウ「かもめ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ぽっちゃりのコースチャと低音のニーナ、いきなり主役二人のイメージを壊されてしまう。これはこの舞台が二人だけの物語ではないのだよという宣言なのだろう。元々恋人どうしに限らない色々な組み合わせの二人の対話の場面が多いのだから原作の正しい実現ではある。

    意外性もあるが分かりやすい楽しめる舞台だった。しかし、私の芝居理解力の問題なのだが、相変わらずシンボルとしての「かもめ」の意味するところが腹落ちしなくて困る。あと何回観たらすっきりするのだろうか。

    ネタバレBOX

    ややハスキーなニーナの声は知性を感じさせ(我ながら偏見だなあ)トリゴーリンにホイホイとついて行くのがちょっと不思議である。そして後半の境遇の悲惨さが増している気がする。私の(というか普通の)ニーナのイメージはアホっぽい(これは余計か)女の子がどん底に落ちながらも耐えることを学び力強く生きて行こうとするもので、変わることのできないコースチャと対比されている。この舞台ではそんなあからさまな違いを嫌ったのかこの後のニーナには不安しか感じない作りになっている。

    コースチャ作の劇はラゾーナ川崎版と同じくニーナの踊りとしている。本来は普通の芝居でニーナのセリフが当然あるのだがここではコースチャが読み上げる。音楽はラゾーナ版の「リベルタンゴ」に対してベートーベンの「月光」を持ってきた。これは二つの舞台共に全体の雰囲気を表す看板なのである。
    *「リベルタンゴ」は完全に演出家の好みだろうが「月光」はコースチャが最後の自分の原稿を読みながらトリゴーリンと比較するときの表現の対象ということで根拠のあるものである。

    他にも特徴的な場面があった。
    まずあげるべきはラストである。原作ではニーナが帰ったあとアルカージナらが再び居間に戻って騒いでいるときにコースチャの寝室から銃声が聞こえるのだが本作では一行が戻ってくる前にコースチャが居間でピストルを取り出すと舞台は暗転して銃声となる。これは非常に印象的で星が一つ増えてしまった。

    次に、マーシャがトリゴーリンに依頼した本のサインは
    神西清訳「身もとも不明、なんのためにこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」
    原卓也訳「素性不明、何のためにこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」
    となっているのだが今作では
    ハツビロコウ訳「誰が親かも分からない、何のためにこの世に生きるかも知らぬマーシャへ」
    となっていた(と思う)。マーシャはマリヤのニックネームなのでそこはいいのだが「マーシャの父親はドールンじゃないか」問題を考えるとき原作では80%くらい正しく思えるが今作のこのセリフはハツビロコウは100%断定した(と私は捉えた)。…と書いていると段々皆同じにも思えてきた(汗)。「親」という単語に過剰反応しただけかもしれない。

    そして意図的に「芝居じみた」演出を入れている。
    トリゴーリンが机を叩くのは良しとして、まあそれもかなり激しいのだが。アルカージナも机をつかみ椅子を投げつける。そしてアルカージナがトリゴーリンにケチをつけたコースチャを激しく貶すところは原作以上に長く激しく攻撃したように思えた。…原作を読み返してみたがもう舞台の方を忘れている(汗)。

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    2022/09/25 05:08

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