構造と感情台本削ったのであろうというのが第一印象。バックステージものだが今回の場合は、描きたかったところはシーンの裏側の人間模様で、芝居部分は必要ないはずなのだが、それでも削った(であろう)部分や芝居部分の妙が全面に出てしまい、結果観客が「気になる」結果に。役者の我侭で「変化」するのであれば、その「変化する前」を知りたいのは当然かと。「少しずつズレていった方向を最後にどう無理矢理に組み立てるかが観たい」というシチュエーションコメディの観点で見ると、「感情」オンリーでそれまでのズレ分を失くすのは勿体無い気が。続きはネタバレBOXにて
ネタバレBOX
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2009/11/16 07:42
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2009/11/16 16:01
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私もあそこで、まさか本当の母上が出てくるのでは、と一瞬思ってしまいました。
でも、本物だったら、それこそ、「やらせ」みたいでシラケたかもしれません。
誰もが知っている話ならよいのですが、自作をモチーフにしたいなら、パンフにあらすじ
を載せる親切があっても良かったと思います。劇団自体、まだ知名度が低いし、
初見のお客様だっているのですからね。
ファンや客演者へ気を遣いすぎてる感じ。というか、それしか見えてないみたいで。
作者が一番感動してたと思いますね(笑)。
あえて前作のあらすじを載せない方法もありだと思いますが、それなら、よほど上手にドラマを作らなければ。
観客の視点がとても欠けてる芝居に思えました。
HPでも「バックステージ物」や「コメディ」を強調してたから、よけいにギャップを感じたのです。
コメディというより、どちらかというとシリアスじゃないですか。
マセっちとエチコの対立が芝居の軸になってるし、市野々さんの「さばき役」を生かすには
逆にコメディ部分がもっと面白くないとね。対比が出ない。重くなってしまうだけで。
バランスが中途半端だったように思います。
小劇場系の芝居への若者たちの偏見や嫌悪って、2ちゃんねるの演劇スレ読めばわかりますが、フリークには想像もつかないほど根強いことを作者には知ってほしい。
客演者が多いための長時間芝居もすごく嫌われるんですから。
「演劇って本当に素晴らしいよ」と思わせたくて芝居作ってるなら、むしろ逆の意見に耳を傾けて考えてほしいですね。
私も「多少婦人」のメンバーが客演すると、やはり「うちの子」感覚で観ますけど、
芝居の感想はまた別ですねぇ。
このスタジオ、渡辺さんの作品に向いていると思って観てたのですけど。
多少婦人の公演にも使ってほしいです。