偉大なるマンネリ
天野天街の作品は最初に見た「真夜中の弥次さん喜多さん」の印象が強烈すぎて、その後に見る作品はどれも物足りなさを感じてしまう。
同じやりとりを執拗に変奏するというのがほぼ毎回のお約束だが、観客のみならず、作り手としてもいいかげん飽きないのだろうかと不思議に思うことがある。
美術の世界を見ると、たとえばクリスチャン・ラッセンという画家はいつも海をモチーフにしたメルヘンぽい画風が特徴的だし、現代美術の草間彌生といえば水玉模様がいわばトレードマークになっている。需要があるから続けるのか、それとも他にアイデアがないからなのかは知らないが、同じようなモチーフで作品を作り続けるのは珍しいことではない。
天野天街の作品も、そういうふうに美術作品だと思うことで似たような作風の繰り返しを受け入れることは出来るけれど、やはり演劇としてみると不満を感じてしまう。
弥次喜多は二人芝居なのでわからなかったが、他の作品では台詞を群唱でしゃべることが多い。あの元気のよさが逆に単調で、没個性的だと思えてしまうのは、まあ好みの問題だからしかたがない。