マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人 公演情報 DULL-COLORED POP「マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    商才もある谷賢一
    これだけの観客動員数を集める商才には秘密がある。それはチケットプレゼントに応募した方にはご存知だと思うが。

    ただ惜しむらくは役者の立ち居地に配慮がなかった為、ほぼ中央に座らないと観えない箇所があったこと。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    マリーが貧民を労わりぶどう酒を飲ませる場面では、マリーの目の動きがひじょうに気になった。優しい微笑の上で時折見せる視線のぶれ。
    その視線の先には空虚な、怪しい光が輝いていた。その視線が気になって、清水那保はどうしてあんなに視線が彷徨うの?なんつって、その演技力に不満だったけれど、終盤になってその視線のゆくえがはっきりしてくると、今度は清水の演技力の緻密さに驚き仰け反った。

    要するに、かりそめの優しさ、慈愛の裏にはわざとらしい笑みや自己演出しか意識していないマリーが居て、世の中の何かをさも信じているような素振りで、そのくせ目に見える世界の全てを疑っている。だから、マリーは世の中というものに何も期待していない代わりに、金に執着する。
    それでも悪人と呼ばれる大抵の人々はある境界で身内をも殺す行為にまで及ぶと精神を破綻するはずだが、彼女はそんなこともなく淡々と日々を過ごしていた。いつものように怜悧な目をして。

    だから、彼女の落ち着き払ったその視線には、およそ何の感情も浮かべていないように見えた。乾いているわけではない。むしろひんやりと濡れている。

    いったいこの物語はどんな風に落ち着くのか?そんな先の読めない後半では背筋にぞくりとするものを感じてとにかく見入った。
    地の底から湧き出てくるような悪魔的な、それでいて静謐な磁力のあるマリーに対比してマリーの家族の、現実に目を閉じて生きている人間の滑稽さが露見する。はっきりと見えている絶望的な現実を敢えて見ないようにしている。見たいものしか見ない。気付かないふりをする。本当はマリーを疑いながらも、そうやって自分を誤魔化し続けて問題を先送りにしてしまう。そうして奈落の底に落ちる。

    やがてマリーの悪行はフランソワーズによってばれてしまうのだが、この少女自身も自分の立ち居地だけは意識しているようで、風見鶏のように大人の隙間を渡り歩いていく。
    こうしてマリーは処刑されるのだが、「全ての人が罪を生きているのに、どうして私だけが命を落とさなくちゃいけないのかしら・・。」と、ずけりと言う。

    素晴らしい本と演技でした。フランソワーズがマリーとゴオダンに弄られるシーンが役者の立ち居地でまったく観えなかったのが今でもストレス!

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    2009/08/17 13:45

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