73&88【満員御礼!】 公演情報 カニクラ「73&88【満員御礼!】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ルールと、内向きの本音
     芸能プロダクション所属の俳優さんたちによる、発表会的なお芝居は、関係者じゃない僕たちに、門戸を開いていたのかどうか。

    ネタバレBOX

     偶然テレパシーでつながった、縁もゆかりもない人たち。不器用な人間関係から、その裏にあるお互いを思う気持ちだけが取り出されて、不純物ゼロの純粋な「会話」として、役者たちによって演じられる。

     なんだか変わったお芝居で、二つのルールが、舞台を支える。

     一つ。前提として、物語は、俳優たち自身の「あり得たかもしれないもうひとつの人生」を出発点としている。「もしも、俳優をやってなかったら……」という話を始めた俳優が、いつの間にか、もうひとつの自分とすり替わるところから始まる。

     二つ。がらーんとした、なんにもない舞台は、現実の空間じゃなくて、なんというか、コミュニケーションが行われる「場」みたいなものの見立て。チャットルームみたいに、役者が、ここに出てくると、その出て来た同士は「つながる」。テレパシーだったり、電話だったり、対面の会話だったり。実際の会話の、空間的な距離や、目を合わせない心理的な距離を無視して、この「場」でつながった同士は、膝つき合わせて、全力でコミュニケートする。

     ナイーブすぎる物語は、あんまり印象に残らない。舞台の主役は、このルールだ。

     この舞台、どうも、舞台上の世界だけで完結してるみたいな、とってもミクロな印象なのは、多分、「ルール」という考え方があるからじゃないかな、と思う。もともと、何かを制限するのが、ルール。自分で設定したルールを1ミリたりともはみ出さないこのお芝居では、ルールの外側が、想像できない。

     観劇していて、想像力が外側に向かわないのは、僕にとってはいつもと逆で、ちょっとヘンな感じ。小さな舞台を大きな世界と重ねてみたり、自分や周りの人を重ねてみたり。普通(って言っても個人的にですが)、舞台は、その外側を想像させる。この舞台では、それがなかった。

     じゃあ、代わりになにを想像したかというと、内側なのだった。役者さんたちが、楽しく稽古してる姿とか、作者が、そんな彼らに指示を与えて、楽しくワークショップしてるとことか、そんなことばっかり、目に浮かんじゃう。とっても楽しそう。でも、彼らの世界には、僕たち観客はいらないみたいに、僕には映った。

     表面的な物語は、全然知らない赤の他人とつながる、その大切さみたいなものを訴える。でも、その「他人」というのは、あくまで「演劇を作る側」という、限られた世界の中の、特定の「他人」に限られていたみたい。いつもは舞台の裏方に徹するはずのルールが主役に躍り出る、それは、演じられているものよりも、作っている人たちが主役なんだという、そんな内向きの本音。外にいる、他人の僕にはつながらなかった。

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    2009/08/07 11:27

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