第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020 公演情報 シアターX(カイ)「第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 14日目 2020.7.⒓ 14時半
    本日の公演は、シアターXIDTFの中核で活躍していらっしゃった4名のアーティストに捧げられた4作品だ。総合評価5つ☆

    ネタバレBOX

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 14日目 2020.7.⒓ 14時半
    本日の公演は、シアターXIDTFの中核で活躍していらっしゃった4名のアーティストに捧げられた4作品だ。

    Ⅰ:ケイタケイさんによる「やぶれ凧」は、故・遠藤啄郎さん(横浜ボートシアターを主宰した演出家。今年2月7日に亡くなられた。)に捧げられた作品だ。
    ザックリした衣装は、袖も極めて広く取り、斜線を大胆にあしらった野趣を感じさせる優れもの。ダンスも豪快、大胆且つ野性味に富んだ踊りの随所に取られる静止の瞬間や飛躍が、ダンス自体を大きく強く感じさせると同時に、破れた凧を表象する布地から編み糸をほぐす作業も、大胆と野趣の央(さなか)に静寂を感じさせ、更に破れた物によって敗者の哀れみすら感じさせる。
    ものの哀れといえば、多くの人は「平家物語」を想起するかもしれない。義経は京都の鞍馬山で天狗から様々な術を伝えられたと伝えられ、その身軽さは教経に出会った際の八艘飛びでも称えられる通りである。然し、義経は悲劇の英雄でもある。実兄頼朝に追い詰められ、殺されたのだから。チンギスハンが生き残った義経の後の姿であるという伝説迄生んだ、この英雄譚と栄華を誇った平家滅亡が齎した絶望が生んだ風に乗って凧は飛んだのか? 信長によって二度の伊賀攻めを受け多くの下人を失った忍者集団の悲劇をも自分は想像する。かつて忍びは大凧に乗って空を舞ったという漫画に表象されるように、コントロールは難しくとも揚力が重力を上回れば良いだけの話だから飛ぶことは原理的に可能であろう。何れにせよ、勇壮をも感じさせるダンスは見事であった。5つ☆

    Ⅱ:武井よしみち+ブルーボウルカンパニー‘96演ずるは、及川廣信さん(アントナン・アルトーの思想に着目し独自のメソッドを開発、マイム界に貢献したダンサー・演出家。バレエTOKYOを結成したことでも知られる。2019.9.5に逝去された)に捧げられた作品・足が耕す表現の世界「災害の国ニッポン」。
    武井さんご自身は、ちょっと変わった表現方法で作品を制作なさってきたが、近ごろは、足が生み出す音やリズムが都市文化と如何様に関わってきたかをテーマに制作なさっている。タイトルが揮っていよう。Ⅰつ音を変えるだけで、ヤプー{無論、沼正三作の家畜人・ヤプーのこと(奴隷としての精神構造を持つ日本人のパロディだ)}が大好きなSAIWAIに変じてしまう所など痛烈そのもののアイロニーだ。そういえば、現代日本を見事に映し込んだような「阿保船」(1494年、ドイツのバーゼルで出版された風刺文学、作者はゼバスティアン・ブラント)の46歌に以下のようなものがあったので引用させて頂く。(引用は現代思潮社から1974年に出版された「阿保船・上巻」第2版 尾崎盛景氏の訳から)
    46 阿呆の権力のこと
                       阿呆の女神のテントには
                        権力金力ある者が
                       先を争いたむろする。
    阿呆が多いは困りもの、
    自分のことには目が無くて、
    力で利口になりたがる。
    そいつが阿呆と知りながら
    「阿呆なこと」と思い切り
    言える者が誰もない。
    大人物でとおるのは、
    そういう阿呆がいるためだ。
    誰もが褒めてくれないと、
    しきりに自分で褒めそやし、
    「自讃の口臭ぷんぷん」と
    賢者に言われて頭かく。
    自分を信用する者は
    阿呆で愚かな木偶の坊、
    知恵をもって行く者は、
    いつでも人に褒められる。
    知恵ある君主(*主の上に傍点)に恵まれて
    会議も正しく催され、
    必要以上の欲望を
    求めぬ国は幸いな。
    君主がいまだ幼くて、
    諸侯が朝から会食し、
    知恵を少しも顧みぬ
    そのよな国はふしあわせ。
    知恵さえあれば幼君も、
    先のことを考えぬ
    愚かで老いた王よりも
    国のためには幸いだ。
    阿呆者が栄えれば
    正しい者には世はつらく、
    阿呆者が滅びれば
    正しい者はしあわせだ。
    正しい君主をいただけば、
    全土に名誉が満ちわたり、
    愚かな君主が座につけば、
    人も国も救われぬ。
    公正期する法廷で
    縁故やパンの一切(れ)で、
    正しい事や真実を
    見失うのは間違いだ。
    裁判官は偏らず、
    賢者の公正期すべきで、
    裁きに私情は許されぬ。
    気まぐれ暴力スサンナの
    よろめき裁判跡絶たぬ。
    正義はまこと冷厳だ。
    二本の刀はさびついて、
    鞘からどうにもぬけないで、
    いざというとき切れはせぬ、
    正義もめくらで死んでいて、
    何でも金が第一だ。
    ユグルタ、ローマを去るときに、
    「おお、金の町」とこう言った、
    「もしも買手が出てきたら、
    王手でたちまち詰んだろう。」
    賄賂を進んで受け取って
    不正を働く町々が
    一つや二つじゃなさそうだ。
    モーセの義父が言ったよう、
    謝礼や縁故は真実まげる。
    情実、嫉妬、金、力
    それは学芸、法の敵。
    諸侯もむかしは賢くて、
    家来も経験積んでいた
    いずこの国も幸福で、
    罪や咎は罰せられ、
    平和で静かな御世だった。
    今は阿呆が陣取って、
    戦をしようと待ちかまえ、
    諸侯も軍もそのために
    知恵も学芸も放棄して、
    ただ私利私欲を追い求め、
    幼稚な家来を侍らせる。
    嘆かわしくも世は乱れ、
    暗い影さす、先の世も。
    阿呆が権力持つためだ。
    もしも諸侯が賢明で
    よくない家来をしりぞけて
    正しい道を歩むなら、
    治世も長く続くだろう。
    贈与や謝礼をあてにする、
    そういう家来にご用心。
    貢を受ければしばられる、
    贈り物には下ごころ。
    エホデはエグロン刺し殺し、
    デリラはサムソン裏切った。
    アンドロニクスが金杯を
    受けてオニアス殺された。
    贈り物に惑わされ、
    同盟破棄したベネハダデ。
    またトリフォンは、そのむかし
    ヨナタスをだまそうとたくらんで、
    彼の信用得るために
    贈り物をつぎこんだ。
    (*翻訳の中に現在では差別的とみなされる表現や、誤表記と思われる個所があるが、総て書籍の表記に従っているのは、著作権等などを尊重した為。傍点を注で記した箇所もある。)
    如何であろうか? 第2次世界大戦へ至る過程や、現在、我々が体験して居る、より正確に言えばさせられているF1人災を誤魔化す為のアンダーコントロール発言をする行政トップや、今回何の科学的合理性も根拠も無い自粛要請(実際には、自らの頭脳を用いて考えることもできなければ、ファクトを見極める為のメディアリテラシーも持たず、報じられる情報相互の矛盾から正しい情報を演繹する知恵も持たぬどころか、フェイクに踊らされて、真実を述べる人や正しい判断に基づいた行動を採っている人々に対するバッシングなどを繰り返し、恰も正義の士であるかのように自己欺瞞を押し通す愚か者に満ち満ち、自然災害以上の災害・害悪を齎し続けている「国」のマジョリティーである臣民による多数決を根幹に「民主主義」と恥ずかしげもなく言い募る呆阿(単純に差別語にならぬように逆転)たちがこぞって選ぶ為政者トップ、及びその選者たちを「選挙」で選んだヤプーたち。当に災害の国・ニッポンである。5つ☆

    Ⅲ:松永茂子さん演ずる「無垢なる空想」は、師の石井みどりさんと世界各地で公演をなさった舞踏家(故・折田克子さん2018.10.5に逝去された)に捧げられている。
     しっかりした身体の動きだが、個的な念を更に一般化し得ると更に作品の魅力が増すように思う。観客に対して、観客が想像力の種を更に拾い上げやすいような演出とストーリーテリングで具体的な核となるようなもの・ことを埋め込んでおくと訴求力が更に大きくなろう。折角、これだけの動きができるだけの鍛錬を積んで居ながら、自己表出の要諦と世界即ち状況に対する認識が、余りに2人称的なのではあるまいか? 世界に対しては1人称の己がただ孤独に対峙せねばならぬ。それも表現する者の務めであろう。華4つ☆

    Ⅳ:シアターXTDTF2020国内アーティストのトリを飾ったのは、むつみ ねいろさんお2人の演じた「夢で会いましょう」。今作は、今年1月8日に永眠された大野慶人さんに捧げられた。慶人さんについては、自分如きが一々説明する必要はあるまい。大野一雄さんのご子息である。
    尚、むつみねいろさんらは、2016年、東墨田にギャルリ雨を立ち上げ、ダンス公演、ワークショップ開催の他アーティストレジデンスとして運営中。
     登場の瞬間から観ているこちら側にも異様なほどの集中が自然に起きた。いきなり前のめりになって見入ってしまったのだ。かなり大きな鍋を両手で抱え込むようにして舞台にしじしず登場した女を庇うように小振りの傘を翳して男が矢張りしずしずと入ってくる。男は奇妙奇天烈なヘアスタイルだ。両側面の髪を斜めに跳ね上げ、真ん中つまり頭頂部は「子連れ狼」の大五郎の頭のようにちょこなんと髪を残している。2人は、実にじっくり進んでゆくが、自分はこの動きを拝見しながら、傘と男の役割を理解したように思った。考えてみれば、人は上から落ちてくるものに対して殆ど無防備であると言ってよい。男はそのような危険に対し、傘を翳すことで女を護っているのである。緩やかな道行きの中で女はそれを理解し、安心する。板中央に到達するまでに女は、鍋から花びらを少し取り出して撒く。これは男を受け入れても良い、という合図だろう。所謂粉を掛けたということだ。舞台中央に着く頃には、すっかり信頼関係が生まれ、2人は床にしゃがむ。女は鍋に暫く顔を埋め、その後、花びらを取り出しては、男と交互に周りに撒く。傘も既に床に置かれているのは、2人が一緒にとても幸せに生活をしている様を現していよう。花びらを鍋から取り、撒く時の量は、男が女の3倍くらいだ。これは、食べる量の差を現しているのかも知れない。ややあって女は、上手奥の側壁脇に動き、蹲ってしまう。其のまま動かない。暫く動かなかった男はやおら立ち上がり走って、遠くへ何かを投げるような動作をするので、観客は、何か男と女の間に諍い事が起こって女が男の下を去ったか、凶ごとが起こって下手をすれば、女の命が失われたか、と心配する気持ちにさせられる。暫く緊張の時が流れる。と、いきなり女が立ち上がり「ごはんよー」と叫んで舞台上を駆け回る意外な展開で観客は一安心させられる。実に息のあった見事な公演、照明の素晴らしさは以前にも書いたが、今回もその素晴らしい照明と2人の演技が相俟って展開、更に音響の使い方も実に上手く公演中の時々刻々総てに心地よい緊張感と刺激、想像力の種が開花の瞬間の有様を過不足なく観せてくれた。流石トリを飾るだけの作品と演者であった。その後、“ダニーボーイ”が流れる中、何とも言えぬ余韻を残しながら終。華5つ☆+スタンディングオベーション。
     ところで、外国人グループ参加の公演は9月開催予定。お見逃しなく!

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    2020/07/14 17:04

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