第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020 公演情報 シアターX(カイ)「第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 9日目 2020.7.4 14時半
     本日も3組の出演。(追記7月8日0時半 全体評価5つ☆)

    ネタバレBOX

    Ⅰ:小谷ちず子さんのダンス「わたく史」白い衣装に白の長い紗をたぐねて被り、上手客席側に左体側を観客に向け、膝を曲げ足先は床からやや浮く状態で丸めた体をそのままの状態で保っている。音響等は一切無い。この無音が緊張感を持続させ、舞台に集中させて良い演出になっている。かなり長時間この状態にあるが、足を衣から少し出し、足指を曲げたり伸ばしたりを暫く繰り返している。無論、羽化を現していよう。自分が小学2年の初夏、近くに自分の通う小学校より大きいかも知れない程の屋敷があったのだが、門を越えて書生に怒られないようその広く大きな門に繋がるアプローチで良く遊んでいた。偶々、そこに生えていた木の根元近くに蝉の蛹が上って来るのに気付いた。蛹の背を割り這い出した蝉は、浅葱色というのだろうか、黄緑のような淡い色で、羽はヒグラシやトンボの羽のように透き通っているが、蛹から出てきたばかりの時には未だクシャクシャだった。その体、目や頭、胴体や羽が徐々に堅牢になり、変色してゆく間に数十分は経ったような気がする。そんな時間の中で、殆ど動かず、只木に止まってクシャクシャだった羽を伸ばし、体色を徐々に変え、目の色も変わって頼りなげな印象を齎す弱弱しいものから逞しさを感じさせるものに変え、羽も遂には茶色になって馴染のアブラゼミとなった時には命の不思議、変容の凄さにいたく感銘を受けた。当時既に、アブラゼミの幼虫が土中でどの程度の期間を過ごすかと成虫になってからの寿命は当然知っていたから、猶更感慨を深くしたのであろう。

     ところで羽化後には当然生存競争が待っている。その葛藤がこの後のダンスで描かれるが、ラストには音響が入り、最初の形(今回は卵を意味していて体は観客席に真正面から向き合っているが)に戻って終演。最後だけ音楽が入ったのは、新たな生命誕生へのオマージュであり、体が正面に向いているのは生まれ、これから己がミクロコスモスとして生きて宇宙・マクロコスモスと対峙する関係性を現していると解した。
     それにしても、今シリーズで毎回感心しているのは、照明の凄さである。表現する人達の意図を実に深く、而も想像力の遠く迄キチンと計測してそれより一回り大きく深い闇と光の芸術を作り出しているのだ。この照明なしにこれだけの舞台体験はできない。華5つ☆
    Ⅱ:山田いづみさんのダンス「ケラ鳴く道のいろは歌」
     台の上に腹這いになって手足をばたつかせる、ユーモラスなダンスで始まった今作、御本人のキャラクターも愉快な方のようで如何にも大阪の方らしい雰囲気が良く出ている。ケラという虫は、子供の頃。時々捕まえて、昆虫のモグラというイメージを持っている。その少し紡錘形の体は流石に土を掘るのに合理的だし、体毛のようなものは全部後ろへ流れるように付いていてすべすべし、堀った土を背後にしてゆく際、摩擦抵抗が少ないことが明らかであり、この点でもモグラに良く似ている。テリトリーはどれくらいか知らないが、モグラの場合、1匹で2㎞四方程度、土堀は大変な作業だからエネルギーを大量に消費する。従ってモグラは大食漢でこの程度の縄張りが無いと生きて行けない。だから、ケラも可成り大きなテリトリーを持っているだろうと想像している。が言葉としては、虫けらという単語にケラが入っていることもあってか、ゾンザイに扱われがちなのかも知れない。それが、大阪人。山田さんがケラを選んだ理由かも知れない。それも謎多き“いろは歌”と絡めている点が興味深い。何れにせよ、虫もヒトも生きとし生ける者総てが生存競争の渦中にあるが、人間だけがセーフティーネットを持っていると思っている。然し本当にそうか? と尋ねるならば、相当に怪しいのではないか? 蟻も蜂も集団社会を作るし巣は大変な大きさである。アフリカに住んでいた頃、蟻塚がたくさんあったが、1つの塚の高さは3m以上、蟻のサイズから見たら、バベルの塔みたいなものだろう。塚の中には女王の産卵室、食料貯蔵庫をはじめ社会生活を営むに必要充分な場所や役割に応じた身体分化が生じている。(女王蟻、羽を持つ雄蟻、兵隊蟻、働き蟻など)蜂もほぼ同様で卵から孵った幼虫が暮らす房室もある。何れにせよ、蜂の子は人間にも食べられてしまうし、蜂蜜は人間に収奪され続けている。さて、そんなに人間は偉いのか? という素朴な疑問も聞こえてきそうな諧謔とグレイなユーモアに彩られ、ちょっとスラップスティックな作品。諧謔精神に敬意を表して華4つ☆
    Ⅲ:Dance Monster 絵本「どこかにある誰も知らない小さな国のお話」
      男性が上に羽織っている長めの羽織かチョッキのような衣装が中々素敵。タイトルから何となくブータンを思い出してしまう、原作者の田崎麻衣子さんが癌闘病中に初稿を書き、当時西表に居た八つさんに原稿を送ってきた、ということだ。その後退院した田崎さんはアメリカで暮らして居たが既に亡くなられた。亡くなるまでに八つさんと連絡し合い絵本は現在の形になったそうだが、初め今作を拝見した際には、随分無責任な作品だとも思った。然し癌治療薬の副作用で朦朧とした状態で書かれた初稿のことを思えば致し方あるまい。生きることは瞬間・瞬間死んでゆくことと同義である。そんな生と死の分割し得ぬ不分明を男女のダンスパフォーマンスと後半は、この絵本を動画化した作品をホリゾントに映しながらの上演形態で表現した。生きることは生の堆積? それとも死の堆積? 或は分かち難い双方のミルフィーユ? 華4つ☆

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    2020/07/06 14:46

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