第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020 公演情報 シアターX(カイ)「第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    県境を超えざる期間(3か月)を経て、劇場訪問解禁一発目。
    一昨年は「かぐや姫/アインシュタイン」とかいうテーマを掲げて開催されていた「国際」芸術祭、ジャンルを超えた出し物を見本市のように並べた催しに興味を持ったが今回初めて、プログラムの一つを拝見できた。(今回は海外からの出演無し)
    今回のテーマ「蟲愛づる姫」の含意は「毛虫も一つの命」との生命観のようだが、特に気にせず何が飛び出すか楽しみに、前知識なしに鑑賞した。

    まずピアノ演奏。若手であったが「エリーゼのために」を導入に、ベートーヴェン「熱情」をしっかり弾けるだけの実力。
    次に『白痴』のムイシュキン公爵の独白(菅沢晃)、ガウンをまとい女言葉で喋る(その所以は知らず)。
    最後の舞踊は二人の若いダンサーが作る独特な世界。題名のdodoとは孤島に棲む今は絶滅した「飛べない鳥」。
    終演後4名の演者をステージに呼んでの意見交換会、これが中々面白かった。音楽・演劇・舞踊というジャンルを横断するとその差異と同時に「時間の芸術」としての共通点もみえる。
    ある男性がピアノの演奏に対し「強弱」の塩梅に不満を漏らしていた(急激に音量が上がった箇所に付いて行けなかった)。だが私はこの演奏者のこの場での構え方に即興性を感じ、用意された「完成形」でなく、瞬間に即応した音を出そうと臨む姿勢を見た、と思った。実際CDでしか聴かない曲がリアルに立ち上がった感触は「ライブ」のそれだったが、演奏技術あればこそ(少し格下だと楽譜に食らいつく必死の演奏、それでも否その方が喝采をもらえたかも)。
    人は芸術に対し「完成形」への欲求を持ち、それは演劇に限らず、文学や映画も同様だが、自分は最近プロセスの面白さを「終幕になっても忘れない」事が大事、という気がしている。
    ピアノ演奏は多分計算されていない「終り方」だったと思う。落語にも同じ後味がある(オチでスッキリする演目もたまにあるが)。「終わりよければ」の法則は揺るぎないものがあるが、スッキリして後を引かない収め方が、またそれを求める欲求が果たして今の時代妥当なのか・・。

    また長いレビュー書きが始まった。できれば10行以内に収めたいが、、無理か。

    ネタバレBOX

    恐る恐る、久々の都内。利用した京浜東北線と総武線は、昼下がりでも土曜だけに出足が多かったが、なんと座席を空けて座る者なし。マスク装着はコロナ以前から多いにしても、装着率は以前より高めではあるか。
    乗車時は車内の混み具合を見て逡巡したが、人間必要に順ずる存在、乗らなきゃ芝居が観られないとなれば、感覚の方を<鈍く>調節するのみ。
    そもそも感染率的には0.001%レベルな話であるので、コロナ騒ぎの渦中でも、従来の「自己責任論」で通せば自粛率も低く、出歩く人は多かったろうと想像する。
    が、東京五輪にかまけてコロナ対応を疎かにする政府に批判が起きたのに加え、欧州の「惨状」の前例が「空気」の硬化に影響した模様。

    勿論、医療体制の分母に対する感染者数の爆発的増加は警戒に値する事態。人口呼吸器で助かる者を見放す事になる事態を避けた(現実には見放された例がPCR検査の制約により起きているが・・予防のための自粛をしているにも関わらず、検査によって感染発覚数が増える事を意図的に抑えた措置を私は犯罪的だと思う)。

    一方、人々の行動は所詮「気分」による。報道やワイドでの伝え方で楽観と悲観の間を揺れ動く自分がいた(気分を作る番組や情報と、冷静な思考を促す番組/情報とがあり、前者に触れると暗澹とさせられ、後者には束の間救われた)。
    気分に支配された状態は危機に対応する身構えとは対極だ。本気で「恐れ」ていない証拠に、自粛警察のように鬱屈を他者に向けて晴らす行動に走る。「恐怖」に駆られた人間が(例えばペスト流行時)営業している店にイチャモン付けに回るものだろうか。
    動機は疾病への危機感ではなく「医療崩壊」への警戒、と説明も可だろうが、政府の対策と行動自粛による負担のアンバランスには目を向けず、威を借って脳にドーパミン分泌させる方を選択した訳である。
    かの光景は戦前の隣組による相互監視の風景も彷彿させる。
    (「戦争に勝つ」目的の善悪はともかく、せめて互いに協力して公に貢献する美しい光景が見られたなら、と思うが日本のどこでそれを拝めたろう・・竹槍訓練で戦争に勝てるとは誰も信じていなかっただろうが、お上に文句が言えないストレスを「皆○○の目標のために一丸となり<我慢して>やってんだ」(無論<喜んで>やってます、と笑言わなきゃ拘引されようが)と、やらない者にマウンティングする事で晴らす。忠誠の功を競ってアピールし、優位な立場を得ようとするさもしい競いの場、お上の非はお咎めなし故の民同士の醜い足の引張り合いが、再び展開されるのを見る事になるのだろうか。。

    さて、劇場でも自由席として、特段席を空ける誘導はなく、そのため開演間際に入場した私は、やや前方の中央辺りの空席にお邪魔した。が、隣に座られた高齢の女性がカニ歩きで席に入った自分を驚いた顔をして迎えていたと思うと、荷物をまとめ始め、「まさか」と思うや別席に移っていった。
    確かに、その席からの視界には一席ずつ空けて座る観客ばかりだったが、後ろから来た私は隣り合って座っている場所が多々あるのを見て殆ど躊躇なく座った。女性は高齢もあって警戒心に抗えなかったのだろう。舞台に集中できないのでは来た意味がない。

    こうした事が何時まで続くか判らないが、これが数年続くとすると、これを称して後の教科書には「コロナ期」とでも説明されるのだろうか。。

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    2020/06/29 04:47

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