満足度★★★★
五十年という歳月を改めて考えさせられる舞台だった。
舞台の設定はほぼ百年前。木下順二が戯曲を書いて民藝初演がほぼ五十年前。そして今、この芝居を見る。
すでに、この芝居の実録的背景になっている「大逆事件」は遠く。カリスマ的だった劇作家の作品は現実を打つ力よりも古典化し。今上演のスタッフキャストは平成令和の人々である。
今の閉塞時代に、この舞台が、現実味を持ち、改めて上演の意義があるという政治的な見方もあるが、それは言ってみるだけであまり意味はない。時代は違う。この物語を今の現実の教訓にするというのは、つまらない教養便利主義だ。
演出の大河内直子は、この戯曲を青春劇として読み直したようで、それはこの戯曲の一つの読み方であろう。この明治の青春劇の奥に、時代へ向き合う普遍的な若者像が見えてくるというのが狙いだ。ホリゾントに枯れ木の並木(現実)を配し、大きく空(青春)をとり、舞台前面に長方形の枠で舞台を隈どった舞台装置にもそれはあらわれている。二重に張ったスクリーンのおくに雪が降る「冬の時代」である。俳優たちを戯曲に沿って細かく動かしているのも計算が立っている。舞台の上の俳優たちを、まとめたり、ばらしたりする計算づくの動線は見事だ。絵になっている。改めて、木下順二はセリフがうまいなぁと感服した。さすが、言葉に生命を見た劇作家の作品である。
しかし、それを実現するべき俳優の力が足りなかった。コロナ騒ぎで、稽古も浮足立ったのか、演出のつけている動きを自然に見えるまで消化していない。セリフも大声で口にするだけで、言葉になっていない。セリフは原文のままだから、やりにくいのはわかる。しかしそれをやり切って、明治のメディア青春劇を令和の観客に「今生きているように」見せるてこそ俳優というものだろう。渋六、くらいしか印象に残らなかった。3時間半、入りは7分。いいキャストで見たい。