糸瓜咲け 公演情報 URAZARU「糸瓜咲け」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     板上下手手前に糸瓜棚奥の出捌けから客席方向へ延びる通路を挟み和室をL字形に囲む濡れ縁、正面には沓脱石、和室下手奥のコーナーに小机、一輪挿しを活けるような小さな花瓶も置かれているのは、花を愛でた子規の心根を表しているかのようだ。和室奥の桟を通して出入り口が覗く。客人、友人等は主にここから入ってくる。和室とこの玄関の間に廊下、この上手にも出捌け、妹・律や母・八重はこちらから出てくるから奥は台所と考えられる。上手側面壁に戸があり、原稿用紙・執筆原稿等に関連した物が入っている。この舞台美術も実に丁寧に作られ、無論無駄は一切ない。(華5つ☆ スタンディングオベーション! 追記2019.10.8)

    ネタバレBOX

     オープニング早々、闇鍋を囲み、闇から生まれた宇宙談義を始めとする、恰も現代になって漸く存在が予測されるようになったダークマターを予見するかのように深く本質的な、而も人類史に冠たるギリシャ・ローマ時代の哲学、科学知を前提とし、更に地元の食べ物という日々我らの命を養う食物に着地する人間活動そのものの神髄を話題に始まる所、天才の臨む限りない碧空にかっ飛ばされた白球の吸い込まれる様は、当に天才たちが集う子規の部屋(=宇宙)に相応しい。序盤で鷲掴みされた子規の特徴をど真ん中の直球で決める手際も見事である。更に幸田露伴に初の小説作品を送り評価を願った件に絡んで後の夏目漱石から評され、小説を断念する下りに実によく詩人と散文家としての小説家の本質的差異が描かれている。ここでは子規の天才詩人としての特性である本質を直感し掴み取る卓越した能力と漱石の知的・論理的で精密な散文家としての天才が対比されており、背筋がゾクゾクするような素晴らしいシーンである。このシーン以外にも序盤には、オッペケペ節を皆で歌い踊るシーンがあるが、この時代自由民権運動の時代でもあったハズでこのオッペケペで現れた体制批判には、無論ルソーの「社会契約論」の中の民主主義思想があったハズだ。勘違いしてはいけない。社会契約論に書かれた民主主義の目指したものは、間接民主主義などという茶番ではない。即ちかつて竹内芳郎が「社会契約論」第3部15章を引いて指摘した通り“人民主権の集中する立法権にあっては、人民は決して代表されない、人民は代表者を持つや否や、最早自由ではなくなる。最早人民は存在しなくなるのだ!”とのルソーの叫び通りのことを基礎にしている。一方、これを馬鹿騒ぎと捉えた妹・律は知能が低いのではない。真逆である。生活者として人間生活全般を仕切り設計してゆく謂わばSE(System Engineer)としての女性の位置と賢さが対置されていると見るべきである。或る意味、男は何時まで経っても子供で生活という地道で苦労の多い而もちまちましているように見える世界に対応するように育てられない。そんな事情もあって生活には疎いのである。際立った女性の賢さが端的に表されたシーンがもう1箇所ある。病床の子規を漱石が見舞うシーンだったと思うが、母・八重が律を促して席を外す的確さは、流石に天才の母と妹の賢さを印象ずけるに充分である。
     また臨終の際、あのような苦しみに耐えた子規が糸瓜の葉の揺れから、他の誰もが指摘できなかった露が一滴垂れたという微小を指摘して息絶える今作の美しさ、写生句を提唱し完成した子規の偉業と、花を愛でる細やかなふるえる神経の蒙り・耐えた痛みの痛切と深みを捉え・定着した天才の宇宙を描き切って見事である。

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    2019/10/08 13:00

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  • 皆さま
    お疲れさまでした。追記もしておきました。
    ご笑覧下さい。ホントに素晴らしい舞台を
    有難うございました。
                 ハンダラ 拝

    2019/10/08 21:27

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