満足度★★★★
初日前に11日間の前売り完売で、iakuの東京公演の期待の大きさがうかがわれる。行ってみると、狭いアゴラで客席パンパンに詰め込んで、百五十近くは入っている。その期待に応えた公演だった。
いつものように、行き届いた本で、構成も前半と後半はがらりとタッチが変わるが、それがテーマを立体的に浮かび上がらせる。
母子家庭の母親(枝元萌)は、中小企業の繊維工場に働き、一人娘を(辻凪子)育て上げ、今年芸術系大学に入学させた。同じ集合住宅の住まいに幼稚園の頃から同い年の青年(田中亨)がいて、同じ大学の演劇科にいる。高校ではすれ違っていた男女はまた出会うことになる。幼い頃から娘の意識の中には青年があったが、中学時代の青年の心ない一言が娘の気持ちを複雑にしている。それは中学生時代にふくらみはじめた胸に対するひとことである。母の勤める工場に千葉で採用された中年の独身の係長(瓜生和成)がいる。思わぬ痴漢疑惑でいずらくなって転職してきたのだ。娘が柄にもなく芸術系大学の小説家に進もうとしたのには十歳ほど年上の女友だち(橋爪未萌里)の影響がある。文義に詳しい彼女から娘は本を借りたり助言を得たりしている。だが、男を次々と変えていると豪語する彼女になかなか本音の女の悩みは聞けない。それは、そういうことには無頓着な母も同じである・・・・・と言う設定で、ひと夏の母子家庭の「あつい胸さわぎ」が展開する。
設定の中に埋め込まれたキーワード、母子家庭や若年乳がんと言う大ネタだけでなく、夏になるとやってくる巡演サーカス、娘が課題で書くわにに託した自伝童話、青年から持ち込まれるシェイクスピアのフォルスタッフ、パン食好きの若い世代、などの小ネタがうまくハマっていて、物語は快調に進む。並のエンタテイメント作品は到底及ばない抜群の面白さだ。客席は笑いが絶えず、ラストの母と娘が抱擁し娘の胸を探るシーンでは涙、涙、である。昔なら、演舞場で新派がやっても受けそうなうまさなのである。
Iakuは関西の小劇場だが、これは東京制作で、よく見る俳優たちが、目を見張る演技を見せる。幾段かの構成舞台をうまく使って、話は進行するが、まったく隙がない。五人の登場人物を巧みに書き分けているが、核になるキャラが大阪風にはっきりしていて、それを細かく演出で肉付けしている、もちろん、それぞれ俳優のガラも生きている。枝元の大雑把な性格や、瓜生の世間に遅れていくキャラを笑い声で表現するあたり、稽古を重ねていくうちに発見した役のキモの表現が素晴らしい。辻、田中の青春コンビも、実年齢からすると、ちょっと気恥ずかしいところだろうが、今まさに開こうとする青春の夏休みの気分が満ち溢れている。ひとり、橋爪は芝居を支える損な役回りだが、うまくそれぞれの役の鏡の役をになっている。
ノーセットの舞台に何本か建てられた柱には上部に赤い糸が張り巡らせてある。赤い糸で人間は運命的に結ばれているという寓意だろうが、それが生きている。
いまの日本の現代劇に欠けている深いテーマと広い娯楽性を併せ持つ優れた舞台だ。熱い胸さわぎこそ、人が生きる原動力なのだ。そうだ、こうして、人は生き、時は流れていく・・・と、劇場で共感できる人間の運命に出会う演劇ならではの喜びがある。