スリーウインターズ 公演情報 文学座「スリーウインターズ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    一家族を通して綴られるクロアチア現代史・・否、歴史と共に歩んだ家族の物語。アトリエ公演ハズレ無し記録は無理なく更新(観たのは4~5回だが)。蹄型に客席に囲まれた舞台の配置、動線、人物の形象いずれも理に適って、細部から芳香が立ち上る。遠い国の歴史と文化、エートスを俳優を通して感覚した。

    ネタバレBOX

    個人的に琴線に触る主題というのが、高邁な理想(夢、とも言うか)とその挫折。痛苦の体験から立ち上った理想や夢であれば尚のこと、それが無慈悲な現実に敗北していく物語は涙を堪えられない。換言すれば「理想」の存在が「現実」を照らし直し、そこに物語が生まれる(単なる苦痛、理想との対比のない痛いだけの現実は無味乾燥であり我々はこれに冒されている)。理想の敗北のモデルとして前世紀最大のそれはコミュニズムの理想とその瓦解だろうが、ユーゴの場合、これに(既に実現された)多民族の共存という理想があった。1990年、ニュースは連邦議会からスロヴェニアが退場し、それを受けてクロアチアも議会を去ったと淡々と伝える。「終わったわ」・・家族はユーゴ崩壊を認識する。
    遠い欧州で起きたその後の悲劇を伝えるレポートは、ルワンダと並んで自分の胸を疼かせた事件の一つだったが、「理想」はあたかも上からの強制ででもあったかもように分断からジェノサイドへと雪崩れ込んだユーゴ。この歴史の当事者(舞台上の人々)は、2011年のある夜、翌日に結婚式を控えた妹を祝うため駆け付けた長女の発言をきっかけに、家族と民族の歴史、現実と理想を総括せんとするかの勢いで厳しく対立する。姉と妹の潜在的(思想的)対立が顕在化するのは「家」(家屋のこと)に対する考えの違いからだった。
    1945年建国の年に、何も持たなかった「私たち家族」は「家」を得た。その背景には共同と互助の理想がある。この家には戦前までの家屋の所有者、貴族の末裔の娘が(父がナチ協力で連行されたため一人で)寄る辺なく潜んでいたが、「仕立て」の技術を見込まれ同居する事になった顛末も「戦後の我が家の出発」を彩る。だが今、「家」の1階と3階の住人は長年の住処を追われ、時々大きな音が響いて来る3階は今荷造りの最中であるらしい。実は次女の結婚相手は新時代の申し子的成功者で、住人は金を渡して追い出したという事が後で判る。
    3階には長女のかつての恋人が、老母と住まっていた。家族皆が眠れぬ挙式前夜、まだ物音のする3階を長女は訪ねる。その時男は、兵役から帰還した後の自分の振る舞いを詫び、未だ好意を寄せてくれている事に一方ならず思う、と前置きした後、自分らは不本意ながらに出て行くのだ、残念ながらあなたは自分にとっては敵になってしまったと、憤りを堪えながら吐露する。皆が眠れない夜は緊迫の夜と化す。
    舞台に登場しない婚約者は幾つかのいけない商売と無関係でない会社の主である事を、長女がネットで突き止める。そして「他の住人たちは、脅されて出て行く事になったの?」と妹に問い質す。またその男を妹の婚約者として認知した父母に対しても疑問を向ける。父母は、その男と自分らとの「考え方」の違いに初め愕然としたが、どうにかそれを乗り越え、折り合いをつけようとしているのだと複雑な思いを吐露する。ところが妹は「あの人は私のお願いをきいてくれただけ」と言い、今この国で「いけない」事に関わっていない商売なんてあるのか、と反問する。そして「彼」は節度を弁えていると擁護し、さらに言う。クロアチア人がどんな目で見られるか知っているだろう、ろくな仕事もない、女は売春婦、違う? ・・それでも長女は、「それ(家を独占すること)は間違っている」と苦悶の顔で言う。これしきで負けるかとばかり、次女は最後に言い放つ。「皆どうしたの。明日は絶対に暗い顔をしないで、笑って。クソみたいな私の人生の中で、たった一回きりの幸せなんだから」(以上台詞は逐語的でなく記憶から)
    家族という閉じた物語の中で、人物が歴史的存在としても見えて来る、俳優の仕事は見事であった。

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    2019/09/14 09:07

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