満足度★★★★
時系列やシーンをバラしてパズルを解くのではなく、淡々と示していくような展開だ。それはまた不条理的でもあり、その平坦さは退屈を感じさせている。
前説から「暴露」しているのでネタバレには ならないが、元看護師女性を脚本・演出の松本が演じている。代役だ。率直に述べてはこれは正答でもあった。なぜなら九州弁と地元っ子(コワモテ)ぶりは男性だからこそ「男性・性」(男性というわけではない)を再現しやすいし、狭い狭いインナーサークルを支配する心理学的根拠を与えていたからだ。相手に親身になる同調をみせながら、ある局面では、いっきに怒る。つまり、それは上からのチョイスでしかない。
そうやって支配された元看護師コミュニティの、「絶望」と「従順」は、たしかに日本社会に言われている闇でもあり、悲壮なまでに「石井」という固定ワードを連発されるシーンは、いみじくも保身への回避が従う側を従わす歯車に転化する、人間の滑稽さを象徴していた。
そして、強調しておきたいのはシュールであるということだ。インナーサークルの女性4人。しかし呼び方は「ちゃん付け」でも「名前」でも「ニックネーム」でもなく、苗字となっている。それが何を意味するのかといえば関係の薄弱である。いや、それだけで距離があるとは断じえないのだが、「夫」や「母親」といった家族の重みと このサークルを相対化したとき、あまりに内部でのパッションだとか、結束が欠けている。それどころか、支配する頂点にたっている女性以外は、確実な部分で感情を失っている。その、結果との落差に驚かされることになるのはつゆぞの観客席だ。