満足度★★★★
小劇場劇団としては大胆な試みを一度に三つやっている。
昇り目のシライケイタがひきいる温泉ドラゴン、主要俳優も全員参加して力の入った本公演である。物語は日本初野女流劇作家と言われる長谷川時雨が活躍した女性運動勃興期。ドラマでも、よく取り上げられる大正リベラリズム最高潮の時代の文芸界人間模様だ。
大胆な試み・第一。女性を主人公にしていながらすべてメールキャスト。体格のいいカゴシマジロー(林芙美子)、いわいのふ健(岡田文子)、筑波竜一(長谷川時雨)、みな女性役で和服で登場する。第二。四か所、テレビのスタジオインタビューのような形式で、登場人物が、亡くなった人を呼び出してインタビューする。例えば、時雨が一葉に聞く。第三。現実の史実を踏まえている。
特に斬新とも言えない演劇的な工夫であるが、それなりに難しい演劇的趣向を三つそろえて、本公演をやるのは劇団が上向きの時でなければできない。
その結果はどうだっか。
残念ながら、成功したとは言い難い。女性を男性がやるのは日本演劇では珍しくない。ことにこの世界は新派という老舗がある。その水準まで、とは言わないが、せめて、和服の着方、その時の歩き方、当時の言葉、くらいは今少し演じてくれないと、テーマとなっている女性の閉ざされた世界そのものが表現できないことになってしまう。メールキャストにこだわった意味がわからない。新劇団にもいい女優はいる。借りてきてもいいではないか。インタビューシーンを挟むというのは面白い発想だが、解説以上に出ていない。もっと積極的に絡める方法も、折角、大きな橋を道具で出しているのだから、演劇的な処理で、できると思う。解説を入れているにもかかわらず、約百年前の話だから、説明不足が生じる。もっとも解り難かったのは、当時のメディアである雑誌や新聞の上に成立していた文壇の社会的な意味合いだろう。「女人芸術」そのものを今少しわからせてくれないと時雨も理解できない。
さらに、芝居で言えば、人物が多すぎてそれぞれ紹介に忙しく、肝心の女人芸術の編集を巡るドラマや、三上於兎吉と時雨の不思議な夫婦関係が説明的・表面的になってしまったことや、舞台のつくりが部屋を上手に置いているので、さぞ、下手側の観客席は見難かったろう、とか。音楽のつくりが安直だ、とか。
いろいろ、不満はあるのだけど、若い劇団がこういう機会に演劇的実験を試みて、その成否を肌で学ぶのは必ず将来役に立つ。
この演出家は、他の劇団に招かれて「殺し屋ジョー」という舞台を、はるかに悪い条件で成功させている。次回は余り捻らずに、力量を発揮されることを祈っている。