1001 公演情報 少年王者舘「1001」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    広い新国立での少年王者舘。ペーターゲスナー氏が評したアングラ精神の現代の正統な継承者(系譜は違えども)がこの小屋を自ら選ぶ事はないだろう。一年前速報を見て驚いたと同時に不安も実はかすめたが、果たして、クオリティ落ちのない舞台成果であった。天野天街的演劇はどれを取ってもリズムや世界観が同じで、思うに天野天街の芸術、というものが内部で進化しており、その進化過程を眺めるという事になっているのだろうと思う。従って変わらない部分は何も変わらず、しかしその中で奇想天外な発想が新たに加わる事で更新されている。「1001」は私の知る少年王者舘の集大成であり、部分的には腰を抜かし、腹筋を揺らした。幸福な時間を過ごせた。
    新国立劇場で予め席を予約して観劇したのは初めて。初めてと言えば今回は新国立によるプロデュース公演でなく少年王者舘公演であり、(恐らく天野氏が出した条件だと思われるが)異例の事だ。

    ネタバレBOX

    少年王者館の作品は繰り返し提示される言葉やイメージがまず関連の無いもの同士として(場面のリレー的展開の途中に偶然のように)出て来る。それが別の経過を辿りながらもう一度、いや何度も反復され、別の繋がり方で出てくるという伏線回収が、音楽や速度が高まることで劇的瞬間を作る。途中の場面は別役実を髣髴するナンセンスなやり取りや天野流リレー台詞(台詞尻の音と次の台詞頭の音を重ねる)をループ状にした奇妙奇天烈なパッケージが絶妙で「降りて」来ないとこんな代物は作れない。数珠繋ぎの展開にカットインするのは映像であったり突如の暗転や客電が点いてのアナウンスであったり。その挿入素材も伏線に含まれ、正しく回収して行かねばならない。小芝居の成立と、音響・照明・映像効果は小さな小屋でこそのスペクタクルと思う所があったが新国立でも見事な精度であった。
    ただ一点、気になったのは終盤とラストに登場する定番の夕沈ダンスで、これも天野氏以上に手の内の決まったお馴染みの振付が、広さを持った分だけダイナミックさが生じにくかった。手の大きな振り(回転)や縦軸回転など機械的な動きは小さな劇場では視覚的に圧する力を持つ(同じ目線で見ると尚迫力)が、新国立では客席から俯瞰でき、エリアも広い。徐々に速度を増す・動きの密度が高くなる・人の位置の移動や入れ替えも同じく速度か頻度が増す、等といった変化の「形」が欲しく、難度の高さを要求したくなった。意味を超えた「感覚に訴える」舞台成果がこの高みに至ったことによる要請だろうか。

    先に述べた今作に投入された幾つものイメージの中で、一つ特徴的だったのが日本の戦争時代に言及したシーン。井村昂演じる大人(老人)が戦争体験者として存在し、もう記憶の奥へ隠れてしまったがピカドンという語や、夏の正午の玉音放送や赤の部分に穴の開いた日の丸を振る人々等が出てくる。舞台は反戦だとか現政権への牽制などの意味と結びつく他の要素は見えないが、厭われがちな剣呑な素材を放り込んだ所に(劇団公演に拘った事とも合わせ)体制に対するスタンス表示の意図が天野氏個人にあったのではないか、等と想像してみた。
    何処までも拡がるイメージ世界を彷徨う体験は、何時までも遊び続ける子供と一緒にいるようでやがて疲れ、気だるい夕暮れが訪れる。戦争という大人のお遊びにもやがてその時はやって来て・・白骨に被せた土の上で、ひぐらしの声をきく。。

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    2019/05/27 02:20

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