満足度★★★
題名はゴドーを待ちながらのもじり、劇中にさまざまなシェイクスピアの戯曲の台詞が引用され、台詞が代わる度に世界観がクルクルと変化する様が楽しい、筈だ。
如何にも芝居を観つくしている東京のお客さん好みの芝居で、そもそもシェイクスピアの芝居を数えるほどしか見ていない私には、交わされる台詞がどの芝居のものかが直ぐにはピンと来ないのだから、けっこう疲れる芝居だった。
ただ、ドーバー海峡で自殺をしようとするグロスター伯(田代隆秀)と騙して助けようとする息子のエドガー(高山春夫)のシーンが繰り返し演じられ、ここは「リア王」の場面だと分かった。当人が飛び降りて死にたいと思うと、実際に飛び降りなくても死んでしまうのではないかと怯えるエドガー。虚構と現実はどちらが勝つのか?
舞台は終始、二人の役者だけの芝居で、キャッチボールのように紗王の台詞を言って作品名の当てっこをする場面では、有名ではないコアな台詞を言いあって勝ち負けを競ったり。
アフタートークは、役者二人と河合祥一郎とゲストの松岡和子の4人のシェイクスピア談義。小田島訳に馴染んだ田代隆秀がつい、以前の台詞が出てしまうなどと話していた。
調べてみると、シェイクスピアの訳者ごとにハムレットの台詞も、
福田恒存「生か死か、それが疑問だ」
↓
小田島雄志「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。」
↓
安西徹雄(主に演劇集団円)「生か死か、問題はそれだ。」
↓
河合祥一郎「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」
↓
松岡和子「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ。」
のように流行が移り変わってきている。今は、松岡和子訳が人気らしい。
芸術は細部に宿ると言うが、東京の観客相手でなければ上演されないであろう芝居だったということでは、いい記念になった。