満足度★★★★
鑑賞日2018/05/28 (月) 18:30
座席1階9列19番
昨夏、オフィスコットーネの「怪談 牡丹燈籠」を観た友人と、今度は文学座が演じるので見比べてみようということで行ってきました。
とはいえ、元ネタは同じ円朝でも、脚本とするとこれは別物の感が強い。文学座の大西本の方がむしろ古典で、コットーネのフジノサツコ本はむしろ新作。しかし、元本の趣は、フジノサツコ本の方が圧倒的に強い。大西本の方が、判りやすい、と言ったらよいかな。
その上で、こちら鵜山仁氏の比較的王道、ある意味淡泊な(直線的な)演出に比して、ひたすら実験的、捻りの効いた森新太郎の演出の対象もあって、これは比べるといった類のものではなことを実感した。
さてこちら。講談調で、有名な幽霊のシーンにスッキリと入っていくので、聞きかじり程度に知っている私などはとても判りやすい。実際、フジノサツコ本の序盤、敵討ちの因縁となる話は、ちょっと取り掛かりにくかった。(でも、ここが終盤の話の展開の肝になるのだけれど)
大西本は、不義を働き逃げ続ける浪人夫婦の悲劇と、金に目がくらんで恩義ある侍を幽霊に取り殺させてしまった夫婦の悲劇。この2人を襲う理不尽なまでの因果応報のラストは、円朝の怪談噺の理不尽さをよく伝えていると思う。
なぜ、人の命を奪うという非道に手を染めながらも、お互いの幸せのためと思い慕った
夫婦2組が、幻覚や保身のためにお互いの命を奪うことになったのか。
まさに怪談。前半、幽霊話の件は、話としては枕だったのですね。
観劇後の切なさ、すっきり感では、文学座の方が勝ったかな。