夜明け前、私たちは立ち上がる。 公演情報 TOKYOハンバーグ「夜明け前、私たちは立ち上がる。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    唸った。TOKYOハンバーグ、Stone-Ageブライアントとも一度ならず目にしていたが、どちらの特徴がどうだったといった批評を一蹴する迫力であった。
    この題材を語るための要素を取りこぼさず(とりわけ住民の「論理」の背後にある生活感覚と感情に丁寧に触れている)、各登場人物のドラマが描かれながらフィクションとしての展開の「無理」が殆ど感じられないドキュメントとも呼べる現実味があった。理不尽な現実を嗜虐的に突きつけたい邪な狙いが作り手になくとも、鬱々とする「現実」は必然に訪れる。この実話が最後に光明を見ることを知っていたとて「終わりよければ・・」とはなり得ないこの問題の性質をこの作品が踏まえている事が、言わば光明に思える舞台だ。
    アフタートークで「希望の牧場」の吉沢さんという方が仰った言葉。・・大多数が「見たくない」現実でも誰かが言い続けなければならない。「現実」はこの話の文脈では、今日本の火山が活動期を迎えている事、関東大震災の発生周期の危険領域にとうに入っている事・・起こり得る事態として2020年、東京五輪の前に関東大震災に見舞われる可能性を誰も否定できない事。

    舞台に戻れば、「見たくない」題材に取り組んだこのチームに拍手。拍手と言えば、カーテンコールで照明が慌てていた(終演を告げる役者の短礼のあと役者がハケる長い暗転の間、拍手が鳴り止まなかったので舞台側の明りを入れるのが自然な所、まず客電が上がり、追い出しを掛けられた状態に一瞬なった)。ダブルコールが今回初めて(だとすれば)とは意外だが、公演を重ねて芝居が、人物たちが膨らみを増し熟成するプロセスを想像した。記憶の中の色んなシーンが一々琴線を叩いてくる。

    ネタバレBOX

    ラストを見て感じたこと・・
    「舞台」の出来が全てではない、と断じてしまうと語弊があるが、舞台作りは「完成」に向かう道程を辿るものだとしても、舞台の目標は「完成」ではない(なりにくい)、と思っている。もしそれがあるとすれば、完成によって浄化され、「忘れてしまう」時間を提供する芸術、という事になるだろうか。そういうものがあっても良いと思うし実際多くある。
    ただ、棘刺す痛みを伴わない感動などない、とは大人の感覚だろうか。いや、話が逸れた。
    ・・舞台装置の正面、パイプを組んだいまいち美しくない形(その組み方で放射能のマーク=ハザードシンボルを表す)がバリケードの表象として最後に漸く符合する訳なのだが、照明が落ちる手前、団結を確かめあい、見えない明日に徒手で立ち向かおうとする者たちの姿が固まり、残影となる。音楽は「悲壮さと勇壮さ」を謳うシンプルなもの。芝居はその手前まで、終景への準備となる友との再会や本心の吐露、そして和解のシーンが人物それぞれに点描され、疑心が生み出す人間への底知れない暗鬼のイメージが霧消し、凡庸だが自分自身に立ち返った者たちの姿が現われる。中部電力社員が吐き捨てるように言う「何十年も同じ事を繰り返してきた、いい加減終わりにしましょう!」の言葉を自分では本気で言える台詞として叩きつけながら、それが恫喝に当たるとは気づかない言葉の欺瞞に住民達は易々と丸め込まれず、「生活感覚」からそこに含まれる嘘を嗅ぎ取っている事が無言の内に漂ってくる。それが自然な反応だと信じられる佇まいを獲得した事がこの舞台の成果だろうと思う。
    ただ・・と冒頭に戻れば、終幕を飾る団結の美景が、悲壮感の中に醸成された団結であるという事が、芝居の「完成」(閉じくり)には必要であったのだとしても、戦後の日本が幾度となく経験した「運動の終息」を、むしろ予感させるラストでもあった、というのが個人的には惜しい。人を悲壮にさせた圧迫が消えた時、紐帯の弛緩が始まるのも世の常である。難しい課題であり、舞台の仕事でやれるのはそこまで、あとは観客自身が考えること・・そう言い放てるだけの仕事ではあったが、その事も考えずにはおれなかった。

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    2018/05/20 03:40

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