満足度★★★★
横浜の野毛シャーレと言う新しい劇場での公演。劇場案内図を見ると桜木町からとなっているのだが、これが旧東横線の終点と勘違いした当方の時代遅れ。今の桜木町は殆ど日ノ出町。黒沢の「天国と地獄」に出てくる細民街だ。今はすっかりおしゃれになっているが、どことなく前の時代の暗さもある。そういえばこの辺の運河の河舟で遠藤琢郎の「マハバラータ」を観たっけ。心中天網島にはうってつけの場所でもある。
だが、せっかくここまで来たのだから、東京でもやって欲しかった。これから、さいたま芸術は苦戦すると思うがそれは一に交通の便である。SPAC(静岡)ももっと楽に東京で見たい。観客の怠惰、贅沢と思うかもしれないが、東京を抜け出すだけでも大変で、さらに駅から近い観客ばかりではないから、帰りの夜道も気になる。
さて、中身。木下歌舞伎の十周年大歌舞伎の最後の作品である。タイミングよく(と言っては語弊があるが)現実に自殺願望からの殺人事件が起きて、つい舞台と重なってしまう。こういうところが演劇の怖いところでもある。今回は演出が糸井幸之助。作曲もやり、歌入りの紙屋治兵衛、おさんと小春である。冒頭、小春が、舞台の穴から身を乗り出し、元気いっぱい「小春でーす」とあらわれ、治兵衛も「紙屋の治兵衛です」と応じる。ここから物語は歌も歌える三人の男とバイオリンも演じる一人の女性が、歌も演技も受け持って、ほぼ歌舞伎通りに進むのだが、四人の歌があり、めまぐるしく舞台転換があり、かなりめまぐるしい。演出は細かく行き届いていて、隙がない。一幕、河庄で最初に自殺の話が出るところのセリフの積み方等うまいもので、以後、二人の恋の進行は小劇場離れの手際の良さで、タイミングのいい歌と台詞で陽気にどんどん進む。後半は時雨の炬燵。ここで幼時の回想など(歌舞伎にあったかしらん?)織り交ぜながら(ここが唯一だれると感じた)おさんが軸になっていく。時に入る浄瑠璃の原詞の使い方、歌舞伎からの台詞の引き方もうまいものだ。三味線の代わりにヴァイオリンが勤めるところがあるがこういう効果があるとは。
いつも通り、意欲的でなおかつ面白く古典を現代風に砕いた木下歌舞伎なのである。
だが・・・一つの舞台作品としてはこれで十分楽しめるのだが、これが心中天網島の現代版と言われるといささか首をかしげる。この原作の面白さ、テーマと言おうか、は、どうにも切れない男女の縁の不思議な深さで、今回のように陽気に整理が行き届くと、人間の性の不思議さが消えてしまう。