満足度★★★★
石原燃は女性劇作家だった。昨秋坂手氏の芝居のトークに呼ばれて登壇、永井愛が新作(『ザ・空気』)で扱おうとしているNHK番組改編問題に、折りしも彼女は取り組んでいるとの話に色めき、予定をやりくりして、少し迷ったが観劇。見て正解だった。呆気にとられた。勝手な思い込みでもう少し拙い戯曲を想像していた(無意識に永井氏の作と比べようとしていたのだろう)。
永井のフィクションと異なり事実に相当に踏み込んだ本で、問題の照射角度は硬軟自在、基本「人間」の素朴な感性から「現象」を問い、自分が何にとらわれているかを問う視点も加味し、「私たちに何ができるのか」を示唆する結語まで書き切った驚きの完成度、と感じさせる舞台だった。
幾つか前のPカンパニー公演でも石原氏の書下ろしを上演、反応の良い口コミが多々あったのを思い出した。もう一つ、嶽本あゆみ作の上演も思い出す。2時間を超える長編だったが、微妙な難しい部分もありそうな戯曲をPカンパニーは「自分たちのレパ」として舞台に上げていた、という言い方も変だが、役者力を感じた。今回も同様かも知れない。
テレビ番組制作を職人として作るディレクターのキャラや、「戦犯法廷」を見た思いを熱く語る新人ディレクターのキャラが、物事を普通な健全な見方で見る者である事を、信じさせるのに成功し、掘れるだけの深さが掘られた役作りが為されていたのだな、と後々思われてきた。
永井氏のに通じる特徴として、圧力に屈したり忖度したり自粛したり、空気に抗えなかったりする事って、そもそも「何なんだろうね」・・という素朴な疑問への一つの答えを答えようとした事、が言える。ミクロな家族の物語が、番組制作の現場の問題と並び、十分に問うに値するエピソードとして、立ち上がってくる。現実には、こうした問題は矮小なものとして葬られがちな所、本質的には対立構図にある姉妹の、姉の存在感が要だっただろうか。一方の妹が、夫に最終的に「通告」を突きつけられたのだとしたら(解釈の幅を与える部分だが)、あまりに哀れで夫も(正義をまとったように見えるが)身勝手ではないか・・。このあたりの処理は微妙で、妻にも希望の種を残して終わって欲しかったが、既にその種はある、とも解釈できなくない。(続く・・・か?)