ドーレ・ホイヤーに捧ぐ 『人間の激情』『アフェクテ』『エフェクテ』 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「ドーレ・ホイヤーに捧ぐ 『人間の激情』『アフェクテ』『エフェクテ』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ドイツ表現主義
    作品評としてではなくて、この作品を観た自分の問題として、
    「わかる」とは何か、ダンスにとって知性とは何かを考えさせられた。

    ネタバレBOX

    ドーレ・ホイヤーを巡る3作からなる。
    『人間の激情』
    ホイヤーの作を、スザンネ・リンケが再構築したもの。
    タイトルのことを考えずに漠然と見ていたら、何がなんだかわからなかった。とても無機的に思えたけれど、後でタイトルを見ると「人間の激情」とある。ということは、抑制した動きの中に激情を表現していたということか。少なくとも、観ながらはわからなかった。

    『アフェクテ』
    スザンネ・リンケ作。
    『人間の激情』で、あまりに意味を考えずに観すぎたと反省し、タイトルの意味を考えながら観ることにした。パンフレットによると、「アフェクテ」とはフロイト心理学では「情動」とも訳される言葉のよう。「人間の激情」と近い問題ということか。
    男女2人のダンス。男女間の情動のやり取りと捉えていいようだ。
    音が印象的で、鳥(カモ?)の鳴き声などが聞こえた。
    これは動物的な求愛を刺激する音、つまり、エロス(性/生)を喚起するものなのか、タナトス(死)を喚起するもなのか。というのも、ナチスの強制収容所では虐殺の日に、断末魔の叫び声を聞こえなくするために、カモなどを鳴かせたという話もある(クロード・ランズマンの映画参照)ので。(ドイツの演出家の作だから尚更そう思ってしまう)。
    その後、銃声の音も響くので、尚更、男女の駆け引きのようでありながら、それこそがエロスとタナトス(生と死)の問題ということなのか。
    そう考えると、逆に非常にわかりやすい。踊り自体も、そう思うと、あまりにもすっきりとそう見えてしまう。でも、そんな単純な話なのだろうか、、、。

    『エフェクテ』
    スザンネ・リンケ作。これも男女2人のダンス。
    こちらも、音が印象的。冒頭はガイガーカウンターの音のようなものが響く。公演が行われているのが日本なので、原発事故のことを思わずにはいられない。その後、アルミケースが出てきて、それを並べながらダンスは進むのだが、この流れだと、アルミケースは原発のメタファーなんじゃないかと深読みしてしまう。そしてそのケースから、食卓セットが出てくる。これは最後の晩餐ということか。終末ということか。ユダの裏切りを予見しているということか、、、。その後、リンゴを男女はかじる。これはアダムとイブのこと、原罪のこと、、、そう考えるとすべてはひとつの物語にはなる。だけど、そんな単純な話なのか?もしそうだったら、あまりにシンプルすぎる。
    踊りは自立した踊りというより、その物語を展開するために行われていたように感じるので、なおさら不可解だ。
    「原発などの文明は、犯してはいけない罪に手を染めてしまった」というような文明批評と捉えるとしたら、あまりに陳腐。だけれども、それを越える何かを私は踊りそのものから感受できなかった。私の感性のなさの問題かもしれない。踊りにとって意味や物語とは何なのか。本当によくわからなかった。

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    2016/12/10 10:23

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