『OKINAWA1972』 公演情報 流山児★事務所「『OKINAWA1972』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    本土復帰の年、沖縄じゃ沖縄の時間が、流れていたさァ。
    流山児+風琴の合同公演という趣き。役者は流山児主体だが演出的仕上り、また役者も2,3人混じって、風琴らしい。
    ヤクザの視点で本土復帰当時の沖縄の民衆の温度を伝える芝居。沖縄は地理的にも「日本」という領域を構成する四島からは遠い。これは「日本という奇異な精神風土に染まらない)健全さを維持し得る距離だが、日本政府によって米国に売り渡されている(今も)現実も「距離」の一面だ。
    さて沖縄の「庶民」、それも下層に属する(上層が存在したのかは知らないが)人々の自らを語る中に「混血児や親を知らない者が多い」・・という台詞があった。米軍=強者と、被占領民である沖縄人=弱者の関係を如実に表わす台詞として、今は迫ってくる。
    男は「力」に憧れ、女は風俗業に身をやつす。本土復帰を前に、「力」は対本土(のヤクザ)に向けて結集されるが、うまく立ち回ろうとする欲は本土とのパイプやパワーバランスの活用に手を出してしまうという悲しい顛末もある。裏社会では「沖縄」は分断され、潰された。
    主人公は母の手一つで育った(なぜか)フィリピン人との混血、これと一風変わった彼の親友がいいコンビで、「組織」に居る本土帰りのエリートのキャラクター設定もうまかった。破天荒で命知らずだが「太陽」のように周囲を照らす、と評される男、そいつに殺されかけた過去を持ちながら、大義(沖縄を本土の魔の手から守る)のためにその男とも契りを交わす武術を身につけた男、その男に惚れ、危険な選択にも奥歯を噛み締めて同意する女房・・・役者揃いである。
    さて「沖縄」で進行するドラマにしばしば挿入されるのが佐藤栄作総理大臣と、彼が沖縄復帰交渉を委ねた某という学者の対話シーン。これは本土復帰が沖縄の「権利回復」でも何でもなく、実質は占領期と変わりない米軍の権利が継続することを「密約」で約束しながら、表向きには、「核抜き本土並み」を取り付けて復帰の「偉業」を成し遂げた演出がなされる、その裏側を暴露するシーンなのだが、惜しいことにこれが判りづらい。
    沖縄の物語の、重要な背景を説明しているが、佐藤首相という人物、交渉者の○○という人物が、それぞれどういう動機や目的で行動しているのかが舞台上の姿を通してはもう一つ見えて来ず、重要な基本情報だけにもう一工夫できなかったか・・という憾みが残った。

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    2016/10/02 22:28

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