満足度★★★★★
二回目の観劇。
少し角度を変えて観る。見えてなかったことが見える。これは視線の舞台。目は口ほどにものを言う。見つめ合い、逸らし、目配せし、チラ見して…台詞以上に…いや、台詞が語らないことを雄弁に語る。●娘の告白に対する母の反応は、世間の目の代弁。そして自戒の念に苛まれる。型破りの母でさえ"普通"という化け物から逃れられない。「お母さんに解ってもらえずに、誰に…」それも理に叶っている。相反する思いが真正面からぶつかり合っても破綻しない家族の力が見える。泣く。●モノに宿る魂。遺された水中花もそうだが、幕間にボンヤリ照らされる柱時計も、あの家も、人の想いを記憶し包み込む。正に居場所であり、拠り所。メスの蝉の鳴き声にならない泣き声を聞いてきた家。「ここが無くなれば、お互いお客さんだね」母の呟きがラストに沁みてくる。●気がつくと、最初から最後までずっと心乱れ光が見えないままのシズエ演じる渋谷はるかさんを見つめている。書き込み、男、キス、二度目のカムアウト、まるで血を吐くように自虐的。その全てから『ワタシを見て!解って!』という叫びが聞こえる。シズエの視線の先には常に彼女がいて…意識し合う二人の、投げる視線。逸れる視線。縺れて絡んで解けなくなった愛情と愛憎。虐められる悦びを曝されても真っ直ぐな純愛と、真逆な行動のギャップの大きさこそが、彼女の愛と苦しみの深さ。江ノ島の夜から続く闇から抜け、霧も晴れて、シズエに幸せが訪れることを切に願う。●前回、尖って見えたケイコ。その攻めの姿勢に、あの場所への愛を感じた。そこに加わった柔らかさに、ケイコの、そして百花亜希さんの愛情の深まりを見た。裏切りに「あなたが…あなたにしか…」に人間力が溢れる。たくさんの人が切なくなるほどに惚れる女性の姿が見事に香りたった。●どんな作品でも、どんな時でもキレのある演技で存在感のある長尾純子さん。彼女がグイグイ立ち向かう力強さ、その対局にあるラストの繊細さ、この幅が作品を鮮やかに彩る。二度目の観劇だから分かる、彼女が散りばめた数えきれない程の伏線を観て欲しい。生の舞台だからこその楽しさ。●女を商売にしていると詰られる水商売のジュンコ。明け透けで、ずぼらに見える彼女のおおらかさは人間愛に満ち、集団の潤滑油。彼女のような存在が人を繋ぐ。橘麦さんが人のいいジュンコを好演。愛する人の旅立ちを応援し、新しい恋人を持ち、エアメールを破るポーズ。愛らしく魅力的。●生徒を迎えにきた教師。厳しい言葉を並べ、ここの人たちを貶める。でも、そこには確かな愛がある。個人的見解でなく、社会からどんな評価を受けるのかを基準にし、そのレッテルによる仕打ちを懸念する。女性としての感情と教師としての責務による狭間の苦悩を、西村順子さんが好演。●二組のカップル。それぞにパートナーがありながらも惹かれ合う。でも、パートナーのことを思い自制する。パートナーも、愛するが故に気づいてしまう。秘めてはいても匂い立つ。抑えきれれば問題ないが、越えてしまえば、巷で話題のゲスな話。一人の離脱者が二人の堤防を決壊させる。●ノ島で「傷心を癒す」という印籠を手に越えてしまった二人。これもゲスな話なのだろうか。パートナーは紛れもなく傷付いた。それが分かる故に、一度の過ち? きっかけを作った離脱者も無理をしていた。誰も傷つけたくない心優しい人たちが図らずも堕ちてゆく闇を目撃した。