【入場無料・カンパ制】アトリエ公演「桜歌」「RS」「忘却者来訪」 公演情報 ラビット番長「【入場無料・カンパ制】アトリエ公演「桜歌」「RS」「忘却者来訪」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    桜花を拝見
    “桜花”というタイトルは好きではない。国家エゴを我ら主権者に向けて発動する為に強制する装置として機能し続けて来たと考えられるからである。否、これは不正確だろう。国家エゴを装って、この「国」を支配する腐りきった為政者共が、我ら主権者の権力を奪い、命を奪う為にこそ用いられてきたコンセプトだからである。無論、桜に罪のあろうハズは無く、悪いのは総て人民を裏切り、自らの権益または権益保護の為に、メディア、金融界、官僚、政治屋、司法などを牛耳り、暴力団と結託し、政商とよろしくやってきた下司野郎とその親族・眷属などの閨閥である。
     実際、この“桜花”は回天と並ぶ特攻兵器の名称でもある。(ネタバレの追記2015.12.4:02:08)

    ネタバレBOX

    どんな兵器であったかといえば、機首部分に大型の徹甲爆弾を搭載し母機から発射された後は、搭乗員の誘導で敵艦に体当たり攻撃を仕掛ける文字通りの特攻兵器である。実戦投入は1945年、構造は単純そのもの。機首の大型爆弾、後部にロケットエンジン。小さな翼と操縦席を付けただけの文字通りの自爆兵器であった。作家は当然、このことも知ってこのタイトルを“さくらばな”と読ませている、Wミーニングである。同時に今作はフィクションであるから海軍の特攻基地、鹿屋を飛び立った900機以上のゼロ戦も綯い交ぜにしている。話の内容からは、ゼロ戦乗りであるが、この程度のことは、観客として当然気付くべきである。まあ、知らなくても充分心を打つ内容ではあるが。思い至ればより深く、今作の意味する所も響いてくるであろう。 
     自分は従妹が何人も第二次世界大戦で亡くなっていて、特攻で亡くなった従妹も何人か居る。大学の文科に通っていて徴兵された従妹は親族が認めないにも関わらず、靖国に “英霊”として祭られている。分祀はできないと宮司は言い張るのだが、無論、嘘である。実際、皇族だけは分祀されているのだ。裕仁が、神ではなく人間だと己を認定した後でさえずっとこうである。これはもう立派に憲法違反であろう。
     だが、今作の作家、井保氏の優しさは、無論、この悪辣で厚顔無恥な記号を、人間的で優しさや苦悩に満ちたドラマに仕立て上げている。芝居のセオリーとして板上に、余分な物は一切置かない・出さないは基本だが、その基本をきっちり守って本作が書かれたのは15年前である。実際、小道具の雑誌(この雑誌の表紙が観客に良く見えるように役者が演じているのだが、これで舞台は鹿児島だとはっきり分かる)に至る迄、無駄な物・科白は出てこない。総てが大団円へ収束する中で必然的に集約されてゆく。
     芝居を余り観ない方には、タイムトリップが仕掛けられる2場は、ちょっと奇異に感じる向きもあるかもしれないが、ヒロイン、岡田の心象風景とでも考えて頂ければよかろう。何れにせよ、岡田は思い出の場所を訪れることで過去と向き合うことになる。岡田から彼らの姿は見えないが、現れたのは3人の若者、鹿児島の海軍飛行兵即ち特攻兵(既に鹿児島だと分かっているし、敬礼の仕方で海軍であることは明白であるから特攻基地は鹿屋だと推測できる)最後の外出だ。天候が良ければこの休日後に特攻する。大島の母が酒を送って来てくれた。父が復員したら飲ませてやろうと配給の酒を貯めておいたのであった。父は亡くなり持っている必要が無くなったので、息子と友人の為に、貴重な酒を供出してくれたのだった。遠慮しつつも、今生の別れの盃を3人は回すが、帝大出身の大島は、この戦争に対して懐疑的である。そもそも、自国の若く優秀な兵士を、殆ど成功しない体当たり攻撃に送り込むこと自体、劣勢なのだと至極全うなことを言う。これに対して同期の南は、拳を振り上げて食ってかかる。既に国を守る為死して英霊となった人々に失礼だと言うのである。だが、大島は一旦、出撃していた。彼は戦果報告の為、仲間6機のうち1機も敵艦に体当たりすることなく撃ち落された現場を見た。そしてこう報告した。「6機全機、敵艦に体当たりしました。甚大な被害を与えたと思われます」と。無論、本当のことなど言えない。命を捨てての体当たりに何の意味も見いだせないことほど辛いことはないからだ。大島が生きて戻って来た訳も、彼が死を恐れたからではなかった。戦果の報告を命じられたのだ。それがどれほど辛いことであったか。一緒に死のうと誓い合った戦友を見捨てて帰投しなければならなかったのだ。その辛さの中から、自ら考察することのできる彼は本心として、自分が生きて帰ったのは、亡くなった戦友の念を後世に伝える為であったと考えるに至った。彼が批判したのは、国家を危殆に瀕せしめた為政者共の悪辣・無能・無思慮・無分別と無反省に対してなのであって決して失うべきでない命をシャブ漬けにされてまで捨てた有為の若者に対してではなかった。そうこうするうち、矢張りこの場所の好きな中尉、金子がふらりと立ち現れた。彼はサイダーを飲んでいたのだが、無礼講で話をしようということになった。
     中尉の言葉を字義通りに受け取る長沢は馴れ馴れしい口調で話しかけたりするが、中尉は、気にしない。然し、他の2人の表情は矢張り硬い。ここでも、大島は極めて本質的な質問をする。中尉は、一緒に死のう、と言っていた部下だけを死なせ生き残ったという噂があるが、これが真か偽かについての質問であった。答えは、実際、そういうことがあった。然し、中尉も命令故に死ねなかったのである。劣勢の中、飛行兵を訓練する教官が足りなくなっていた。中尉はその為、死出の旅立ちを許されなかった。妻があり、子供が3人居たことも酌量された。彼は、妻に相談をした。妻は子供3人を道連れに崖から身を投げた。夫の任務を邪魔立てしない為である。中尉は、妻子の死を上部に伝え、死出の旅に皆と同道することになった。殆ど下戸の中尉が、この話をした時には皆と一緒に酒を酌み交わす。中尉は、皆と一緒に飛ぶことを約し、妻子の写真を桜の木の根元に埋めて、一足先に引き上げる。
     長沢が店に上がったにも関わらず筆おろしをしなかったことを散々鹹かった同期の桜だったが、訳を訊けば相手の娘は19歳。妹と同い年だと聞いて黙り込んでしまった。而も、最も長沢を茶化していた南も実は寝ていて童貞のまま飛び立つのだった。その後、南は村に巡回に来た演劇団のメンバーが足りず臨時に芝居に出た女に恋をしたことを告げる。最後に会えるチャンスに彼らは、桜の木の下で会うことを約束していた。彼女は、旅芸人の一座に加わることとなり、旅に出てしまった為に約束を果たすことができなかった。彼女も南を心の底から慕い待っていたのだ。彼女が結婚しなかった理由はこのことだと思われる。何れにせよ、南は総てを桜に託して後世に伝えようとしていた。仲間二人も同様である。この意が届いたか南と、今は有名な女優となった岡田は、件の桜の木の切り株で邂逅する。二人が長い時を隔てて手を握り合い意を伝えたこの瞬間切り株は、桜の古木となって甦り、花びらを散らせる。この時の南は、死の間際の言葉として彼が誰を呼んだかもハッキリ再現するのだが、無論、天皇陛下万歳などではない。岡田の名を呼んだのである。実際、戦争体験をした人々の話を直に聞くと、皆、母や恋人、大切な家族の名を呼んで亡くなっている。
     ラスト、死んで何になって帰るかという話になった時、三人は鶯になって戻ることに一決する。平安時代以降、花と言えば桜ということになった。然し、それ以前、花と言えば春を告げる鶯に縁のある梅と決まっていた。ここで強調されているのは春である。深読みをすれば、葉隠を曲解して“武士道は死ぬことなりと見つけたり”だけを喧伝し、散り際の美しさなどと陳腐極まりないフレーズを繰り返す想像力の欠如したリビングデッドに対するやんわりした揶揄と取るのが正しいのかも知れない。

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    2015/11/30 01:26

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  • えざきさま
     喜んで頂けて幸いです。今夕、また伺いますのでよろしくお願いします。
                                         ハンダラ 拝

    2015/12/06 10:12

    ハンダラ様アトリエ公演「桜歌」にご来場ありがとうございます。
    細部まで芝居を観ていただけてこんなに事細かにご感想をいただけて嬉しい限りです!
    今回「桜歌」に出演していた若手メンバーの今後の成長にもぜひご期待ください!
    本当にありがとうございました!

    2015/12/06 00:54

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