【入場無料・カンパ制】アトリエ公演「桜歌」「RS」「忘却者来訪」 公演情報 【入場無料・カンパ制】アトリエ公演「桜歌」「RS」「忘却者来訪」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    一番好み

    新人さんだけの公演でしたが、本当に見応えがありました。
    ストーカー役の方の目のキモさがゾワっとしました。

  • 満足度★★★★★

    2年目の演者たち
     一応白に属する作品と考えてよかろう。3作品すべてを拝見したが、若い役者陣、これからが楽しみである。自らの充実に投資して更に伸びてほしい。
    (追記2016.1.8)

    ネタバレBOX

     母を早く亡くし、父も最近癌で亡くした民宿の娘、たまちゃんは、祖父と民宿切り盛しているが、夏休みで東京から帰省していた高校の同級生ちゅん、もじゃが交通量調査のアルバイトをしている現場で偶然の再開を果たした。たまちゃんを高校時代から好きだったちゅんともじゃは、民宿の手伝いにかこつけては彼女の所を訪れる。
     ところで、交通量調査をした翌日。二人は、民宿に呼び出された。バイトの際に知り合った鉄道写真愛好家を人定してくれとの依頼が入ったのだ。というのも彼が昨日出掛けた吊り橋から落ちたというのだ。相当の高さがあるのに、外傷もなく、何より生きていたのだが、事情は分からないか? との質問であった。彼らは彼が吊り橋に出掛けたこと。徒歩で出掛けたこと。道は間違えるハズのないことなどを証言したが、問題は、彼の身元を確かめるものが何もないことであった。おまけに怪我などは無かったものの、彼の記憶は、恐らくショックが原因で無くなっていた。この診断は、この辺鄙な場所に赴任してきてくれている医師によるものであった。他に泊まれる所も無いので彼は、民宿で預かることになった。だが、たまちゃんの祖父以外、彼女を守ってやれる人が居ないこの民宿で若い男が宿泊することは、彼女を恋する男にとっては心配の種である。他の宿泊客は馴染の昆虫学者。彼女を同道している。スタッフは祖父、コックなどだが、このコック実は前科があった。現在、地元の警察官の妻になっている女に懸想しストーカーをしたり、件で逮捕歴があった。だが本当は、レイプに及んでいたのである。祖父や父が寛容な人だったのでこの民宿で働くことになったのだが、警官も重点的に彼のチェックをしてきた。
     だが、鉄道写真愛好家の“名無しさん”は、実は宇宙人に乗っ取られており、彼は、他の人の体に触れることでその記憶を無くしたりして精神を乗っ取ることができたのである。そして既に何人もの人に触れて、人間の欲望と我執がこの星を滅ぼすとの認識を得ていた。JRの大赤字を作った大本の原因である新幹線の話もさらりと入れてあるので、この辺りの生臭さが(つまり赤字になることが分かり切っているのに、巨大な建設には、大手ゼネコンが濡れ手に泡の大儲けが画策されており、その金は政治資金に化けて自民党に流れる仕組みなどである)物語にリアルな深さを与えている点も注目したい。地球は異星人の植民地になる危険があった。然し、これを救ったのは、たまちゃんであった。彼女は、宇宙人に人間の愚かさと同時に哀しさをも教えたのである。宇宙人は知的生命体としてのレベルが高いから、彼女の訴えを正確に聞き取った。そして侵略を放棄した、そのように取れるラストである。
  • 満足度★★★★

    エチュード 黒ラビット
    見えない芝居でしたが、内容に色んな恐怖がありました。

  • 満足度★★★★★

    RSを拝見(ラビ番noir)
     日本社会というのは鵺のようで得体の知れない世界である。その鵺の正体を暴こうとするかのような内容で、自分にとっては頗る付きで面白い作品であった。演出の仕方も特異である。(追記2016.1.8)

    ネタバレBOX


     ラビ番は、黒と白を描き分けているのだが、こちらは黒作品。即ち社会の暗部を示唆した作品である。日本社会が鵺だというのは、例えば歴史認識。日本は敗戦を迎えてから占領軍が到着するまでに2週間ほどのタイムラグがあったこの間に何が行われたか? 国内に残っていた為政者にとっての都合の悪い書類、情報などは村落隅々まで“焼け”との命令が通り、実際、朝から晩まで燃やし続けられた。軍関係、占領軍に戦争犯罪として断罪されそうな関係書類の実に99%が焼かれたとの指摘もある。実際、現在までに発見されている資料の殆どは、関係者が自宅に書類を持って帰っていて残った物が大半である。(つまり何らかの理由で持ち出した訳だ・個人的研究の為だとかの)実際、どれだけの書類が隠匿され、どれだけの書類が焼かれたのか、正確な所は誰にも分からない。だが、大量の証拠書類が、為政者側の、即ち戦争犯罪責任者サイドの利益に供する為に焼かれたことだけは間違いのない所である。その上で、安倍のような下司は、証拠書類がないなどの理由で、戦争犯罪が無かったことにしているのだ。他にも例えば原発再稼働、海外輸出等、どう考えてもまともとは言い難い判断を為政者が中心になって行っているのに、それを批判すべき学術研究者、大手メディア、司法、環境相などの公僕らが、推進の後押しをしていることが挙げられる。而も愚衆の多くがこの程度の策術に騙されているのか、騙された振りをして結果的に致命的ダメージを受けることを選択している。かつて長田 弘は「猫に未来はない」を書いたが、現在の我々に必要な認識は「核に未来は無い」訳だし、人間の作り出した技術とそれを用いた乱開発に未来は無いのである。ウルグアイ第40代大統領であったホセ・ムヒカさんではないが、貧しいとは、足るを知らないことである。換言すれば、自ら欲望をコントロールできないことを指す。生きるのに必要なのは、寿限無ではないが、食う寝る所に住む所、つまり住処と衣類、安全な食糧と水、健康と友である。そして愛する連れ合いが居ればこれだけで充分なのである。右肩上がりの経済成長など(直ぐ壊れる物のみを作り、買い替え需要で達成する他ないのだから)環境破壊そのものだし、持続し得るもので無いことは誰の目にも明らかであり、そんなもの・ことを望まなければ人はもっと幸せに心豊かに過ごせるものである。
     今作では、上記、人も他の生き物も無駄に死なず、健康で文化的で幸せを感じ得る世界構築とは逆を目指す者どもの、欲に塗れ精神的に堕落し最早天使の住む場所からは追放された下司共が、「論理の整合性」によって「真実」を作り大衆社会を運営してゆく怖さ、ちょっとしたきっかけや誘導を通してそれが実現してしまうことを描くことによって、その結果の恐ろしさと民衆世界破綻の一端を見せてくれていると言えよう。このような作品は、ことの両極を同時に観る視座なしに書くことはできない。作家、井保 三兎の優れた才能を示す作品である。
  • 満足度★★★★★

    新人さんでも見応えあり

    まだ表情や動きは硬いのですが、台詞は感情が入ってた様に感じました。

    脚本もわかりやすく、台詞の一つ一つが丁寧できれい。

    初舞台な新人さんだけでしたが、ともさん役の女の子はこれから期待な新人さんです。

    今週も楽しみにしてます(*^^*)

  • 満足度★★★★★

    桜花を拝見
    “桜花”というタイトルは好きではない。国家エゴを我ら主権者に向けて発動する為に強制する装置として機能し続けて来たと考えられるからである。否、これは不正確だろう。国家エゴを装って、この「国」を支配する腐りきった為政者共が、我ら主権者の権力を奪い、命を奪う為にこそ用いられてきたコンセプトだからである。無論、桜に罪のあろうハズは無く、悪いのは総て人民を裏切り、自らの権益または権益保護の為に、メディア、金融界、官僚、政治屋、司法などを牛耳り、暴力団と結託し、政商とよろしくやってきた下司野郎とその親族・眷属などの閨閥である。
     実際、この“桜花”は回天と並ぶ特攻兵器の名称でもある。(ネタバレの追記2015.12.4:02:08)

    ネタバレBOX

    どんな兵器であったかといえば、機首部分に大型の徹甲爆弾を搭載し母機から発射された後は、搭乗員の誘導で敵艦に体当たり攻撃を仕掛ける文字通りの特攻兵器である。実戦投入は1945年、構造は単純そのもの。機首の大型爆弾、後部にロケットエンジン。小さな翼と操縦席を付けただけの文字通りの自爆兵器であった。作家は当然、このことも知ってこのタイトルを“さくらばな”と読ませている、Wミーニングである。同時に今作はフィクションであるから海軍の特攻基地、鹿屋を飛び立った900機以上のゼロ戦も綯い交ぜにしている。話の内容からは、ゼロ戦乗りであるが、この程度のことは、観客として当然気付くべきである。まあ、知らなくても充分心を打つ内容ではあるが。思い至ればより深く、今作の意味する所も響いてくるであろう。 
     自分は従妹が何人も第二次世界大戦で亡くなっていて、特攻で亡くなった従妹も何人か居る。大学の文科に通っていて徴兵された従妹は親族が認めないにも関わらず、靖国に “英霊”として祭られている。分祀はできないと宮司は言い張るのだが、無論、嘘である。実際、皇族だけは分祀されているのだ。裕仁が、神ではなく人間だと己を認定した後でさえずっとこうである。これはもう立派に憲法違反であろう。
     だが、今作の作家、井保氏の優しさは、無論、この悪辣で厚顔無恥な記号を、人間的で優しさや苦悩に満ちたドラマに仕立て上げている。芝居のセオリーとして板上に、余分な物は一切置かない・出さないは基本だが、その基本をきっちり守って本作が書かれたのは15年前である。実際、小道具の雑誌(この雑誌の表紙が観客に良く見えるように役者が演じているのだが、これで舞台は鹿児島だとはっきり分かる)に至る迄、無駄な物・科白は出てこない。総てが大団円へ収束する中で必然的に集約されてゆく。
     芝居を余り観ない方には、タイムトリップが仕掛けられる2場は、ちょっと奇異に感じる向きもあるかもしれないが、ヒロイン、岡田の心象風景とでも考えて頂ければよかろう。何れにせよ、岡田は思い出の場所を訪れることで過去と向き合うことになる。岡田から彼らの姿は見えないが、現れたのは3人の若者、鹿児島の海軍飛行兵即ち特攻兵(既に鹿児島だと分かっているし、敬礼の仕方で海軍であることは明白であるから特攻基地は鹿屋だと推測できる)最後の外出だ。天候が良ければこの休日後に特攻する。大島の母が酒を送って来てくれた。父が復員したら飲ませてやろうと配給の酒を貯めておいたのであった。父は亡くなり持っている必要が無くなったので、息子と友人の為に、貴重な酒を供出してくれたのだった。遠慮しつつも、今生の別れの盃を3人は回すが、帝大出身の大島は、この戦争に対して懐疑的である。そもそも、自国の若く優秀な兵士を、殆ど成功しない体当たり攻撃に送り込むこと自体、劣勢なのだと至極全うなことを言う。これに対して同期の南は、拳を振り上げて食ってかかる。既に国を守る為死して英霊となった人々に失礼だと言うのである。だが、大島は一旦、出撃していた。彼は戦果報告の為、仲間6機のうち1機も敵艦に体当たりすることなく撃ち落された現場を見た。そしてこう報告した。「6機全機、敵艦に体当たりしました。甚大な被害を与えたと思われます」と。無論、本当のことなど言えない。命を捨てての体当たりに何の意味も見いだせないことほど辛いことはないからだ。大島が生きて戻って来た訳も、彼が死を恐れたからではなかった。戦果の報告を命じられたのだ。それがどれほど辛いことであったか。一緒に死のうと誓い合った戦友を見捨てて帰投しなければならなかったのだ。その辛さの中から、自ら考察することのできる彼は本心として、自分が生きて帰ったのは、亡くなった戦友の念を後世に伝える為であったと考えるに至った。彼が批判したのは、国家を危殆に瀕せしめた為政者共の悪辣・無能・無思慮・無分別と無反省に対してなのであって決して失うべきでない命をシャブ漬けにされてまで捨てた有為の若者に対してではなかった。そうこうするうち、矢張りこの場所の好きな中尉、金子がふらりと立ち現れた。彼はサイダーを飲んでいたのだが、無礼講で話をしようということになった。
     中尉の言葉を字義通りに受け取る長沢は馴れ馴れしい口調で話しかけたりするが、中尉は、気にしない。然し、他の2人の表情は矢張り硬い。ここでも、大島は極めて本質的な質問をする。中尉は、一緒に死のう、と言っていた部下だけを死なせ生き残ったという噂があるが、これが真か偽かについての質問であった。答えは、実際、そういうことがあった。然し、中尉も命令故に死ねなかったのである。劣勢の中、飛行兵を訓練する教官が足りなくなっていた。中尉はその為、死出の旅立ちを許されなかった。妻があり、子供が3人居たことも酌量された。彼は、妻に相談をした。妻は子供3人を道連れに崖から身を投げた。夫の任務を邪魔立てしない為である。中尉は、妻子の死を上部に伝え、死出の旅に皆と同道することになった。殆ど下戸の中尉が、この話をした時には皆と一緒に酒を酌み交わす。中尉は、皆と一緒に飛ぶことを約し、妻子の写真を桜の木の根元に埋めて、一足先に引き上げる。
     長沢が店に上がったにも関わらず筆おろしをしなかったことを散々鹹かった同期の桜だったが、訳を訊けば相手の娘は19歳。妹と同い年だと聞いて黙り込んでしまった。而も、最も長沢を茶化していた南も実は寝ていて童貞のまま飛び立つのだった。その後、南は村に巡回に来た演劇団のメンバーが足りず臨時に芝居に出た女に恋をしたことを告げる。最後に会えるチャンスに彼らは、桜の木の下で会うことを約束していた。彼女は、旅芸人の一座に加わることとなり、旅に出てしまった為に約束を果たすことができなかった。彼女も南を心の底から慕い待っていたのだ。彼女が結婚しなかった理由はこのことだと思われる。何れにせよ、南は総てを桜に託して後世に伝えようとしていた。仲間二人も同様である。この意が届いたか南と、今は有名な女優となった岡田は、件の桜の木の切り株で邂逅する。二人が長い時を隔てて手を握り合い意を伝えたこの瞬間切り株は、桜の古木となって甦り、花びらを散らせる。この時の南は、死の間際の言葉として彼が誰を呼んだかもハッキリ再現するのだが、無論、天皇陛下万歳などではない。岡田の名を呼んだのである。実際、戦争体験をした人々の話を直に聞くと、皆、母や恋人、大切な家族の名を呼んで亡くなっている。
     ラスト、死んで何になって帰るかという話になった時、三人は鶯になって戻ることに一決する。平安時代以降、花と言えば桜ということになった。然し、それ以前、花と言えば春を告げる鶯に縁のある梅と決まっていた。ここで強調されているのは春である。深読みをすれば、葉隠を曲解して“武士道は死ぬことなりと見つけたり”だけを喧伝し、散り際の美しさなどと陳腐極まりないフレーズを繰り返す想像力の欠如したリビングデッドに対するやんわりした揶揄と取るのが正しいのかも知れない。

このページのQRコードです。

拡大