満足度★★★★
終演後も残りたい造語「畳む」
人生を畳む、とは、時間経過とともに広げ過ぎた(自分に帰属する/関わる)空間や、そこにある増え過ぎた物たちを、片付け、元のサイズに戻す。そうして自分が「散らかした」ものを「片付け」て人生を終えるという意味。
情報は日々流される。諸々のメディアを通じたそれらは時代を追うごとに加速して増加し、接触可能な情報はネットに溢れ返っている。エントロピーは21世紀に入ってなお増大し続ける。
そうして「大事なこと」の大事さが薄まり、ONE OF THEMにしか過ぎなくなる。これが被災者や原発やオスプレイやヘイトや冤罪を忘れさせている元凶だとしたら、せめて自分が散らかした情報や物は、片付けようという、いじましい公共精神に富んだ「偏屈者」が、主人公である父だ。
この話は、ずっと「畳もうとする」父と、息子のやり取りで進む。「畳む」ことの限界に突き当たったりもして、物語としては迷走するが、この「畳む」発想の強烈さが、父子の物語の帰趨への注視を続けさせる。
装置は面白い。TATAMIと印字された一畳スペースの枠に、父は寝る。だだっ広いKAAT大スタジオ一杯に布が敷かれ、何もなくなった時点を表わしたりする。そうした演出は悪くない。
が、お話のほうに一抹の疑問ありだ。