満足度★★★★★
全てが高いクオリティ
アゴラ劇場にて 120分
地面に月が映っているように見える。
一見幻想的にも見えるシンプルな舞台装置には、よく見ると客席から見て右手にテント、左手にデスクと、
場面転換の多さが予想されるものが置いてある。
そして私は開演と同時に舞台上にくぎ付けになった。
目まぐるしく変わる場面、そしてそれをシンプルな明かりや役者の身体で見せていく構成。
演劇の楽しみというのはまさしくこういうものではないだろうか、というのが大きな感想である。
しかしそれだけでは120分も見せられるものではない。
とにかく演じている俳優陣が良かった。
そして瀬戸山美咲の切り取るメディアや社会の一部というのは、とても他人事とは思えないような臨場感を感じさせてくれる。
1991年に実際に起きたパキスタンでの邦人拉致、それに伴うマスメディアを、フリーライターである服部貴康を中心として描いた物語である。
ストーリーとしては拉致されてから解放までの経過と、その後のメディア対応や服部の葛藤を、現在と過去に分けて進めていく構成だ。
私は正直、社会情勢やメディアとはどういうものか、といった知識に疎い。しかしながら、メディアとは何か、どうあるべきなのかを考えさせられてしまう。
もちろんそこにはきっと私の知りえない環境や社会があり、理想論ばかり言えないのが現実なのだろう。それでも今の現状とどう向き合うべきなのか、社会とどう折り合いをつけていくべきなのか、といった身近な問題にまで落とし込んでくれるような舞台だった。
実際に取材されていないのに取材をしたかのように書き連ねる雑誌社。その影響で拉致解放後の服部達は、一方的な情報を得ただけの人間から多くの迫害を受ける。
実際に雑誌社に訂正文書の掲載を求めても訂正を認めない。そしてマスメディアに失望する友人、生活の中で自分を押し隠し雑誌社でのフリーカメラマンとして働く服部。
そこには、ジャーナリズム精神を言い訳に自身の生活を守るためだけに写真を撮り続ける現実がある。
きっとこういうことは実際にいくらでもある。どんな企業でも大なり小なりあることなのではないだろうか。そんなことを考えた。
上演中、何度も胸を掻きむしりたくなるような気持ちにさせられた。
それはジャーナリズムへの理想と現実、その中でも折り合いをつけられる者、去る者、割り切った考え方を出来る者、自分を偽れる者、多くの人間がおり、それを
演じる俳優陣が見事に演じ分けていたからではないだろうか。
本当に見事な舞台だと思った。是非こういう舞台が世に増えることを願ってやまない。